『聞き書 緒方貞子回顧録』 [仕事の小ネタ]
内容紹介国際協力機構(JICA)の理事長を辞められてから4年近くが経つ。いずれ出るであろうと思っていた緒方貞子さんの回顧録が、お弟子さん2人による計10回のインタビューに答える形でとうとうまとまった。3000円近くする本を買って読むのは勇気が要ったので、先に購入した人から借りて読ませてもらった。
日本外交史研究者として出発しながら、国連にかかわる仕事を続け、民族紛争が激化した1990年代に国連難民高等弁務官をつとめた緒方貞子。その後、「人間の安全保障」を提起し、日本の開発援助を主導していく。生い立ちから現在までの歩みを、詳細な聞き取りによってたどる。日本を代表する国際派知識人の決定版回顧録。
僕は学生時代緒方先生の講義を実際に受けて単位をいただいた。とてもわかりやすい講義をして下さる方で、ノートは取りやすく、90分の授業で眠くなることはほとんどなかった。昔は憧れていてああなりたいと思うところはあったし、そういう人についていけるよう自分も頑張らなきゃと思ったりもした。緒方先生は戦後の国際ロータリー奨学生第1号で米国留学した方で、僕もそのずっと後に同じ奨学金で1年間米国の大学に学部留学させてもらった。だから緒方先生のようにならなきゃとも考えていた。
しかし、今思うところは、この方、出発点が違いすぎで、雲の上の存在すぎるということだ。どんなに頑張っても緒方先生ほど英語が上手にはなれないし、世界中の影響力のある著名人との交流や大勢の場で英語でスピーチすることなんて、ビビりのおっさんにはとうていかなわない。組織のトップとして自ら率先して動きつつ、政治的な働きかけを繰り広げるなんて芸当も、僕にはとてもできない。JICAの理事長としても開発援助実施機関の職員の意識を変えるのは大変だったと本書の中で緒方先生は述懐なさっているが、自ら乞うて緒方先生を理事長に迎えたJICAの職員も、緒方先生の要求水準に、制度面でも知識面でもついていくのは大変だっただろうと想像する。
むしろ、運良く恵まれた環境に生まれ、早くからハイレベルな政治の世界を垣間見、早くから海外で教育を受け、大学院留学の機会も得られるとして、そうした、出発点で既に恵まれていた人が、その出発点のアドバンテージを活かし、生きている間に何をなすのか?というのを考えさせられた。
そう述べた上で、本書を読んでいて気になった述懐について、以下にメモっておく。長ったらしいのはお許しいただきたい。
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それから70~80年後のいま、日本外交はどうなったのだろう、という感慨を禁じえなかった。日本は、父祖の時代の日本よりも外に開かれ、多様性に富み、想像力豊かになり、国際社会で責任ある行動をとれる国になったのであろうか。私は国際社会にかかわる仕事をしながら、日本国内の政治における関心のあり方、問題意識、行動のスピード感が、国際社会の動向と開きがあると感じることが一再ならずあった。豊かで安定してはいるが、日本は政治のみならず、経済、社会、教育まで大きな課題を抱え、その課題への向き合い方がよく見えなくなっているように感じることがある。杞憂であることを念じている。(pp. ix-x)いえ、杞憂ではないでしょう。
次は1963年の博士論文をもとに米国で出版された著書の日本語版『満州事変と政策の形成過程』において論じられた、「無責任の体制」としての戦前日本に関する述懐。
なぜ「無責任の体制」になったのかも、憲法体制そのものの特徴から演繹的に答えを出すのではなく、具体的な問題に即して、どのようにその無責任性が現れてきたのか、そのダイナミックなプロセスと桎梏を考察する方が、より一層真実に迫ることができると考えました。この本では、中にはしっかりとした判断を持つ人々がいたにもかかわらず、政策決定に主たる責任を負う人たちの不決断や消極主義、状況判断の甘さが、どのように政策決定の構造を崩してしまうか、その動態を述べたのです。(p.50 )なんだか、この「無責任の体制」ってのも、今に通じるものがないでしょうか。
国際秩序のためにはときには国家的要求を厳しく抑制しなくてはならないという自覚の弱さを感じるのです。もちろんそうでない人たちもいたのですが、例外的な少数者でした。その人達も全体としてまとまって活動するということがなかった。組織化されなかったのです。(p.66)
いまは、政治家まで官僚化していますね。戦略的思考なんて考えたこともない、内向きの人ばかりになってしまったのではないですか。安定を壊さないように、なるべく現状維持に努める政治家か、そうでなければ、先のことをまったく考えずに発言して、安定を壊してしまう政治家がいるだけです。外務省も細分化されていますから、大きな考え方が組織から出てくることはないですよ。ここはまさに現代の政治家に対して思うことを述べておられる。
いま、東アジアは競争関係になっています。どの国も指導者は戦略的思考に強い人がなっている。日本はどうなのでしょうか。中国や韓国との関係をこれからどう組み立てていくのか、アメリカとの関係はどうするのか、世界全体の変動をつかまえて状況を動かしていくような人は、日本のどこにいるのでしょうか。(p.81)
次は緒方先生がノーベル経済学賞受賞者であるアマルティア・セン教授と共同議長を務め、2003年にまとめられた人間の安全保障委員会の報告書『Human Security Now(邦題:安全保障の今日的課題)』に関する述懐。
2003年に報告書は完成しましたが、センは人間の安全保障と、開発・人権との違いについて次のように述べています。開発論は発展・拡大に主眼を置いていて上昇傾向が強いけれども、人間の安全保障は、人間が不意に危機に陥って崖っぷちに立たされるリスクに目を向け、その克服を目指す考えだと。また人権は権利について一般的な基準を設定するけれども、人間の安全保障は具体的にどの自由が重要で、社会がそのうちのどれを承認し保護し促進するかに応えようとするものだ、とも言っています。私から見れば、抽象的すぎて有益なのかと思うこともありましたが、私はこの委員会の議論からは学習することが多く、センも人間の安全保障を幅広い開発の文脈の中で明確にしようとしました。人間の安全保障論は、このような多面的な発展経路があったのです。(pp.323-324)センの「人間開発」の考え方にはダウンサイドリスクがあまり考慮されていなかった、人間の安全保障の大きな特徴の1つがこのダウンサイドリスクを取り込んだことにあるというのを、改めて認識させられた。
難民・避難民保護では、人道救援と復興・開発援助との間に時間的なギャップがあって、そこから問題が生じていたのです。難民が自分の家に帰還しても、そこが破壊されていたり、敵対的な関係が解消されていなかったり、差別されたり、仕事がなかったりすると、平和や安定は持続しません。下手をすると紛争再発の原因になります。ボスニアでもルワンダのときもそういうことが起こりました。戦闘が停止し、難民が帰還する、でもその先を考える枠組みがないのです。UNHCRは自分たちのにんむかどうかわからないけれども、住宅の建設、司法制度支援、女性の能力向上、民族コミュニティ間の移動バスのシステムなどに手を広げなくてはなりませんでした。しかし、人道機関は警察や軍に替われないし、法の執行力を高めることもできないのです。人道危機への緊急対応が済んだらそれで終わるのではなく、そのあとの息の長い復興支援へとつなげていかなければなりません。それがギャップを解消する、継ぎ目のない、シームレスな支援というものなのです。ギャップ問題や紛争後の「平和構築」についても、わかりやすい口述である。
従来のPKOのように停戦があってその監視をしていればよいという状況ではなくて、紛争後の「平和構築」、いいかえればコミュニティの再建、社会・国家の再建が進展しないと平和は来ない。ですから、シームレスな支援というのは平和構築の成否を左右する者なのですが、そのための枠組みがないのです。そこをつなぐことになったら、人間の安全を保障するという基本に戻っていろいろなことを試してみるしかありません。(p.236)
「保護」というのは、人々が自分の力ではどうにもならない原因によって安全を脅かされている状態を回避することを意味します。これは、どちらかといえば、「統治」を強めることを意味します。国家の統治だけではなく、人々の基本的な自由と権利、人間の尊厳を守るために、ローカル、ナショナル、グローバルなどさまざまなレベルで統治の制度を整える必要があります。なるほど、「保護」と「能力向上(エンパワーメント)」は一体的にということですね。
もうひとつの「能力向上」は、人々が自らのために、また自分以外の人間のために行動する能力を強化することです。これは、対比的にいえば「自治」を強めることです。そのためには教育や訓練、最終的には社会の自治能力の強化が欠かせません。人道支援や開発も外や上から一方的にもたらすのではなく、そのプロセスに人々を参画させることが重要なのです。
「保護」と「能力向上」の片方だけを実行するのではなく、両方を一体的に強化すること、つまり統治と自治が出会うことで、初めて「人間の安全保障」は実現可能になる。それが私たちの「人間の安全保障」報告書の大事なメッセージでした。
社会というのは、政治、経済から文化まで実に多くの要素からなる複合体です。それが壊れているときに、どのレベルの、どの部分から、どのような順序で修復、再建を始めるかを考えるのは難しいことです。しかし結局は、どこを入り口にして入っても、連動していってあらゆる側面にかかわらざるを得なくなるのです。どの部分、社会のどのレイヤーに手当てすれば、多くの人々を守ることにつながるか、自律的な社会になるか、国の開発に役立つか、を考えることを「人間の安全保障」は教えてくれると思います。(p.239)
次は「人間の安全保障」と「保護する責任」の違いについて。
難民や避難民の保護から人間の安全を考える私には、「保護する責任」は積極的介入論に見えるのです。いまの世界においてそれは無理だと思います。どこの場所にでもすぐに飛んでいくような義勇軍なんていないでしょう? 最終段階の軍事介入だけ取り上げるのは公平でないかもしれませんが、それを正面に打ち出した「保護する責任」は、義勇軍の存在を前提にした、やや空想的な議論ではないでしょうか。法的アプローチは、介入に対する関心が強すぎる気がします。軍事介入以外にやるべきこと、やれることはたくさんあるのに……。(p.244)今は「人間の安全保障」と「保護する責任」は異なる概念だと国連でも総会決議がなされているが、そうは言っても「安全保障」という言葉がやや積極介入論を想起させるのか、持続可能な開発目標(SDGs)の議論においても、どう考えても人間の安全保障だろと思っていても、9月の国連サミットの成果文書には「人間の安全保障」という言葉自体はまったく使われていない。残念なことだ。
政府のトップは国際会議で人間の安全保障に力を入れていると強調しますし、政府文書のも枕言葉のようによく出てきますが、端的に言って具体的な活動では日本は一般的に受け身です。国内政治上の問題もあって難しいのかもしれませんが、「恐怖からの自由」「保護」のために積極的に貢献しようという姿勢がないのが一因で、開発や予防に近寄っています。しかし、開発や予防でも多くの工夫の余地はありますし、新しい発想が求められている状況です。その辺がもうすこし充実してこないのが残念です。(p.247)よく指摘されることだが、人間の安全保障は日本国内の政策にも適用しなければいけない概念であるにも関わらず、その点が弱い。そのために、対外的な説得力を欠いているところがあるように思う。また、このあたりを読む限り、ODAがPKOと連携することについては、緒方先生もその必要性を認めておられるのだなというのがわかる。
いろいろな国際会議の場では、日本も人間の安全保障を論じるのですが、日本は「恐怖からの自由」に対応する態勢がないですから、重要な案件でも北欧やカナダのようになんでも安保理に持っていって、そこで実際に実行の体制をとられたら日本は必ずしも活動できないのではないでしょうか。いまのところ開発志向から出られないのです。
JICAの主要事業はやはり開発系のプロジェクトですが、人間の安全保障の視点を取り入れるということは、そこから「保護」の分野の活動に近づこうということです。外務省は比較的法的なものに頼る部分があり、変化に対応するのは決して上手ではないという印象がありますが、だんだんと順応してきたとは思います。
『防衛白書』には「人間の安全保障」が出てきます。防衛省は人間の安全保障について感度がよいと感じます。この間も防衛大学校に呼ばれて講演をしてきました。(pp.247-248)
このところ、人間の安全保障を考えるにあたって、わからなかった疑問点が幾つかあった。そういう時こそと思って読み始めたわけだが、読了してみて便秘が解消されたような爽快感があった。
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