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『「勉強しろ」と言わずに子供に勉強させる法』 [読書日記]

アジア開発銀行が「アジアでは子どもたちの塾や家庭教師に莫大な費用を掛ける傾向が強まっているが、その教育効果には疑いの余地がある」という報告書を発表したそうだ。我が子を塾に通わせている親の1人としては、胸中穏やかではない。長男や妻の話を聞いての印象に過ぎないが、良い先生が多い中で、生徒のやる気をくじく先生もたまにいる。そこそこの成績で可としている我が子の尻を叩き、「君はもっとやれる。もうちょっと頑張れば上のクラスに上がれる」と言って難しい問題ばかり載っている宿題プリントをどっさり渡す先生もいた。やり過ぎるとかえって逆効果で、我が子はその宿題をこなせず、学校に持って行って休み時間も使ってやろうとしたが、次の塾の授業に間に合わないと言って号泣した。塾は学校の補完をするところであって、塾での学習の補完を学校でやらざるを得なくなるに至っては本末転倒だ。結局その先生のクラスでない別の先生のクラスに変えてもらうことでひとまず落着したが、ひとつ間違えば息子が挫折するところだった。

「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法 (PHP新書)

「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法 (PHP新書)

  • 作者: 小林 公夫
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2009/05/16
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
できる子の親は何をしているのか?たとえば、「伸びない時期は放置し、伸びる時期に集中させる」「長所を伝え、本気で叱る」「志望校の出題周期表を作る」…。一方、伸び悩んでいる子の親は「ただプレッシャーをかける」「迷惑をかけそうな人を子供から引き離す」「短所を放置する」…。その差は歴然!成績不振に悩む多くの受験生と固い信頼関係を結び、医学部に合格させた実績を持つ著者が、およそ30年に亘る指導経験、数多の元受験生への取材、自身の子育てから得た結論を説く。
「勉強しろ」というセリフは、我が家での会話の中で頻繁に出てくるので、自戒の意味も込めて読んでおこうかと考えた。


著者は長年多くの学生に受験指導をしてきた経験から、「できる子」と「できない子」のそれぞれの特性について、以下の類型化を行なっている。ここに挙げるようなことが、「できる子」にはあって、「できない子」にはないのだという。

 ①能動性(能動的に自分から働きかける)
 
 ②継続性(やり始めたら、成果が出るまでその道を歩き続けられる)

 ③粘着性(何度失敗しても弱気にならず、スッポンのように食らいつく)

 ④論理性(効率的効果的に行動するために、頭をフル回転させる)

わざわざ4つも挙げているけれど、効果的な学習を考える上では①の能動性が全てだと僕は思っている。なぜ勉強しなければいけないのか、目的がはっきりすれば、人は自ずと目標達成に向けて粘り強く、努力が続けられるものだ。そして、その試行錯誤の過程で、自分なりの効果的な学習の方法論をあみ出していくものだ。

本書の第2章では、できなくなる子の事例を幾つも挙げている。曰く、「受動的勉強には限界がある」――塾で与えられた問題をただこなしているだけでは、普遍的な学習の習慣は身に付かない。曰く、「中高生時代の話題がテレビと部活動だけ」――いろいろなところから刺激を持って来ないと、子供には磨きがかからず、能力が高まらない。曰く、「子供との関わりに人間味のない親は失格」――子供を受け入れ、褒めて、叱咤激励し、さまざまな温かみある関わりを子供と持つこと…。

これらは、親に対するメッセージでもあると同時に、子供たちに対するメッセージでもあると思う。動機付けや目標設定は親が頑張ったってどうにもならないところで、本人達が自分が何をやりたいのかをはっきり自覚しないといけない。父親としての自分が中高生時代に何を考え、そしてどのような選択をして今に至っているのかを、子供たちに話してやること(勿論それは子供たちにとってはあくまで選択肢の1つとして)、そして、子供たちが多くの選択肢を得られるよう、いろいろな刺激を与えることが僕らには求められるが、最終的に何をすべきか、何をやりたいのかを決めるのは子供たちだ。

読みながらいろいろなことを考えることができた。ただ、第3章以降は著者の自慢話だったり、第1章と第2章の繰り返しだったりして、ちょっと中だるみ感がある。最初の2章が全てだと思う。ここだけでも十分に考えさせられる示唆が得られる。

この2章だけ我が子に直接読ませたらどうかと考えたが、やめた。これまでの自分の生き方を自己分析し、そして両親の自分への接し方を振り返ってみて、子供達が「自分がダメになってしまう」と思い込んでしまうリスクがあると思ったからだ。「受動的にしか勉強していない」「確固たる将来の目標がない」「家ではテレビとゲームぐらい、オフタイムに外出するのは塾か部活動ぐらい」「父親も週末は自宅近辺に籠り、自分のことに忙殺されている」――「できなくなる子」の類型が結構自分に当てはまる、そう思い込んで自分にタガをはめてしまう恐れが相当にある。

ただ、その一方で、我が子を傷つけなくないために、そうやって我が子の行く手に待ち受ける障害を予め取り除いてしまう親、はしごをかけて橋渡しをしてしまう親が子供をスポイルするとも書かれてあった。いったいどうしたらいいんだろうか。悩みは深まる。


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