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インドのことはインド人に聞け! [読書日記]

インドのことはインド人に聞け! (COURRiER BOOKS)

インドのことはインド人に聞け! (COURRiER BOOKS)

  • 作者: 中島 岳志
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/12/05
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
本書では、インドで国内の読者に向けて書かれた雑誌や新聞の記事から、現代インドを理解するために重要と思われるものをテーマ別にセレクトし、日本語訳に解説をつけた。
月刊誌『クーリエ・ジャポン』で昨年あたりに連載されていたコラムを集めた1冊である。そもそも『クーリエ・ジャポン』自体を職場の同僚から何度か「読んで下さい」と言って渡された何号か読んでいるので、収録されている章の幾つかは既に知っている。復習みたいなものだ。

そもそも著者が現代インドで注目するのは大都市中所得者層の直面するジレンマであり、それは前著『インドの時代』でも存分に語られている。インドに関して書かれている日本の活字メディアといったら、高度経済成長で潤う都市中高所得者の生活向上か成長から取り残された農村の貧困層の惨状かどちらかしかなく、都市中所得者層の苦悩といった成長の影の部分はあまり注目されてこなかった。そこが本書の付加価値かとも思うが、『インドの時代』は著者の直接取材に基づいて書かれたのに対し、本書はインドの週刊誌や全国紙からシンボリックな記事を選んで翻訳し、著者が最後にコメントをするというお手軽なもの。つまりは僕がこのブログでやっていることと大して変わらず、これで本が出せるのなら僕もやってみたいものだとつい思ってしまった(苦笑)。

僕が駐在していた頃のインド社会を見る眼はかなりの部分が『インドの世紀』に負っている。「中流社会が”亡命”する「ゲーテッド・コミュニティ」とか、「都市の若者は”出会い系”で人生のパートナーを探す」とか「”現代流の子育て”が招いた「家庭の崩壊」」とかは、このブログでも何らかの形で扱ったことがあるテーマである。特に「ゲーテッド・コミュニティ」で隣人の顔も知らず会っても挨拶も交わさないという話は、意外とインドもコミュニティの崩壊が取り沙汰されるのは近い将来のことではないかと思わせられた。まあ僕はそれに高齢者の視点とかを加えたりもしているのだが。

勿論、インドに住んでいたのだから目新しい記述がそんなに多いとは思わなかった。

そんな中で僕的にちょっと惹かれた話が2つある。

1つは、創価学会がインド人の心を掴んでいるという記述。僕は学会員ではないのでこの記事を得意気に書いているわけではないという点は最初にお断りした上で、インドに住んでいて驚いたのは、音楽チャンネルである「Channel V」で、明らかに「南無妙法蓮華経」と連呼する音楽ビデオが流されているのに気付いたことと、僕が離任する直前まで住んでいた家の大家さん(シーク教徒)の娘さんが創価学会インターナショナルのニューデリー支部の有力メンバーだったというのを知ったことだった。
創価学会やレイキが広まる最大の理由はカーストの問題ではなく、むしろスピリチュアリティの流行に近いだろう。インド創価学会のメンバーは、ヒンドゥー教徒でありながら創価学会にも属しているという人が多い。彼らはヒンドゥーから仏教へ改宗するという意識はほとんどなく、自らの信仰形態を維持しながら、オルタナティブな心の指針やスピリチュアリティを得るために、創価学会に接近しているということができよう。(p.117)
ヒンドゥー教徒だけではない。シーク教徒であっても学会員というのは両立するというのが感じられた。本人には聞かなかったが、多分彼女は地元の有力者である父親と一緒に近くのグルドワラ(シーク教の寺院)に礼拝に出かけているだろうし、あの厳格そうな父親が娘に何も言わないのは、両立することができると考えているからだろう。本書によるとインド創価学会の会員数は38,000人以上に上るという。

もう1つは、ボリウッド映画のスーパースターの出演料の高騰に関する記述である。シネプレックスは僕もよく利用したが、一般の映画館なら50ルピーも出せば相当いい席で見れる映画が、シネプレックスだと200ルピー以上もするというのを何度も経験した。インフラ投資費用を回収する必要性はわかるにせよ、高いなというのが実感で、シャー・ルク・カーンはもはや低所得層にはアクセスできない映画俳優となりつつある。なんで出演料が高騰しているのか、本書は次のように説明している。
「現在、大きな製作配給会社のほとんどが上場しており、四半期毎に業績を出さなければなりません。そのため、アクシャイ・クマールやシャールク・カーンといったスターに頼るようになり、出演料も高騰しています。製作費5億ルピー(約10億円)の映画で、スターの出演料が3.5億ルピーという場合もあります。製作配給会社は、そうした経費を回収するため、映画館からも取れるものは取ろうとしているのです。」
 アチャーリアに言わせれば、この問題の最も合理的な解決法は、監督と俳優の報酬に成果主義を導入する、というものだ。だが、その実現は難しそうである。
「アクシャイ・クマールもシャールク・カーンも世界に1人しかいません。ある会社が彼らを起用しなくても、別の会社が彼らの要求する額を払うことになるでしょう。しかも彼らは一括払いを要求しています。公開最終日まで映画の宣伝に関わり、映画の中身に責任を持つスター俳優と言えるのはアーミル・カーンだけでしょう。最近、彼は報酬をすべて成果主義でもらっています。これこそ映画業界が今後進むべき道です。」(p.175)
こういう話を知ると、アクシャイ・クマールやシャールク・カーンがなんで年間何本も映画に出演するのかがなんとなくわかったような気がするし、心情的にはアーミル・カーンをさらに応援したいという気持ちになりますね。確かに、アーミル・カーンはこれでもかこれでもかというぐらいに映像メディアに露出して出演映画のPRをやっているような気がする。

そんな本書でも、カバーされていないインドも存在する。それは、都市で生活する最底辺の人々の暮らしである。また、著者は農村の貧困層の生活をあまり取材対象として取り上げないが、著者はまずカバーせず、ましてや日本の活字メディアもあまりカバーしないグループも存在する。毎日の生活が苦しくても、めげずに生活改善や所得向上活動に繋げていく頑張る農民、明るい農村の姿である。都市貧困層を見る視点は僕のブログでも十分とは言えないが、「明るい農村」を照らす視点は意外と僕はブログでカバーしていると一応PRしておきます。


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