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『東アジア安全保障の新展開』 [読書日記]

東アジア安全保障の新展開 (平和・コミュニティ叢書)

東アジア安全保障の新展開 (平和・コミュニティ叢書)

  • 作者:五十嵐暁郎・佐々木寛・高原明生編
  • 出版社/メーカー: 明石書店
  • 発売日: 2005/04/15
  • メディア: 単行本
内容(「MARC」データベースより)
古典的な安全保障論では東アジアや世界の現実は対応できないものに変化してきている。安全保障という古典的な概念が今日転換期を迎えているということをあらためて実感させる書。
最近の僕の「藁をもすがる」的な読書のペースは、なんと10月に入ってからは1日1冊近いペースになっている。暇なのかと言われるとそうではないが、熟読というよりは拾い読みをしているような状態だ。ましてや本書のように、どこかの研究会が行なった合宿形式の研究カンファレンスの成果を取り纏めた論文集の場合、読者の僕が興味のある論文とそうでない論文とは明確に分かれる。300頁近い専門書であっても、実際読んだのは半分ぐらいだということはよくあることだ。

本書の場合、「東アジア」の定義がロシア、中国、朝鮮半島、台湾辺りまでを含めた環日本海・東シナ海辺りまでなので、僕が一般に慣れ親しんでいる、「東南アジア」を含めた広義の「東アジア」とは研究対象が異なっているというのが読み始めてすぐに気付いた本書の視点だった。読んでいて有用だと感じたのは僕にとっては以下の論文である。

■佐々木寛「新しい安全保障研究に向けて―現代「安全保障」概念の位相」(第1部第1章、pp.14-42)
■五十嵐暁郎「グローバリゼーションと日本の安全保障における視座の転換」(第2部第1章、pp.108-146)
■古関彰一「日本における安全保障概念の再検討」(第2部第2章、pp.147-169)
■古城佳子「東アジアにおける経済と安全保障」(第2部第3章、pp.170-191)

ただ、どこか本書の論点をシンボリックに表現しているところがあるとしたら、それは五十嵐教授が書かれた「おわりに」だろう。本書は、結局のところ、「安全保障」という古典的な概念が今日転換期を迎えていると主張している。そのポイントとして五十嵐教授は3点挙げているが、沖縄を我が国の安全保障の最前線と捉えて沖縄の現実を考える必要性を強調している第3点目はともかくとして、最初の2点は敢えて引用しておきたい。
第1に、危機の大きな部分は日常生活の中に潜在していることである。環境問題のような私たちの日常生活そのものの中、ジェンダー問題のような人々の意識の中、そして安全保障についての世論や専門家の思考の中にも潜んでいる。安全保障のそうした現実を前に、私たちは、「非日常的に表面化するものを日常的にも可視化し、暴力との関係を切り離す」洞察力を必要としている。

第2に、グローバリゼーションの1つの側面として、世界中のほとんどの地域や集団が同様の危機に同時に直面していることによって、共通の危機感や対策が生まれている。とりわけ、その最前線にいる専門家やNGOの間には、国境を越えたネットワークが生まれていることが指摘されている。私たちは、彼らの活動に希望を見出すとともに、その活動を支援しなければならない。同時に、こうしたネットワークが十分にその機能を発揮できるとともに、民主的に運営されるよう注視しなければならない。(p.290)

ここで言われている「安全保障」の概念の転換というのは、もっと端的に言えば「人間の安全保障」のことであるといえる。僕は学生時代に副専攻で国際関係論というのをとっていたが、そこで学んだことは基本的には「国家」の視点を持った安全保障だった。それが今や、守るべきものも、守る主体も、迫りくる脅威の主体も「国家」ではなく、ひとりひとりの人であるとする概念が出てきた。「個人と国家の架け橋となる市民社会やコミュニティに焦点をあて、人々の保護とエンパワーメントを強化することで『国家の安全保障』を補完し、より幅広い脅威に対応すること」だとする考え方だ。
国連の「人間の安全保障」は、国家安全保障が等閑視してきた「人間」に安全保障の焦点をあてているばかりか、脱「国家」の視点を持っている点で注目に値するものといえよう。従来からの安全保障は、国家の専有物であり、そこに「国民」が動員されてきた。軍人はいうまでもなく、警察も刑務官も自国籍を求められている。戦時体制では例外なく国籍が鋭く問われ、他国籍者は敵対視される。これに対し、人間の安全保障は安全保障を国家の専有物から解放し、その担い手を、特定の「国民」に限られないものとした。むしろNGO(非政府組織)は国家の政策・利益に拘束されず、政府組織が接触不可能な地域に接触を可能にするなどの利点があると積極的に評価されている。国家安全保障は「国民国家」を前提としてつくられてきたが、人間の安全保障は、人の移動が国際化し(難民のように移動を強制されている人々も含めて)、国籍のある国と住んでいる国が一致しない人々が数を増やしている時代に対応しようとしている。
 また、軍事力による国家安全保障が、起こった脅威を力によって対症療法的に殲滅するのと異なり、人間の安全保障は、紛争の原因を除去し、紛争下の人間を保護し、紛争を予防することを目的としているといえよう。(pp.165-166)

あとは、個人的には第2部第1章の(2)「海賊・不審船」に関する記述は非常に興味深かった。ここは広義の「東アジア」を視野に描かれており、マラッカ海峡や南シナ海に出没する海賊に対する海上保安の各国協力体制について述べられていた。

1日1冊に近いハイペースでの読書になると、このブログも毎日読んだ本についてちゃんとメモと感想を述べなければいけなくなる。これもちょいと苦痛で、実は現時点でも既に読了しているのにブログでご紹介していない本が2冊、さらに読みかけの本がもう1冊ある。なんだか「マッチポンプ」だな。
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冬嫌い

ご無沙汰しております。
海上保安や安全保障あるいは、海賊関係の本、私は日本の本が気軽に読めないのですが、英語の本であれば、海上保安や安全保障の問題になるとシンガポールのナヤン工科大学でリサーチが有名で、シンガポールでセミナーも頻繁に開かれているみたいです。(行ったことはないですが)。書籍はシンガポールのInstitute of Southeast Asian Studiesからでいろいろでています。ASEAN関連で全般的には、いろんな分野の本を出版しています。

こちらでいて、海上保安の協力は思っている以上に進んでいることを実感しますが、国によっては海軍なんかも入ってきているし、シビリアンコントロールではないですが、外交をやっている人たちと現場の違いも感じます。
軍はネガティブなイメージが強いですが、実は避けていて、あまりよく知らなかったのでは思うこと多いです。例えばアデン湾の海賊対策では、なぜ世界各国の軍艦が派遣され、パトロールに行ったのか?(コストガードでははいけないのか)
by 冬嫌い (2010-10-29 14:38) 

Sanchai

冬嫌いさん、遅ればせながらコメント下さりありがとうございます。
仕事の方がひとやま越したので、しばらくはこのテーマと関わりたくないという気持ちが強くなりました。レスの悪い研究者に振り回されました。
by Sanchai (2010-11-01 19:45) 

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