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『親鸞と一遍』 [読書日記]

親鸞と一遍 日本浄土教とは何か (講談社学術文庫)

親鸞と一遍 日本浄土教とは何か (講談社学術文庫)

  • 作者: 竹村 牧男
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/06/10
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
無の深淵が口をあけ虚無の底に降り立った中世日本に日本浄土教を大成した二人の祖師がいた。定住型の親鸞と漂泊型の一遍という、全く対照的な生き方と思索を展開した両者の思想を、原典に現代語訳を付して緻密に読みこみ比較考量、日本文化の基層に潜む浄土教の精髄を浮き彫りにする。日本人の仏教観や霊性、宗教哲学の核心に鋭く迫る清新な論考。
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亡き父が今の僕と同じ世代だった頃、真宗大谷派の寺の門徒会の代表みたいなことを務めるようになって、急に朝夕の勤行を欠かさないようになった。この話は過去に浄土真宗や親鸞、蓮如などを取り上げた文献や歴史小説を読んでSSブログで紹介する際によく使わせてもらってきた。

父の辿った思索の道筋を自分も追いかけてみたいと思い、そうした書籍を時々読んだりするようになったのだけれど、「で、親鸞の思想って簡単に言うとといういうことなの?」という問いに対して、簡単に答えられるような説明はいまだに思いつかない。片手間に読んでいるからそれはそれで仕方がないことなのだけれど、何かと対比させるような論考があったら、わかりやすいかもと思い、こういう書籍を手に取ってみることにした。

で、その比較対象として本書で取り上げられたのは一遍。一遍についてもまたこれまでSSブログの文献紹介で取り上げたことが一度もないが、実は民俗学者・宮本常一の著書でハンセン病患者の歴史が取り上げられていたのを読んでいた頃、一遍上人絵伝で、当時のハンセン病患者が聖絵の中にも描き込まれているという話を知り、2013年春に国立ハンセン病資料館が企画展「一遍聖絵・極楽寺絵図にみるハンセン病患者~中世前期の患者への眼差しと処遇~」を開催していた時、見学に出かけたことがあった。

一遍について多少なりとも勉強するというのは、その時以来となる。


対比が行われたことで、親鸞についても、一遍についても、それぞれの思想のポイントが少し理解できた気がする。勤行集はそれなりに読んでいるので、本書を読み進める中で見慣れた言葉が結構出てきていて、あああれはそういう意味だったのかと気付かされたことも多い。

今は読了直後だから分かった気持ちになっているところは大きいと思うが、いずれまた忘れてしまうこともあるので、これをきっかけにして、今後も何度か読み返したりする機会を作っていくのだろうと思う。また、自分の家は真宗大谷派だからといって、じゃ一遍の時宗というのは他の宗派としてうっちゃっておいていいのかというとそうでもないというのがわかったわけで、自分自身の仏教理解を深める意味で、一遍についてもそれなり学んでいこうと気持ちを新たにした。

今、自分が駐在している国の文脈で言えば、学ぶべきは空海なのだけれど、それをやらずに親鸞を学ぼうとしているのは、やはり帰国後について考えているからである。本書は文庫本という気軽さから日本に一時帰国した際に購入して、こちらに持ってきた。でも、読了したらどうするかといえば、たぶん持って帰ることにはなるだろう。
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