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『ふるさとの生活』 [宮本常一]

ふるさとの生活 (講談社学術文庫)

ふるさとの生活 (講談社学術文庫)

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1986/11/05
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
著者は若き日の小学教師の経験を通し、ふるさとに関する知識や理解を深めることが、子どもの人間形成にとっていかに大切であるかを生涯にわたって主張した。本書は日本人の生活の歴史を子どもたちに伝えるため、戦中戦後の約10年間、日本各地歩きながら村の成り立ちや暮よし、古い習俗や子どもを中心とした年中行事等を丹念に掘りおこして、これを詳細にまとめた貴重な記録である。民俗調査のありかたを教示して話題を呼んだ好著。
小学五年生のうちの娘は、夏休み中に10冊本を読み、その本の内容紹介とどういうところを読み味わって欲しいかを絵日記風に描けとの宿題を学校からもらっているらしい。「『漫画日本の歴史』シリーズなんてダメかなぁ~」などと呑気な我が子を見ていると、最近の子供は学校や塾の宿題が忙しすぎて本を読まなくなったものだと悲しい気持ちになる。たまに図書館で本を借りてきても、たいていの場合は漫画版の日本史や伝記ものだったりする。

加えて、僕の子供なら理科や算数は出来なくても社会科は出来るようになって欲しいし、それも、教科書で書かれているような暗記でなんとか覚えるのではなく、自分で関心を持ち、自分で調べて答えを導き出し、自分で納得して理解していくものであって欲しい。日本史など、教科書で描かれているのは政治史に過ぎず、庶民の生活の歴史では決してない。その政治史でも、近代に近づけば近づくほど授業の時間が無くなり、端折られるケースが多い。結果として、今の学校教育では、我々が住む郷土には学ぶべき大切なものが多くあるということを必ずしもちゃんと教えてくれていない。地域に何があるのかという断面図的検討は歴史とは違う社会学的観点から授業ではカバーされてはいる。しかし、これに時間軸を加え、我々が日常生活の中で何気なく見たり聞いたり、使ったりしているものの中に、我々の先祖の歩んできた歴史が刻まれているのだよということを学ばせる機会は非常に少なくなってきていると思う。

本書は記述もやさしく、小中学生向けに描かれている民俗学の入門書である。本書のあとがきに書かれている通り、著者の宮本は、「私たちの住んでいる村や、ふるさとの村が、どのようにして成りたっているかということを、できるだけ明らかにしてみたい」(p.225)としている。村の昔の話は、書き遺されたものが殆どないため、記録だけではわからない。考古学と違い、滅びた村を掘り起こして調べるというものでもない。結局のところ、村に残っている伝承や、今村々で行なわれているならわしの中に古いものが残っているに違いなく、そのために、自分の住む村をよく調べ、近所の村をよく調べて、比較検討していかなければならないという。同時に関係の文献をよく調べ、さらに実際に歩いて見て実感による比較を行なわなければならない。「一人でも多くの人が、この学問(註:民俗学)の仲間になってほしい」(p.226)と宮本は若い世代の子供たちへの期待を覗かせる。

本書の冒頭、岐阜県と滋賀県の県境にある八草峠にまつわる逸話が紹介されている。この峠を東に下った岐阜県側に、「八草」という村があり、今は滅んでしまったと聞いた著者は、昭和16年夏、揖斐川を上流に遡り、坂内村広瀬から滋賀県木之本まで40kmの現地踏査を試みた。僕は昭和48年の夏に地元の剣道少年団の合宿で広瀬までは行ったことがあるが、その当時でも揖斐川を挟んだ切り立つ絶壁に刻まれた狭い道路を走るスリル満点の行程だった。そして広瀬から先に川上という集落があるが、僕らの認識はそこが終点だった(そこから先は揖斐川支流をに沿って北上し、辿り着くのは福井県境にある「夜叉ヶ池」だ)。今でこそ道路が整備されて八草峠は岐阜から滋賀県北部に抜けるルートとなっているが、僕らの記憶よりもさらに30年以上前のこの地域は陸の孤島であり、かつて村が存在していたということ自体が驚きであった。

このように、著者によれば、ある土地に人が住みつき、村が形成されても、現在に至るまでずっとその子孫が住み続けてきたわけでは必ずしもなく、元々住んでいた人々がいったん捨てて他所へ移った後に、別の人々が移り住んできて今に至っているというケースもかなり多いのだという。

また、村がどんどん変化していくプロセスというものを著者は次のように語っているが、これなどは今のインドの農村、特に山岳先住民の村を見ていても感じるところである。
 村の生活がだんだん変わるようになってきたのは、一方に町が発達してきたからでした。町に住む人たちは、田も畑も持っているわけでなく、自給の生活はできません。何もかも、交換して生きてゆくわけです。村の生活は、最初は自給が中心で、どうしても必要なものだけが買われたのです。ところが、町のほうで、どうしても交換が必要になってくるものは食物です。それに対して、いろいろのものが町から村へ出てゆきます。百姓道具をはじめ、着物や家具などがそれです。そして、何もかも自分でつくっていた生活から、物を買う生活が行なわれるようになってきます。
 村は、このようなことからも変わってくるわけです。そこで、いったい自分の家に、どれほど自製したものがあるかどうかをしらべることによっても、生活の古さと新しさを知ることができると思います。(pp.175-176)

こういう視点を持って自分が今住む地域、或いは両親の生まれ育った地域の事物や風習を見ていくと、今まで何の気なしに見てきたものに新たな意味合いが生まれてくるだろう。この夏休み、ちょっと未だ難しいかもしれないけれど、我が娘には本書をなんとか読んでみて欲しい。そうすれば、単に教科書や塾のテキストで登場する日本の地名に、単に地名以上の意味が生じてくるのではないかと期待している。
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