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宮本常一著作集1 [宮本常一]

宮本常一著作集 1

宮本常一著作集 1

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 未来社
  • 発売日: 1986/08
  • メディア: 単行本
宮本常一著作集1は、第一刷発行が1968年(昭和43年)となっている。サブタイトルには「民俗学への道」とある。同名の著作は元々は1955年(昭和30年)頃に発刊されているらしい。1907年(明治40年)生まれの著者が還暦を迎えるまでの歩みとこれから歩もうとしている道が示されている。特に、これまで写真集とかで承知している戦後の宮本の業績とは別に、1935年(昭和8年)に歩き始めて終戦に至るまで、宮本がどこで何をしていたのかが調査地での見聞や考察を織り交ぜてかなり詳細に描かれている。

第1章「日本民俗学の目的と方法」は、民俗学がどのような領域をカバーする学問として整理されてきたのかを描く。民俗学が対象とした領域というのは、仮に僕らがどこかでフィールド・ワークを行うことになったりした場合、どのような視点から調査を行うのか、調査項目をリストアップするのには有用だと思う。

第2章「日本民俗学の歴史」は、明治から戦後に至るまでの日本における民俗学の発展の系譜を描いている。ここでは柳田國男のような超有名な民俗学者も登場し、その他在野の郷土研究者たちの研究業績が詳述されている。例えばこの領域で何か先行研究をレビューしたり、ある特定テーマに関して学界で一般的に言われている通説とは何かについて確認したりするのには有用だろう。

第3章「日本民俗学関係一覧」は本書執筆までに日本で蓄積されてきた研究業績や学術誌、地方民俗誌等のリスト。

そして、第4章「あるいて来た道」は、昭和8年から歩き始めた宮本が、毎年毎年どこを歩き、何を調査し、何を発表してきたのかを整理したものである。どのような経緯からそこを歩き始めたのか、そこで誰と交流したのか、そして何を学んだのか、どのような興味ある発見があったのか、全体としてはダラっとした構成だが時として非常に細かく描かれているところもある。

おそらく、民俗学に多少なりとも関心があるような人は最初に読むべき本だと思うし、僕自身もそういう意識で読んだ。「昭和30年当時の」と但し書きがつくが、宮本常一民俗学の入門書として最適だろう。そして、僕が生まれる前に書かれたような本も今でも相当な価値があることに気付かされる。宮本が歩き回った当時の日本の農村社会の豊かさ、近隣の地域との間でも大きく異なる風俗習慣等を読むと、今の日本社会が全国津津浦浦まで画一化が進んて地域のユニークさが失われてきているのが寂しくなる。そして、今生まれてこれからの日本を生きなければいけない子供達にはできれば知って欲しい日本の豊かさがそこに描かれている。難しいことだが、宮本作品を1冊2冊でもいいのでうちの子供達には読んでみて欲しいと思うのである。

さて、全体的なコメントをした後は恒例の気になる箇所を引用させてもらいたい。

 民俗学はただ単に無字社会の過去を知るだけではなく、その伝統が現在へとどうつながり、したがって将来に向ってどう作用するかも見きわめなければならないと思う。停滞し、固定しているものとしての無字社会の伝統を見るのではなく、なお生きて流動しているものとしてとらえたいのである。単なる遺物遺風の調査ではない。民俗伝承は一見消えているように見えても実は形をかえて生きているものが多い。というよりもむしろそれが新しい文化を推進していく力にもなっている。(p.80)

日本にもそのはじめは狩猟社会が存在し、それが完全に農耕社会に吸収せられたわけではなく、山岳民となり、また武家社会を形成した中心勢力は狩猟民の後裔ではなかったかと思っている。このような想定が実証せられるためには狩猟社会がもっと追求せられていいし、山岳社会の調査研究もおこされていいと思う。どういう村がえらばれるべきかといえば、これまでのべてきた多くの例によって、変化の比較的少なかった村がまずとりあげられるべきである。そして、1つの村がどのように維持せられて来たか、維持せられているかを、こまかに検討し生活共同体としての姿を明らかにすべきであろう。
 また生活共同体としてなりたつためにはどれほどの手段が必要になるかの追及も大切である。戦後の学者たちは農民社会は支配者たちに搾取され、圧迫されその下で悲惨な生活をしてきたと説いて来た。それは支配者の側から見た見方である。農民には農民の世界があった。食物をはじめ、生活に必要なものを生産するために、またみずからのいのりを守り、家をまもってゆくために集団共同して住み、その社会が安全に自営できる方法を考えた。村はただ人が集って住んだというだけでなく、群をなしてしかも有機的に結びついて住むことによって多くの危険からのがれることができるだけでなく、さらに個々の生命や生活を発展させることもできる。本来村は主体的なものであり、村の主体性をまもるためにそこに住むものはあらゆる手段と方法を講じた。個々はその村の中の成員であり、この集団社会を守るために皆懸命に生き、これを阻害しようとするものに対して抵抗し、また自衛したといっていい。農民の側から見ればそういうことが言えるのである。(p.76)

 新しい社会においては誰が、またいかなる階級が、いかなる組織によって、村の自営自治を完成し、社会進展に貢献せしめるようにするかははなはだ考慮を要する問題である。このような意味から、古き伝承がいかに展開せられつつあるかについても考えてみ、それを現実について見ようとするようになった。農村社会は農地の解放や、小作料引下げのみで民主化せられるものではない。逆にそのことによって、耕作農民は零細化し、よりいっそう土地に強く結びつけられる。かつ供出制度などによって新しい封建社会を産もうとさえする危険を持つ。脱皮したと思っていると、より大きなかたい殻の中に入っている場合がある。
 真の進歩のためには、容易ならざる苦心と努力と自覚が必要であって、旧社会がいかに新しくなって行くかもじゅうぶんに注意しなければならない。(p.246)

昭和18年頃、宮本は渋沢敬三が主宰するアチック・ミュージアムの事業の一環として、東京・保谷の民俗博物館の資料の整理に関わっているが、ここで行なわれた民具整理において、いろいろなことを教えられたという。
集められた民具のうち、藁製品の多いことがその1つである。毛皮を持たぬわれわれが藁をいかに多く使ってきたかは、こうして集めてみるとよくわかるのである。日本人が米を食べたのは単に米の味に魅力があったからばかりではない。藁がいろいろの面に利用せられたことも忘てはならない。そしてわれわれは藁によって帽子もマント(ミノ)もランドセル(ネコダ)もゲートル(ハバキ)も靴(ワラグツ)もつくっていたのである。明治になって西洋の物質文化がきわめてたやすくとり入れられた素地は、われわれの持つ古い文化の中にも十二分にあった。(p.236)

村でフィールド・ワークを行なう場合の心得のようなことも書かれている。村人への聞き取りで自分が知りたい情報を如何に引き出すかはいかに村人の心を開かせるかに始まり、彼らの話す端々に見え隠れする本音や本人も自覚していない本質をいかに探知して深掘りしていくのかの具体的方法論への言及もかなり多い。
旅をしたことのない人たちから、直接その人の興味のないような話を聞き出すときに、質問はたんねんで、しかもその人の気分を壊さないようにしなければならない。とくに女の人から話を聞くときには多くの注意を要する。相手が話すことに興を覚え、警戒心がなくなってくれば、ノートを出して話を書きとめても大丈夫であるが、一般にはノートを出して書きとめようとするといやがるものである。(中略)そこで女の話は女性の学徒の採集に待つのがいちばんいいということになってくる。話者が男である場合は聞き手が女であってもらくに話してくれるものである。また家族の者たちのそろっている所で話を聞くのもいい。これにはつつみかくしがない。質問が相手に徹底しないときには口をそえてくれる者がある。(p.266)

このような調査はたんに質問条項だけを父兄(註:ここは小学生が行なった社会科調査について書かれた箇所)たちから義務的に聞いてくるようなことに終ってはたいして効果がない。さらにすすんでそこから新しい問題を見つけだすようにならなければならないのである。そのためにはヒヤリングすなわち聞きかたが上手になってこなければいけない。読み書き・つづり方・話し方が上達してくるばかりでなく、見方、聞き方が上手になることが人間成長の上にはなによりも大切である。(p.270)

また、宮本が「調査地被害」の中で語っているような古文書持ち出しの問題について、本書でも言及がある。自分は苦労したと他人事のようなトーンで書かれているが、網野善彦によると、そういう宮本自身も史料を調査地に返却していないケースがあったという。
こういうもの(註:古文書の調査)は民俗調査のように一人旅で聞く耳をたててあるくのでは効果のうすいものである。どこに何があるかを一応たしかめておいていくか、または村役場などの協力がないと十分の効果をあげることができない。
 それに借りうけた場合にはできるだけ早く読解あるいは筆写などをすまして返還すべきであるが、それをおこたると調査を困難にする。瀬戸内海地方は大正時代に海賊の調査をした学者がいて、その人が多くの資料を借りていって、そのままかえさないものが多かった。それでかえってその人を海賊とよんでいたが、そういう前例のあるために見せることをしぶる人も少なくなかった。
 しかもようやくにして借り出したが、私たちの仲間もまたその返還をおくらせてしまって各地で悪評を買い、その後の調査に支障を来たしたことが多かった。最近借りうけたものはやっとそれぞれ持主に返すように手続きしてもらってホッとした。この古文書調査に参加したことで、その後の民俗調査にはできるだけ古文書や役所にある明治時代の資料に目をつけるようにしたし、また漁村調査にあたっては漁業権の証書をまず見せてもらうことにした。それですぐその浦の漁法や漁業権を知ることができ、出漁範囲もたしかめられる。そしてそれを中心にして話を聞いてゆくと、いくらでも聞き出せた。(pp.287-288)

最後に、そうしたフィールド・ワークを通じ、自分の行なった調査の蓄積が次の世代に引き継がれていかないリスクを宮本はすでに感じ取っている様子も窺える。全国を歩き回り聞き取りをしてノートに書き留めたメモは膨大な量になるようだが、これらの中からひとつひとつを取り上げて整理し問題提起していくことに意義は感じつつも、本人の時間的制約や分析能力の制約に加え、そもそもの調査研究対象である日本の農村コミュニティが失われていき、民俗学的研究価値が失われていく可能性を示唆している。
何らかの形で問題を提起しておくだけでもいいのではないかと思うが、さて他の人びとがそれにとりくもうとすると、世の中が大きくかわって、思ったようなデータすらとれなくなっているのではないかと思う。他の人びとのおこなった最近の報告書をよんで見ても、もとあったはずの民俗が消えていっていると考えられるものが多く、そういうものをもとにして過去への遡及はむずかしくなっていると思われることが多い。むしろ現在は学として、古いものがどのようにして姿を消すか、そのあと何によっておきかえられていくか、古いものがのこるとすれば、それはどういう形で、どんなにのこり、現代社会にどんな意味をもち役割をはたしているであろうかということを追及しなければならない。(pp.295-296)

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