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『デザインと障害が出会うとき』 [仕事の小ネタ]

デザインと障害が出会うとき (Make: Japan Books)

デザインと障害が出会うとき (Make: Japan Books)

  • 出版社/メーカー: オライリージャパン
  • 発売日: 2022/03/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

内容紹介
本書は、長年にわたって障害者向けのプロダクトの開発・教育に携わってきた著者による「障害に向き合うデザイン」のための書籍です。ファッション性と目立たないこと、問題解決的アプローチとオープンエンドな探求など、一見対立するように見える要素の健全な緊張関係から生まれる新しいデザインの可能性を考えます。プロダクト、ファッション、インタラクション、グラフィック分野のさまざまな事例も紹介。障害に配慮したデザインに取り組んでいる方、デザインやエンジニアリングを学んでいて取り組む分野を探している方、異なる分野や背景を持つ人々と協働するためのヒントを探している方におすすめです。
【購入】
本書に関しては、ちょっと不思議な動き方をした。発刊されてからわりとすぐに、家族に送ってもらって現地で受け取った。9月に一時帰国する際、行きの機中と本邦滞在中に読んでしまおうと考え、同時携行した。読み終わればそのまま、東京の自宅に置いて行くつもりだった。ところが、本邦滞在中にあまりにも多くの本を図書館で借り過ぎ、それを読み進めるのに空き時間のほとんどを費やした。それで結局、またブータンに持ってくるという事態になった。

ブータンへの帰りのフライトの機中で、前半の200頁までは読み進めた。ところが帰って来てからが思いのほか忙しく、ゆっくり読んでいる暇がなかった。さすがにこの状況をダラダラ長引かせるのもマズいと考え、多忙を極めたプロジェクトの一大イベントが終わった週末、読込みを再開し、3日ほどで読み切った。

それでもブログで紹介記事を書く自信がなかった。局所的に見られる著者の論点は理解できるのだが、全体を通して何を言いたいのかがよくわからない。ある箇所で論じられているポイントが、他のところでは反対意見が論じられているように感じられるケースもあったのである。

例えば、内容紹介のところでも触れられている「ファッション性」と「目立たないこと」なんてその典型だ。ファッション性って目立たせることだと思うが、目立たせることでいたずらにその障害をクローズアップしてしまうことだってあるかもしれない。利用者本人がその障害をどのように捉えているのかによっては、あえて目立たせることだって、あるいは目立たなくさせるのだって、正解となり得る。おそらく、当事者を巻き込んでのデザイン共創をしないと、本当にその当事者が満足できるプロダクトは作ることができないのではないか。そして、そういう両方のシナリオがある中で、デザイナーやクリエーターと障害者が、緊張関係を持ちながらデザイン共創に取り組んでいくべきだというのが、著者が言いたいことだったのかもしれない。


僕がこの本を読もうと思った動機は、障害者の自助具のカスタマイズ製作に、2010年代に大きく進んだ生産拠点の分散化が大きく貢献できる、自分にもできるのではないかと思ったからだ。でも、著者はのっけからこうした考えが甘いものだと指摘して、僕の頭をぶん殴ってくれた。

 しかしそのことが、障害のためのデザインをアマチュア愛好家の自宅作業場における活動とみなす風潮を強めている可能性もある。自宅の作業場に3Dプリンターがあったとしても、デザイン品質が障害者にふさわしいレベルに達している保証はない。障害者と直接(多くの場合は技術的スキルを持つ人びととともに)共同作業してきた経験を踏まえて私は、今でもなおデザイナーや建築家には貴重な貢献が行えると主張したい。(p.14)


一方で、同じ序論の中で、著者はこうも述べている。

 障害に配慮したデザインの分野では、いまだに臨床医とエンジニアしかチームにいないことが多く、問題解決の文化が支配的である。問題解決と、より遊び心のある探求とのより豊かなバランスから、価値ある新しい方向性が開けるかもしれない。(p.31)

翻って僕が今いる環境。百歩譲って臨床医とエンジニアがチームを組むような可能性は、頑張ればローカルレベルで作ることはできるかもしれない。でも、デザイナーや建築家はどうだろうか。ブータンに「デザイナー」と呼ばれる人がどれくらいいるかは不明だ。そこはあまり教育でも重視されて来なかったと思うので、そもそもそんなにいないだろう。「建築家」はどうか。うちのカレッジには建築学科はあるが、ユニバーサルデザインなどは教えられている形跡があまりないし、そもそも前衛的なデザインをビルに取り入れるので可としている形跡すらある。

そもそも、著者が述べるようなレベルでデザイナーや建築家が障害に配慮したデザインという分野に参画できる土壌にないのである。よくて臨床医とエンジニアがミートアップするのが関の山だろう。

そういうところで何ができるのか、それが読み取れなかったのが自分にとってはやや消化不良だったポイントだった気がする。「障害に配慮したデザインに、より多くのデザイナーが参画すべきだ」(p.43)はその通りだ。でもデザイナーが育つような社会設計がない場所ではどうしたらいいのだろうか。アマチュア愛好家が自分のデスクトップ工作機械でできることをやるというのでは、障害者が満足できるようなクオリティのものが作れないというのなら、今の環境で何ができるのだろうか。工作機械が使える環境さえ提供できれば、こうしたデザイナーさんや建築家さんが欧米からやって来て、そのギャップを埋めるような活動をやって下さるとでもいうのか。

書きながらだんだんエキサイトしてきたが、方向性としては同意する。問題は、そういう環境がないところでは、何をどこから手をつけていったらいいのかがわからないというモヤモヤ感であった。

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