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『宮本常一、アジアとアフリカを歩く』 [宮本常一]
出版社/著者からの内容紹介民俗学者がアフリカの多様な民族構成を見たらどう感じるのか――宮本常一の著作を読み始めてから1年少々になるが、この疑問はずっと僕の頭から離れないでいた。日本国内をつぶさに歩き、あれだけの膨大な著作を残してきた宮本が、海外でフィールドワークをやったという記録は殆どない。民俗学者は日本国内と外国とでそのフィールドが明確に線引きされていて、お互いの領域を「侵犯」するようなことはあまりなされてこなかったのかもしれない。
生涯の4000日以上を旅で過し,その足跡で日本地図を塗りつぶしたと言われる程の大旅行家だった民俗学者宮本常一が,海外にでたのは晩年になっていた.本書は,これまで一般に知られていなかった東アフリカ,済州島,台湾,中国のフィールド・ワークの記録をはじめて集成し,宮本民俗学の再評価を迫る貴重な1冊である.
実は宮本の場合、海外に出かけたのが昭和50年(1975年)のケニア・タンザニア旅行が最初で、その時既に68歳だった。その後済州島や台湾旅行を経て、中国・香港を旅したのが昭和55年(1980年)、73歳の時で、これが宮本の最後の海外旅行だった。海外旅行は全て晩年のことであり、最長だった東アフリカ旅行が44日間だったのに対し、残る3回は8日~11日という短いものだったらしい。若いころに肺炎を患って片肺でフィールドワークを重ねてきた宮本にとって、言葉もわからぬ未知の土地を、長時間の飛行機、列車、バスに揺られて出かけて行って調べるというのは体力を相当に消耗するものだったに違いない。日本での民俗調査を積み重ね、ある程度日本を理解した上でそれとの比較軸を明確にした上で海外調査に行くというのは理想だったのかもしれないが、とてもフィールドを広げる体力はお持ちでなかったのだろうと思う。
つくづくフィールドへは若い時に行っておくべきものだ。
初めて訪れた異国の地で、宮本がどのようなポイントに注目し、どのような発言をしたのかが、本人および同行者の視点で述べられている。限られた時間の中で、あれもこれも見てみようと好奇心全開にして動き回られる姿が印象的だが、それ以上に興味深かったのは、東アフリカに同行した探検家・伊藤幸司氏の日記の随所に書かれた宮本の発言の引用である。ああそういう見方があったのかと思う。
もう1つ嬉しかったのは、旅先であるタンザニアのアリューシャで、現地派遣中の青年海外協力隊(JOCV)の隊員と交流していることである。タンザニアへのJOCV派遣は1966年開始なので、1975年当時に隊員が現地にいても何ら不思議ではないのだが、旅先でトラブルに遭った宮本を、現地にいた隊員が助けているシーンがある。それでJOCVで現地活動している隊員がいることを知るわけだ。交流することで、隊員もいろいろと新しいものが見えてきたのではないかと想像する。僕は現場での実践で裏打ちされた宮本の現地の人々へのアプローチの方法論を多くの隊員の人が知る機会があったらいいのになと思っていたのだが、宮本の生涯の中で直接的に隊員と接したのはこの時ぐらいだったのではないだろうか。
一方、参考になるところは本書には多いとはいえ、独立後10年程度しか経過していないケニアと民族の多様性が時として対立に発展してしまうリスクをはらんでいる今のケニアを比べるのはちょっとしんどいと思った。また、台湾・蘭嶼や台東の先住民が先進社会の経済や文化に巻き込まれていくのを予見させる姿にも、感心を通り越して寂しさも多少は感じた。
2012-03-17 11:46
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