SSブログ

『古文書返却の旅』 [宮本常一]

古文書返却の旅―戦後史学史の一齣 (中公新書)

古文書返却の旅―戦後史学史の一齣 (中公新書)

  • 作者: 網野 善彦
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1999/10
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
日本には現在もなお、無尽蔵と言える古文書が未発見・未調査のまま眠っている。戦後の混乱期に、漁村文書を収集・整理し、資料館設立を夢見る壮大な計画があった。全国から大量の文書が借用されたものの、しかし、事業は打ち切りとなってしまう。後始末を託された著者は、40年の歳月をかけ、調査・返却を果たすが、その過程で、自らの民衆観・歴史観に大きな変更を迫られる。戦後歴史学を牽引した泰斗による史学史の貴重な一齣。
いきなり余談ですが、宮本常一の著作に触発され、三鷹市の「文化財市民協力員養成講座」というのを受講してみることにした。今日11日(土)はその初日で、テーマ「農村の暮らしと道具」で講義を聞いた。面白かったです。講義の中で、渋沢敬三が大正14年に設立した「アティック・ミュージアム」についても言及されていたし、文化財保護についての政策形成が昭和25年頃から本格的に行なわれてきたことも、これまで宮本常一の著作をそれなりに読みこんできているので、比較的身近にいらっしゃる多摩地区の学芸員の方が同じような認識を持っておられるのを聞いて嬉しくもなった。それ以上に興味深かったのは「アボヘボ(粟穂稗穂)」という多摩地区の年中行事である。そもそもアワやヒエといった雑穀を作付しなくなった現在ではこういう風習はすたれていってしまったのではないかと思うが、多摩地区で主に行なわれていたような行事があるというのを知れたことは収穫だった。

*アボヘボについては国営昭和記念公園のHPに写真入りの詳細な解説があるのでご参照下さい。
 http://www.m-fuukei.jp/komorebi/kurasi/2006/06_abohebo/index.html

さて、市の教育委員会が育成しようとしている「文化財市民協力員」であるが、民家の訪問調査のようなものであれば僕も参加してみたいなという気持ちがあったのだが、どうも三鷹市の民俗資料収蔵展示室の展示解説のボランティアというのが主催者の期待するところであるように思えたので、そういうのは実際にそういう民具を見て「懐かしい」と思えるお年寄りがやられたらよかろうということで、今後も続けて受講するかどうかはわからない。

前置きが長くなってしまったがここからが本書の紹介―――。

民具の場合は民家を改装したら置き場に困って市に引き取って欲しいと希望される方は多いのだろうが、古文書の場合は昔のその家やそれを取り巻く地域について知る手掛かりになるような貴重な文字情報であるため、民俗学者はのどから手が出るほど欲しいだろうし、逆に持っている側の家人の方は大事な家の宝だから自分のところに置いておきたいと思うことが多いだろう。そうした場合の両者の間の落としどころは、はやり調査のために借り出し、丁寧に読み説いてできれば写真に収め、そして期限までに返却するということなのだろう。ところが、古文書の取扱いや判読については昔はあまり方法論が確立されておらず、各地で調査チームが借用証書を書いて古文書を借りても、返却期限が3~6ヵ月などという大甘な設定がされており、その間にも全国各地での調査で集められるだけの古文書を集めるのに調査チームが全精力を傾け、逆に解読の方がいい加減な見通ししかなかったために、30年も40年も持ち主に返却されない事態に陥っている古文書が結構多いらしい。

「来週やろう」「明日やろう」などとどんどん先延ばしにしていくうちに、調査プロジェクトが所管官庁の予算削減の憂き目を見て、チームから学芸員が1人去り、2人去りとどんどん離散していくと、経緯もよくわからない未整理状態の古文書が段ボール箱の山となって積み上げられているという事態に陥る。そうするといつまで経っても古文書は日の目を見ない。そのうちに文書収集を行なった当事者が亡くなったりすると、経緯を調べるのも至難の業だ。よくわからないが前からそこにある段ボール箱の山―――僕がそういうものを新しく赴任した職場で見せられても、経緯を知らないものを自分が整理などできるかと開き直り、何もやらずに放っておくというのがありがちな対応だ。そうした結果が、30年40年も借りっ放しで倉庫で放置される資料ということになる。

それだけに、著者が昔自分や自分の同僚が借用証書を書いて全国各地から借りてきた古文書を持ち主に返却するという作業は、それをやろうと決意したことも凄いと思うし、そこから実際にやり遂げて全資料の返却に目処が立ってきたというのは驚くべきことだと思う。宮本常一も含め本書に登場する民俗学者の多くは、自分が借りてきたものを「いつかは返却しよう」と心の片隅にずっと抱き続けながら、なかなか着手する機会に恵まれないでいたずらに時を過ごしてきた。他界される直前に著者に対し、「これで肩の荷が下りた…」などと語っている方が多いのは、そうした「心の痛み」が相当に大きく、他言できず1人我慢するのもしんどいものだったのだろうなと想像する。そして、そうした諸先輩方の遺した一種の「負の遺産」の清算に奔走する著者の姿から、著者の民俗学に対する責任感の強さを垣間見えたようで非常に好感が持てた。

調査を行なえば調査地の人々と今後どのように付き合っていくのかが大きな課題となってくる。借りたものは返すというのは、それが民具であろうと文書であろうと当たり前の行為だと思うし、調査を行なった後の対象地に何を「お返し」していくのかは非常に重要な課題だ。お礼状はしっかり書き、自分の方の近況とか、調査の結果がどのように活用されているのかとか、そういうことを伝えていくことはとても大事なのではないだろうか。

そういうことを学べる1冊だと思う。僕はこれまでの民俗学の本を何冊か読んでいたので本書もさほど苦もなく1日で読めたが、おそらく予備知識がなくてもかなり読みやすい本だろうと思う。現地調査というのをやって地元住民と交流しようとしている人は一度読んでみられてはいかがだろうか。
nice!(2)  コメント(1)  トラックバック(1) 
共通テーマ:

nice! 2

コメント 1

nmzk

私も読みました(^O^)/
by nmzk (2010-09-12 22:08) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 1