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ちくま日本文学 『宮本常一』 [宮本常一]

宮本常一  (ちくま日本文学 22)

宮本常一 (ちくま日本文学 22)

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2008/08/06
  • メディア: 文庫

このところ民俗学者・宮本常一にどっぷりはまっているわけであるが、取りあえずその膨大な点数の著作の上っ面だけをなめるのであれば、各作品からの抜粋で構成されているダイジェスト版を読めばいいと考え、図書館で借りたのがこの1冊である。450頁もあるので読みきるのはそれなりに大変ではあるが、宮本が日本全国各地を歩いて見聞してきたこと、特にそれらがどのような歴史的経緯を経てそこに至ったのかについて、口伝や古文書情報を経て纏められていてなかなか面白かった。彼が生まれ育った山口県周防大島の昔の様子がかなりの紙面を割いて語られているが、自分が昔海岸や野山で何をして遊んでいたのか、近所のお店の一軒一軒がそれぞれいつどのような経緯で開店し、家族構成はどうで自分たちはそのお店とどのように関わっていたのかといった記述を読むと、よくもまあ詳細に覚えているものだと感心する。僕が生まれて小学生時代ぐらいまでの故郷での生活を、これくらい克明に描けるかと聞かれるとまったく自身がない。

先ず印象に残ったのは『忘れられた日本人』から収録された「子供をさがす」というお話。これは、周防大島を舞台として、共同体が実際どのように生きているのかを、親に叱られた子供が家を飛び出した後、家人が隣近所等を頼って子供探しを行なった際に、村がどのように行動したのかを具体的に紹介したエピソードである。村の警防団員以外にも拡声放送機で村内に子供がいなくなったことが流れ、多くの人々が探しに出かけた。そして、子供がいたとわかると、探しに行ってくれた人々が戻ってきて、その家に喜びの挨拶をしていく。著者はその人々の言葉を聞いて驚いたという。
Aは山畑の小屋へ、Bは池や川のほとりを、Cは子どもの友だちの家を、Dは隣部落へというふうに、子供の行きはしないかと思われるところへ、それぞれさがしにいってくれている。これは指揮者があって、手わけしてそうしてもらったのでもなければ申しあわせてそうなったのでもない。それぞれ放送をきいて、かってにさがしにいってくれたのである。警防団員以外の人々はそれぞれその心当りをさがしてくれたのであるが、あとで気がついてみると実に計画的に捜査がなされている。
 ということは村の人たちが、子供の家の事情やその暮し方をすっかり知りつくしているということであろう。もう村落共同体的なものはすっかりこわれ去ったと思っていた。それほど近代化し、選挙の時は親子夫婦の間でも票のわれるようなところであるが、そういうところにも目に見えぬ村の意志のようなものが動いていて、だれに命令せられるということでなしに、ひとりひとりの行動におのずから統一ができているようである。
 ところがそうして村人が真剣にさがしまわっている最中、道にたむろして、子のいなくなったことを中心にうわさ話に熱中している人たちがいた、子どもの家の批評をしたり、海へでもはまって、もう死んでしまっただろうなどといっている。村人ではあるが、近頃よそから来てこの土地に住みついた人々である。(p.39)

次に印象に残ったのも子供絡みだ。『私のふるさと』に収録されている「村の家」に昔の商法に関する記述が出てくる。著者の実家の近くの神社の鳥居周辺の商家の1つで、雑貨や飴を売って村人から親しまれていた主人に関するものだ。
 私の子供のときだった。仏壇を見るとそこに10銭銀貨があるので、そっとぬすみ出して飴を買いに行った。子供の飴買いは1銭に限られているので、10銭を不審に思ったその家の主人は、飴はくれないで私の家へ聞きただしに行った。私は心をとがめられて恐ろしくなり、お宮の森の中に小半日を暮して家へ帰ったことがある。物を売るについてもそれほどの責任を持っていた。
 この家で物を買うときにはすべて通帳により、通帳を持って買いに行くと、その通帳につけてくれ、また自分の家の大福帳へも誌しておいた。勘定は半期ごとで、現金を持って買いに行くような者はほとんどいなかった。掛売りをする家は多かったけれども、こんなにキッチリした家はなかったから、人も安心して物が買えたのである。この人はまた、気の毒な人のために頼母子仲間に入った。そして頼母子に入っていた数だけでも20に近かった。それを満期になるまで掛け落すということがなかった。人が金を借りに行っても、抵当も何もとらないで金を貸した。そのかわり貧しいその人に直接貸すのではなくて、世話する人に貸した。この人の貸金のおかげで、どれほど助かった人があるかわからない。貸した金は別に請求はしなかった。持ってくるだけをもらっていた。
 別に人の金も預かった。私の祖父なども預けていた1人である。貧しい家のこととて、もし自分が死んで葬式の費用もなくて息子を苦しめるようではと思って、蓆や草履を売って得た金をためてこの人にあずけていたのである。そして自分が死んだら息子に葬式の費用に渡してくれとたのんでおいた。その人から通帳を持って来てもらった時に家の者も驚いた。(pp.305-307)
住民間の信頼関係ができているところでは、こうした金銭貸借がちゃんと成立していたのだということに改めて驚かされる。我が故郷でも僕が小学生ぐらいの頃までは近所の八百屋さんとは「つけ」というのが行なわれていた。通帳に母や祖母が買ってくる品目と数量をメモする。それをかごに入れてお遣いによく行った。通帳を持たずに八百屋に行き、「おばちゃん、これ付けといて」と言ってアイスを買ったこともあったような気がする。当時は「つけ」というのは魔法の響きがあったが、よくよく考えてみたら母はちゃんと後で精算していた筈で、僕がアイスを買っていたのはきっとバレバレだっただろう。

3つ目も子供絡み。日本各地に見られる「神隠し」の話を調べていくと、後で見つかった子供の説明として多いのが、「美しいまぼろしを見てそのかげを追った」というものなのだそうだ。子供たちにとっては夢もまた現実であり、そしてそれが子供たちの世界を美しいものにするのだと著者は述べている(p.400)。

只今我が家ではNHKの朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』がブームだ。ブームのついでに現在原作のエッセイ集を読んでいるが、著者とその夫・水木しげるが幼少時代を過ごした安来や境港では妖怪らしきものを夫婦そろって目撃したことがあるという。実はこの宮本常一の著作集にも、幼少時代に近所の神社で妖怪を見たという記述があり、やはり少年時代というのは独特の感性があって大人には見えないものが見えたりするのかもなと思った。
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