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『インドネシア』 [読書日記]

インドネシア―多民族国家という宿命 (中公新書)

インドネシア―多民族国家という宿命 (中公新書)

  • 作者: 水本 達也
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2006/12
  • メディア: 新書
出版社/著者からの内容紹介
インドネシアでは、300の民族集団から構成される2億の国民が、400の母語を使用して生活している。一見平和な風景からは、穏健で寛容な秩序が保たれているように見えるが、多様な混沌を統御するために暴力と暴力がぶつかり合ってきたという厳しい現実もある。本書は、第二次大戦後の独立時に起因する問題が、6人の大統領の時代を経過しながら、どう変質して今に至っているかを、丁寧にリポートするものである。
柄にもなく、最近国際政治学っぽい読み物に手を染めている。必要に駆られて読んでいるのだが、読んでいて、中国とか日本とか、タイとかインドネシアとか、それぞれの国が1つの人格を持って行動しているが如くの錯覚を覚えることがある。「A国が~しようとする動きに対してB国は反対だったから、~した」なんて表現を見ていると、あたかも各国が1つの意志を持った行動主体であるかのように思えてくる。国って何なのだろうか。僕が考えていることは「日本」が考えていることとは違うかもしれない。大学時代に国際関係論を専攻したことがあっても、国際情勢について扱った読み物には違和感を感じることが今は多い。

当たり前のことだが、そうした「国」というのは、国内のいろいろな利害関係者の駆け引きや調整の結果として、何らかの方針や政策が表面化してくる。それを見て僕達はなんとなく「A国の考えはこういうことだ」という言い方をしている。言うまでもなくそうした政策や方針が打ち出されるまでには、いろいろな政治家や官僚、業界団体、大企業、市民の間での葛藤があると思う。ましてや1国内での民族構成が多様で国土面積も広く、場合によっては言葉も通じなかったりするような国の場合はそうした葛藤が非常に大きなものとなるだろう。言うまでもなくその典型例は僕が住んでいたインドであり、今回の書籍で取り上げているインドネシアである。

著者は時事通信のジャカルタ特派員をされた方で、2000年代最初の5年ほどをインドネシアで過ごされた。特派員がどれだけの情報アンテナを現地で張り、政府要人の取材等を通じてどれだけ人的ネットワークを現地に築かれたのか、本書を読むととてもよくわかる。そして、国際関係の議論を聞いているととかく無機的で政策や方針に絡んでくる人々の顔がイメージしにくいという部分を、取材を通じて見事に補完されている。最近のインドネシアの大統領、ワヒド、メガワティ、ユドヨノ各氏がどんな性格の方なのか、そして歴史の重要な局面でなぜあのような行動や言動を取ったのか、それを普段の行動パターンや性格から推測されたりもしている。大統領だけではない。インドネシアの高級官僚や国軍、警察幹部等へのインタビューの積み重ねもあり、こうした人々の動きの1つ1つが絡み合いながら、インドネシアという国が描かれていく。

僕はそもそもインドネシアという国についての予備知識があまりにもないため、こうした新書版のハンディな文献で、かつジャーナリストが書かれたものは非常に読みやすくて参考にもなった。

その上で、幾つかあまり僕も知らなかった記述につき、ここでメモしておきたい。

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1)イスラムは1964年にインドネシアが独立した当時、このインドネシアという「国家」にとって、最大の脅威だった。インドネシアは独立の際、イスラム教に立脚した政教不可分の「イスラム国家」ではなく、近代的な法体系と社会制度を持つ「世俗国家」の道を選択した。憲法にサンスクリット語で「五原則」を意味する「パンチャシラ」を掲げ、すべての宗教が共存できるよう「唯一神への信仰」を一番目の原則とし、「人道主義」「国の統一」「(政体としての)民主主義」「(国民に対する)社会主義」を謳った。(p.13)(←なんか、インドと似てますね。)

2)インドネシアでは、最大民族のジャワ人をはじめとして、大なり小なりの民族集団が約300あり、「インドネシア語」という国語意外に母語として身につけている民族言語が200から400も存在する。宗教分類ではイスラム教は87%、キリスト教10%、ヒンドゥー教2%、仏教0.3%に分かれる。国土は東西に5100km、南北に1900kmと広がる(p.116)。それぞれの民族と社会集団は中央との距離や歴史的背景、文化、取り巻く政治社会環境によって全く異なった存在となっている。しかしそれでもインドネシアに暮らす人はみな等しく「インドネシア人」でなえればならない。これこそが、「多様性のなかの統一」を実現するインドネシア共和国の為政者の存在原則と苦悩である。僕達日本人がインドネシアの人を全て「インドネシア人」と見るのは、少なくともインドネシアの為政者にとってはその取組みが成功だったといえる(p.117)。(←なんか、インドと似てますね。)

3)しかし、近年インドネシアのイスラムには変化の兆しが見える。これまで「穏健」「寛容」といった言葉で肯定的に評価されてきたインドネシアのイスラムにおいて、最近、国内各地の自治体では、女性のジルバブ(スカーフ)着用義務や飲酒や賭博禁止等のイスラム条例が施行され、またそれに反対する勢力も出ている。(p.237)

4)(ミンダナオ島とイスラムについて)ミンダナオ島の歴史は、イスラム教徒の抵抗史でもある。フィリピンに伝わったイスラム教は、16世紀中頃にはいったんルソン島南部まで到達した。同時期に侵攻してきたスペインの植民地政策に対してミンダナオ島のイスラム王国は武力闘争を続け、アメリカ統治下でも降伏しなかった。その抵抗はカトリック教徒が支配するフィリピン政府に対しても続けられ、マルコス政権の弾圧に反撥した急進派イスラム青年グループが1970年、ミンダナオ島の独立を目指してモロ民族解放戦線(MNLF)を結成した。1976年にMNLFが自治権の付与を約束された「トリポリ協定」を政府と締結すると、強硬派のハシム・サラマット副議長(2003年病死)は78年に分派し、MILFを発足させて初代議長に就任した。(pp.35-36)

5)(ASEANについて)ASEANは1967年の発足以来、内政不干渉と全会一致の二大原則を柱にして域内問題を少しずつ揉みほぐし、ゆるやかに進化を遂げてきた組織である。だからこそスハルト大統領(当時)をはじめとして各国の為政者は近隣諸国との摩擦を避け、国づくりにエネルギーを注ぐことができた。欧米諸国に対してもそうしたアジア的価値観を前面に出して批判をはね返してきた。(p.191)(←余談ながら、p.173のASEAN年表は参考になる。)

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本書は、このブログの古くからの読者の1人である「冬嫌い」さんからご紹介いただいた。
「冬嫌い」さん、ありがとうございました。
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