『野生化するイノベーション』 [仕事の小ネタ]
野生化するイノベーション―日本経済「失われた20年」を超える―(新潮選書)
- 作者: 清水洋
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2019/08/21
- メディア: Kindle版
内容(「BOOK」データベースより)【購入(キンドル)】
「最新経営学」で日本企業を復活させる!「米国のやり方」を真似すれば、日本の生産性は向上するはず―そんな思い込みが、日本経済をますます悪化させてしまう。米・英・蘭・日の名門大学で研究を重ねた経営学のトップランナーが、「野生化=ヒト・モノ・カネの流動化」という視点から、イノベーションをめぐる誤解や俗説を次々とひっくり返し、日本の成長戦略の抜本的な見直しを提言する。
2019年に職場で机を並べていた同僚から、昨年突如メールが来て、薦められた本。その同僚と一緒に仕事をしていた当時は、年下なのに平気で人をバカ呼ばわりするそいつに反目し、何度も口論に至った。あまり印象は良くない奴だったけれど、他人がバカに見えるぐらいに仕事は猛烈にできた。付き合いで飲みに行ったりするのは時間の無駄だと公言していて、確かに読書家であった。
そんな彼が、机を並べていた当時僕が言っていた話が最近ようやく理解できるようになってきたと言って、そのきっかけになった本を数冊紹介するのに僕にメールしてきたというわけ。著者が頻繁に用いておられる「ジェネラルパーパス・テクノロジー」(汎用性の高い技術)というのが、僕が当時「やりたい」と言ってたことと通じると彼は感じたらしい。
確かに、最近うちのプロジェクトに来られていた日本人研究者も、デジタル・ファブリケーションを「ジェネラルパーパス・テクノロジー」と表現していた。汎用性が高いという意味では、確かにそうだと思う。
いろいろな論点が本書には詰まっているが、僕が響いた記述を簡単にまとめてみると次の通りとなる。
イノベーションには経験的なパターンが見られ、それはまるで野生動物のような側面がある。イノベーションやそのタネである新しいアイデアや技術は、人間のコントロールを超えて、あたかも生きているようにビジネス・チャンスに向かって動き出していく。
イノベーションには一定の習性がある。だから、偶然に頼るのではなく、「イノベーションを起こしやすくする方法」というのがある。イノベーションはチャンスを求めて自由に「移動」するので、「自らの手元で飼いならす」というのは難しい。そして、流動性が高まると、イノベーションの「破壊的な側面」が強くなる。
イノベーションの恩恵は、長い時間をかけて社会全体へと浸透していくが、その一方で、イノベーションの「破壊」の側面は、比較的短期間にある特定の人々に強く出る。
イノベーションは一度軌道に乗りはじめると、加速度的に進んでいく性質がある。イノベーションがイノベーションを生む。新しく生み出された知識は、後続の知識の重要なインプットになる―――これは、2018年にノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマ―が「内生的成長論」として議論したものだが、僕らがファブラボCSTで強調している「シェア」や「ドキュメンテーション」というのも、これらをインプットとして、後続のものづくりが行われることを期待してのものだと思う。
ジェネラルパーパス・テクノロジーと呼ばれる、汎用性の極めて高い技術は、さまざまな産業で広く生産性の向上に寄与し得るため、経済全体に与えるインパクトが大きい。社会がそのような技術を継続的に生み出していけるかどうかが、長期的な経済成長にとって非常に重要———但し、ここでの「ジェネラルパーパス・テクノロジー」って、いろいろな分野で利用されるのに、日本の研究が弱いとされている「基礎研究」のことを言っているような気がする。
企業はビジネスのポートフォリオを組み、破壊的なイノベーションに対応しようとするだろう。しかし、そこで働く個人が、企業が組んだポートフォリオの中にどっぷり浸かり、その組織のその事業でしか価値が出ないようなスキルだけを積み上げていくのはまずい。汎用性の高いスキルを身に付ける必要がある。個人にとって、「今働いている組織でなくても十分に自分の価値を出せる」と考えられることが重要。
最終章「野生化にどう向き合うか」は、国、組織、個人の3階層での整理がされているが、特にそこで個人的に響いたのは最後の個人のところで、今まさに僕がやろうとしているのって、そういうことなのかなという確認ができた気がする。
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