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週報(2/6 - 2/12) [備忘録]

病人
この言葉がピッタリの1週間だった。先週末は首の凝りから頭痛に悩まされ、週明けも頭痛が抜けずに、6日(月)は早退して医者に出かけた。インフルエンザの検査結果はネガティブだったが、とにかく睡眠時間を確保した。翌7日(火)は朝方まだ頭がふらついたけれど、他に2人を巻き込んで日程調整をしてあった打合せが出先であったので、遅めに家を出て出先に直行した。その後、午後は会社に戻って普通に仕事した。病み上がりでは剣道の稽古もままならないと、この日の稽古は休むことにした。

週半ばの8日(水)夕方頃からは左肩の異常なだるさに悩まされた。最初は湿布薬等でごまかしていたが、9日(木)もだるさが残った。少し肩を動かせば楽になるのかと思い、木曜夜に病み上がりの剣道の稽古に行こうと考えた。朝8時前に出勤して仕事にかかり、夕方は予定通り定時で会社を後にしたのだが、総武線各駅停車は市川駅で起きた人身事故のせいでダイヤが乱れており、道場に通える時間に自宅に戻れなかった。仕方なく、夕食後自宅で素振りして、万歩計の歩数を少し稼いでおこうと思って30分ほど歩いた。娘や末っ子が付き合ってくれたので、途中300メートルぐらいのランを入れたが、走っていて特に異常はなかった。肩のだるさはお陰で解消されたと思った。

そして明けた10日(金)朝、今度は腰の痛みだ。これまでも左臀部から左ももの裏あたりにしびれを感じることはあったし、長時間横になると腰のところに泥が溜まったように痛さを感じることはあった。しかし、これまでは朝風呂で温めたら痛みは引いて、出勤するのに支障など感じたことはなかったのだが、この日は朝風呂で温めた後も、暫くするとまた痛みがぶり返してきた。それでもなんとか出勤はできそうだったので家を出た。椅子に腰かけたり、立ちあがったりする動作はきつかったが、仕事していればそのうちに楽になるだろうと期待した。しかし、腰の痛みは夜まで引かなかった。

11日(土)朝、腰の痛みはさらにひどくなった。はっきり言って、動けなかった。腰が伸ばせないし、逆に前傾姿勢になるのも激痛が走る。ネットで調べてみてもどう考えても腰椎椎間板ヘルニアの症状だ。トイレに行って便座を上げるのも、ズボンを下げるのも、用を足してお尻を拭くのも、ズボンを上げるのも苦しい。横になっているのがいちばん楽だった。それでもブログを更新できたのは、横になっていても時々痛みが襲ってきたからだ。固い椅子に座るのが少し楽だったが、それも長時間になると腰が痛くなってくる。横になるのと椅子に腰かけるのを繰り返したが、午前から午後にかけてどんどん悪化する感じだった。この日は、娘の中学受験のためにずっとお預けにしてあった水族館行きのため、妻は娘と末っ子を連れて日中外出した。祭日だったので医者はどこの開いていないから、この日のうちに行って来いと無理して行かせた。取りあえず1日耐えた。夜も、早々に横になって寝た。

今悩んでいるのは、僕は15~17日に韓国・ソウルに出張し、中1日置いて19~21日にフィリピン・マニラに出張することが予定されていて、それまでに治せるかどうかということである。いずれの出張でも現地で発表をやってくることになっていて、その発表は誰かに代わってもらえるというものでもない。マニラの会議の主催者には取りあえずフェースブック経由で第一報を入れた。ソウルの方は、週明けだ。

さて、そうして迎えた12日(日)、早朝、この記事を書いている時点ではなんとか無事です。睡眠時間もタップリだが、腰はやっぱり痛い。今日こそは病院。今日中に診療の予約が取れたカイロプラクティックに行って来た。だいぶ楽になったけれど、少し長い時間1人で歩くのはまだ怖い。もう1日休んで様子をみることになりそうだ。

12日はホイットニー・ヒューストンの訃報が伝えられた。マイケル・ジャクソンの時以上のショック。というのは、ホイットニーは僕と同い年だし、僕が1985年に米国留学した際に、ホイットニーの音楽テープを散々聴いて英語の勉強をしたからだ。英語の歌詞を本気で覚えようと試みた初期の僕の努力を支えてくれた素材が、「Saving All My Love For You」や「Greatest Love of All」であった。ヘッドホンで流していて夢にまで出てきた。今でもある程度は口ずさめる歌である。


タグ:Whitney Houston
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