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『六三四の剣』 [読書日記]

六三四の剣 (11) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉)

六三四の剣 (11) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉)

  • 作者: 村上 もとか
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1994/01
  • メディア: コミック

村上もとかさんというと、僕が最初にお世話になったのは、1976年夏当時週刊少年ジャンプ誌で連載されていた『熱風の虎』だった。当時のジャンプはスーパーカーブームの火付け役となった『サーキットの狼』(作:池沢さとし)が連載中で、同じレースでも四輪は要らんということか、『熱風の虎』は二輪のレースのお話だった。『熱風~』の連載終了後、村上さんは活躍の場をライバル誌週刊少年サンデーに移す。そこで新たに連載開始したのがF1レースを巡る人間模様を描いた『赤いペガサス』。『サーキットの狼』の主人公・風吹裕矢が公道からサーキットへと活躍の舞台を移し、やがて欧州のフォーミュラ・レースにステップアップしていくのに対抗し、サンデーは最初からオートレースの最高峰F1を舞台にした作品を世に送り出した。この時点で元々劇画調の作品を得意としていた村上さんの『赤いペガサス』は、ディテールの部分では『サーキットの狼』のフォーミュラ・レースよりも精密で好感が持てる作品だった。

その村上さんが、1979年の『赤いペガサス』連載終了後、1作品を挟んでサンデー誌に送り出したのが、剣道を題材とした『六三四の剣』だった。連載開始は1981年初夏、僕が高校2年生の頃だった。

僕が高校3年間を剣道部で過ごせたのは、高1時代にクラスメートから薦められて読んだ高橋三千綱著『九月の空』のお陰であることは、このブログでも何度か紹介したことがある。『赤いペガサス』では大人の世界を描いていた村上さんが、次に『六三四~』と取り上げたといっても、最初の頃は六三四もライバルの修羅も3歳から小学校低学年の頃だったので、連載開始当初の『六三四~』がそんなに印象に残っていたわけではない。僕は結局高校卒業と同時に剣道を辞めてしまったが、『六三四~』の連載は1985年秋頃まで続いており、他に気になる連載作品もあったことから、僕は少年サンデーを大学生になっても購読し続けていた。剣道は辞めても、『六三四の剣』は読んでいたというわけだ。

その後、この作品が少年サンデーコミックス(ワイド版)として復刻したのは1993年のこと。11カ月にわたり、月1巻ペースで刊行されていった。この頃、僕は当時住んでいた埼玉で一時的に剣道の稽古を再開しており、興味あったのでワイド版をフルセット揃えることになったのである。残念ながらその後結婚して家族が増える過程で断続的に稽古の中断と再開を繰り返した。しかし、2009年に再開して以降は末っ子も剣道を習いはじめたことから、以後5年以上、稽古は続けているという状況で今日に至っている。

本棚の奥に眠っていたコミックス全11巻。久し振りに探し当てたのは息子であった。小1からはじめて今年五年生になった息子は、最初の頃はオヤジに似てさっぱり上達しなかったのだが、去年の夏あたりから急激に力をつけてきて、市内の大会ではベスト4まで行けるようになってきた。20日(日)は、この半年の稽古の成果を確認するための市民剣道大会。息子は、イメージトレーニングのつもりだったのか、6月末頃から『六三四の剣』を読みふけるようになった。僕はこのところ仕事の帰りが遅くて、起きている息子には会ったことがないが、寝室に行くと必ず、『六三四の剣』を読んでいる途中で沈没したと思しき息子の姿を目にした。

こうして、僕が昔購入したコミックスが親子二世代で活躍するというのも驚きだ。息子につられて僕も読み直してみたけれど、基本剣道のことばかりが描かれていることもあるだろうが、連載開始から30年以上が経過している今でも、時代の移り変わりを感じさせるようなシーンはほとんどない。強いて言うなら、メールや携帯の代わりに手書きの「手紙」が多用されているくらいだろうか。

それで、少年剣士時代の六三四や修羅の闘いから、息子は何を学んだのか。六三四が大将を務めた北上少年剣道クラブの団体戦チームが使った「体当たり技」なんてのは参考になるだろうと思ったが、息子から帰ってきた答えは「上段技」なんだそうだ。しかも、それを道場の稽古で試して、先生から怒られたらしい(笑)。六三四になりきりたいその気持ちはわからぬではないが、普通に試合やっていてもズルズルと後ろに下がってしまう人間が、攻めの上段の構えに向いているわけがない。

そうしたイメトレを経て出場した20日の試合は、個人戦は組合せが悪すぎて、優勝した子と初戦で当たってしまったが、初めて出た団体戦の方ではよく頑張っていた。道場Bチームの先鋒だった彼は、初戦は引き分けたが、チーム3人が全員引き分けだったので代表決定戦になり、その代表で出て見事に抜きドウを決めた。本人曰く、六三四と修羅が小五の時に日本武道館で各々の所属チームが対戦した際の代表決定戦で対戦したシーンを思い出したそうだ。あがり症の息子は代表戦前にそれなりに緊張したようだが、無事に大役を果たせてひとまず安心。先生から言われてチームの監督役を引き受けていた僕も、自分の息子を代表戦に出して負けでもしたら、依怙贔屓だと言われはしないかとドキドキだった。

続く二戦目(準決勝)も、相手に1本先取されたものの、同じくドウ2本を取り返して逆転勝ち。続く中堅が引き分けたので、大将戦でも引き分けたらチームも決勝進出かと期待させられたが、残念ながら大将戦は相手に2本取られてしまい、1勝1敗1分、本数差でチームは負け、三位決定戦に回ることになった。

三位決定戦の相手は、同じ道場のAチーム。前日の道場稽古で、団体戦形式で模擬試合をやって、0勝3敗と圧倒された相手だ。本人たちも強敵相手だと覚悟はしていたようだが、僕は、前日の稽古でどうやって1本を奪われたのかを思い出させ、同じパターンで1本取られないようにしよう、あと2分間だけだから(子供の試合の規定により)、攻め続けようと言い聞かせて送り出した。先鋒の息子は相手に押されまくったが結局そのまま最後まで粘り切り引き分け。でも、中堅、大将が続けざまに2本負けし、チームは下剋上に失敗した。息子の悔し涙が印象的だった。

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《表彰式。団体戦だけ三位決定戦があったのはちょっと可哀想だったかな…》

話が『六三四の剣』から大きく逸れた。僕は高校2年生になってから幼少期の六三四や修羅を見る作品と初めて出会ったわけだが、息子の場合は、六三四や修羅と同年代で剣道を経験し、これから中学高校と一緒に育っていける点が羨ましい。試合で負けては悔し涙を流し、勝てば歓喜する。そうして精進を繰り返し、大きく育っていって欲しいと期待する。剣道を続ける動機になってくれたら、マンガだって捨てたもんじゃないじゃないか。

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