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『傲慢な援助』 [読書日記]

傲慢な援助

傲慢な援助

  • 作者: ウィリアム・イースタリー
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2009/09/04
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
本書は、善意にあふれた先進国からの援助のうち、たった数パーセントしか本当に必要な人に届いておらず、これまで経済成長に成功してきた国は、援助をそれほど受け入れてはいない国である、という現実をまず冷静に分析する。そのうえで、本当に有効な援助とは何か、どんな援助のやり方が、本当にそれを欲している人々のもとに届けることができるのかについて、これまでの援助のやり方とは異なる援助を提案する、いわば、論争の書である。
実を言うと、6月下旬に日本に帰ってきて、いずれ早い段階で読もうと考えて7月半ばには市立図書館で借りた本だったのだが、A5判でしかも450頁もある専門書であったため、読み切るのに非常に時間がかかり、夏休みをいただいて里帰りしている最中に250頁近くをイッキ読みしてなんとか締めくくった。

ODAの予算が先進国中5位にまで後退し、しかも一般財政支援のような小国が他人のふんどしで相撲を取るのに適した援助に与しない日本のODAの関係者にとっては、溜飲を下げるような思いがする1冊だろう。但し、安心してはいけない。著者は本書において「プランナー」と「サーチャー」という対立する2つの概念を提示し、プランナーは美辞麗句ばかりを並べたセクシーな計画ばかりを立てたがるが現場を知らず計画通りにことが進まないと指摘し、それに対してサーチャーは常に現場に近い場所でその地域の様々な条件に最も適合する解決策を模索するという。どちらが成果を上げるのかは言わずもがなだという。欧米の援助国や欧米諸国に牛耳られている国際援助機関の援助のやり方に対して内心忸怩たる思いを秘めているであろう日本のODA関係者にとってはまさに福音とも言える1冊だと思うが、その一方で、日本のODA関係者が長期間現場に張り付いて現場のことを住民や現地人スタッフ以上によく知っているところまで「サーチャー」になり切れているかというと、必ずしもそうでもないような気がする。2~3年に1回は担当者が交代し、現場関係者との信頼関係はスタッフの交代がある度に再構築を強いられている。

ついでに言うと、僕は本書の著者と同様、ジェフリー・サックス教授が提唱しているような先進国からの資金の大量動員をストレートには支持しない。サックス教授のお考えが著者がこきおろしているような「ビッグプッシュ論」の焼き直しかどうかは最近の教授の著書を読んでいない僕には判断できないが、大量の資金を動員すれば途上国の貧困は解消されるというほど単純なものではない気がする。要は援助の仕方の問題なのだと思う。笹川陽平会長の日本財団が「ハンセン病」というシングルイシューで国際社会をリードし、医療面でのハンセン病撲滅に成果を上げたのを見てみると、著者の言わんとすることも理解がしやすい。

前置きはこれくらいで、後は本書から気になる記述を幾つか引用しておきたい―――。

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 しかし、私や私と同じ考えを持つ人たちは、貧しい人たちへの援助をやめようと言っているのではなく、援助資金がきちんと貧しい人々に届くようにすべきだと言っているのだ。「第一の悲劇」を少しでも改善しようとするためには、先進国の人々は「第二の悲劇」をきちんと認識すべきだ。そうしないと、世界の貧困を何とかしようといういまの世界中の人々の熱い気持ちは、結局のところ、過去の過ちを繰り返すだけになってしまう――理想に燃え、期待通りの成果が上がらず、情熱が薄れて忘れられてしまう。
 我々が重視する第二の悲劇の原因は、世界の貧困問題に対する先進国のこれまでのアプローチが間違っていたということである。本書で言いたいのは、結局のところ、「ビッグ・プラン」を改革しないことには貧困問題は解決できないし、飢餓に苦しむ人々を救えないということだ。これまで50年間、多くの、著者よりも頭のいい専門家がいろいろな考え方を試みたが、それらはことごとく失敗してきた。このことを自覚することが、問題解決の突破口になるだろう。(pp.7-8)

 援助の現場で働いている援助機関やNGOの人たちは、プランナーではなくサーチャーである。しかし残念ながら先進国の政治家たちは右も左もビッグ・プランを支持するために、現場で働いている人たちに上からのプランを押しつけ、彼らがサーチャーとして見出した意味のある仕事から予算も時間もエネルギーも奪ってしまっている。(p.26)

西欧諸国の人々は、昔から貧しい国の人々のことに強い関心があるのではなく、自分たちの虚栄心を満たすことに関心がある。「白人の責務」は、「我々」は選ばれし人間で南の貧民を助ける責務があるという西欧諸国の人々の自己満足から来ている。「白人」は、ハリー・ポッターのように、貧しさを救う主役なのだ。(p.31)

 「我々白人が貧困など途上国が抱える問題を解決してやるぞ」という恩着せがましい考え方を捨てさえすれば、世の中ががらっと変わるということを本書で書いていきたい。援助やIMF融資につけられるコンディショナリティをやめ、軍事介入をやめ、悪い政府に資金をつぎ込むだけのような援助をやめ、個人の機会を拡大するようなマッチング・グラント・プログラムに援助するなどすれば、世界はがらっと変わるだろう。 貧しい国の人々は、西欧が自分たちを助けてくれるのをじっと待っている必要はないし、現に彼らはじっと待っているわけではない。貧しい人々こそが自分たちの暮らしを良くするための最強のサーチャーである。西欧のプランナーは貧しい国々に対する援助を500億ドル増やすべきかどうかを議論しているが、その貧しい国の中の2大国であるインドと中国だけをとってみても毎年7,150億ドルの所得を生み出していることを忘れてはならない。(p.36)

最貧国は援助の「ビッグ・プッシュ」なしには抜け出せない「貧困の罠」(彼らが貧しいのは、出発点で貧しかったからだけだ)の状態に陥っている。ビッグ・プッシュには、発展を制約するすべてのものに対処するための投資と活動が含まれ、ビッグ・プッシュがあれば彼らは自律的な成長に向かって離陸することができ、援助はもはや不要となるだろう。これがまさしく、1950年代に外国援助を生み出した伝説であった。そしてまた、今日援助の大幅な増加を提唱する人々が話している伝説そのものでもある。本省(第2章)では、過去50年にわたって集められた証拠と対比して、もともとの伝説と半世紀後のリメイク版の比較をしよう。すでに読者が推測していることを、前もって言っておこう。この伝説を裏付ける実証的証拠はない。これは、以前にうまくいかなかったことをもう一度試みようとする、プランナーたちの昔からの悪いクセだ。(p.48)

 援助機関のスタッフに関して言えば、貧しい人々の声に耳を傾けるもっと効果的な方法は、大規模な援助計画を策定することではなく、援助機関の専門家に時間をかけて特定地域の特定セクターの調査をさせることであろう。言い換えれば、援助機関のスタッフが十分に専門特化して腕のいいサーチャーになることである。援助の官僚組織はこれとは逆のことをしがちである。スタッフの担当国や担当セクションを頻繁に入れ替えるため、地域に合った対策を作るよりも、大規模な援助計画を作るのが得意なゼネラリストばかりを作ってしまうことになる。彼らは特殊性よりも普遍性を志向しがちになり、それぞれの現場で機能するものを考えるよりも、世界中に通用する「ベスト・プラクティス」を志向しがちになる。ジェームズ・C・スコットが指摘したように、「歴史的経緯や地域の特殊性を欠いては計画にならないというのは、何か大規模なプランニングを行う場合、最初に必要な前提である」のに、プランナーは地域ごとの特殊性を認めたがらない。やり方を変えるには、これまでのユートピア的なプランニングを止めて地道な下からの援助を行うよう、援助機関を説得しなくてはならない。(p.229)

 ではあなたは何ができるだろうか。先進国の人であれ、途上国の人であれ、貧しい人のことを考えている人には、誰でも役割がある。もしあなたが活動家なら、援助のための資金を集めることよりも、援助が貧しい人に届くようにすることに活動をシフトすべきだろう。もしあなたが、開発問題の研究者なら、援助システム改善の方法を探るべきだろう。あるいは貧しい人々の生活を確実によくすることができるような、着実に一歩一歩進めるような援助の新しいやりかたを探求することもできるだろう。すぐに効果が出る途上国の実情に合わせた自前の発展の方法を考えることもできるだろう。あなたがもし援助にかかわっているなら、ユートピア的目標を捨て、貧しい人々を助けるには何ができるかを考えてほしい。貧しい人々を支援する仕事に従事していないとしても、一市民として、援助は貧しい人々に届かないことには意味がないと声を上げることはできるだろう。貧困を過去のものとしよう、などという壮大だが中身のないスローガンに与してはならない。いますべきことは、プランナーがこれまでやってきたことは成果を生まなかったので、これからはサーチャーにもっとやってもらおう、と主張することだ。(pp.443-444)

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本当はもっとたくさんの箇所に付箋を付けていたのだが、この記事を入力していく際にその都度付箋を剥がしていった後で入力エラーで引用箇所がわからなくなってしまうという失態を演じてしまった。以下の引用がすべてというわけでは必ずしもないが、興味がわいたら是非ご自身で読んでみていただければと思う。

とにかく今は読み終わってホッとしている。
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コメント 1

らっさな

良い図書ご紹介ありがとうございます。早速読んでみます。

「一方で、日本のODA関係者が長期間現場に張り付いて現場のことを住民や現地人スタッフ以上によく知っているところまで「サーチャー」になり切れているかというと、必ずしもそうでもないような気がする。」

という個所については、自分なりの整理を行ないたいと考えています。

by らっさな (2010-08-12 18:56) 

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