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『心豊かな暮らしのデザイン』 [読書日記]

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心豊かな暮らしのデザイン

  • 作者: 中村 攻監修、むらと都市を結ぶ会編集
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
「成長」に取り残されたがゆえに自分流の暮らしを切り開いてきた農村から、いま発信します。生きる暮らす自分流。
装丁も控えめで、タイトルを見てもピンと来ない人も多いだろうから、そんなに売れそうな本ではないだろう。しかし、この本はかなりイイ。生活改良普及員(生改さん)についてはこのブログでも度々取り上げてきたが、その「生改さん」の経験が今にどのように生かされているか、高齢社会における地域の福祉を考える上で、「生改さん」の」経験から学べることはないか、考えてみるには恰好の1冊である。

本書の執筆陣の問題意識は次のようなものである。
高度経済成長を機に私たちは生活を激変させてきました。おそらく先進国の中でも一番生活の仕方が変わったといってもいいでしょう。その生活のどこに問題があったのか、どこをどのように変えたらよいのか、このことを考えるためには、この「成長」とは別の道を歩んできた人々の生活から学ぶことです。私たちの国には、この「成長」に取り残されあるいは便乗せずに別の道を歩んできた人たちがいます。本書で取り上げるのは、農村で別の道を歩み新しい暮らしを築いてきた人たちです。わが国では、高度経済成長期以降は際立った都市の時代であったといえます。農村では極めて厳しい状況の中におかれてきました。しかし、それゆえ農村では、「成長」に便乗することもなく、自分たちの頭で考え自分たちの足で暮らしを切り開いてきた人々があちこちに生まれています。「成長」とは別の道を歩み、暮らしを切り開いてきたこれらの人々の中に、私たちが立ち返り暮らしを再構築する原点があります。(p.4)
もう1つ、こんな記述も興味を惹く。
 かつて企業は、人間の生活の自立的な発展を尊重し、それを支援する形で生産活動をしてきました。しかし肥大化した今日の企業は、人間の生活の自立的な発展を顧みず、自らの生産活動によって生み出される商品の販路拡大のために、人間の生活を変えていくという色合いを濃くしてきています。すなわち、人間の生活と企業活動の主従関係が逆転してきています。人間の生活を支えるために企業活動があるという関係から、企業活動の需要を生み出すために人間の生活があるという関係に変わってきているわけです。(中略)テレビやラジオやパソコンや新聞等の広告や生活専門誌等々を介して、生活情報という形で暮らしのビジョンが氾濫し、生活者としての主体性を失いつつある私たちは、その渦の中に取りこまれていくわけです。ついには、豊かな暮らしはそうした商品を手に入れることによって獲得できるという錯覚の中に迷いこみ、欲望に取り付かれた獣のごとく物を買いあさる哀れな存在に成り果ててしまうのです。
(pp.19-20)

次に安全な食をおいしく楽しく食べたいという素朴な願いを実現するための村からの提案―――。
①日本の風土が育ててきた食の技(調理法、加工法、保存法など)を大切にし、子供や若者たちに伝える。
②家族や仲間と楽しく食事をする。
③食の大切さを見直し、食べることにもっと時間と手がかけられる社会にする。
④都市の人はもっと気軽に近くの農村を訪れる。そして、農産物を購入するだけでなく、農村に暮らす人々と食べることについて語り、お互いの暮らしを豊かにするために交流する。
⑤安全で新鮮な農産物を提供してくれる日本の農業・地域の農業を大切にする。
(p.66)

次は農業婦人学校に関する記述。長野県では1980年代初頭、年150日以上農業に従事する世帯構成員のうち、女性の占める割合は63%を占めていた。しかし、女性達は農業の知識技術を学ぶ機会を持たないまま農業の担い手の立場となっていた。このため、①若い農村婦人を対象に農業の基礎知識・技術の向上による婦人農業者の育成、②農業生活者としての資質向上とむらづくりの活動の促進・明るいむらづくり、を狙いとして1982年に農村婦人学校が開校され、2006年度末までに18,000人を輩出しているという(p.162)。

農業婦人学校開校により、以前は家業の手間でしかなかった女性達がそうした立場に満足せず、経営者として力を発揮するようになった。女性が経営に参加することで、暮らしを大切にした人間らしい働き方も生み出している。農業の基礎知識や技術を体系的に学ぶことで女性は果樹栽培にも興味が湧き、剪定作業も手がけるようになった。
 女性は慎重で、男性のように何千万円もの借金をして、設備投資をしません。長野県須坂市でサクランボの「ふれあい農園」を経営しているある女性は、10アールのりんご畑を5年がかりでサクランボ畑に変身。車椅子でもサクランボ狩りができるよう、樹の間隔を広くとりました。近くの養護学校の生徒たちを畑へ招き、交流することが彼女の励みになっています。
 数年間サクランボの露地栽培をしましたが、天候による収量の差が大きいために雨除けハウスをかけました。作業がしやすいように設計図を何度も書き直し、環境破壊に歯止めをかけるために自分でできることを実行しました。不用になった鉄道の枕木を基礎に入れ、貯水タンクには廃棄処分になったタンクローリーを活用して雨水を溜めています。作業場の屋根にはソーラー発電を乗せ、余剰電力を売電するシステムにしました。
 家の敷地続きの巨峰畑には鶏を放し飼いにしています。卵と除草と防虫の一石三鳥で、鶏糞は土の肥やしになり、持続可能な循環型農業です。(pp.131-132)
この取組みはマスコミでも紹介され、関東甲信越地方の農村女性ネットワークの中心にもなった。さらには農産物のバザーを開いて売上金をバングラデシュの孤児院建設・運営支援に充てる取組みも行なわれているという。こういう事例について聞くと、プネ郊外で行なわれていた「三ちゃん農業」への対応策としても応用できるかもしれないと思う。

また、こんな事例も紹介されている。山に囲まれた地域で、お姑さんを介護していたあるお嫁さんは、母屋を仕切って自炊で3組が泊まれる民宿に改装した。介護は孤独だったからだ。社交的なこの女性はそんな日常に耐えかね、思いついたのが簡易な農家民宿だった。必要な設備を整えてオープンすると、他の民宿にはない良さがあり、予想以上の客が訪れた。親戚同様のお付き合いをするようになった家族もあるという。中には、福祉施設に勤めていて、彼女が畑に出ている間に介護を手伝ってくれる人もいるという。期待していたわけではないが、行動を起こすと協力者は自然と現れるのだという。彼女は以前から、集落の人々と農産物の無人販売所を開いていた。民宿で自炊する客はそこで新鮮な食材を買うことができる(pp.135-136)。

それから高齢社会対策に関する以下の記述。原因分析についてはまさにその通りだろうと思う。この箇所を読んでいて、今のインド農村の高齢者がまさにその手前に来ているような気がしたのでクリップしておきたい。
 高齢者は、戦前戦後を体験し、高度経済成長から低成長へと社会の急激な変化を目のあたりにし、精一杯生きてきたひとたちです。
 戦争中は食糧難の中で、少しの農地でも開墾し、イモ類、野菜を育てて飢えをしのぎました。戦争に男手をとられ、また現在のような大型機械がない時代の農作業は人力が頼りでしたから、高齢者や子どもは大切な働き手として、相応の仕事が待っていました。屋敷周りの草取り、収穫した大豆や小豆などの乾燥や調整・選別など、手間のかかる作業は高齢者の担当でした。
 毎日の食卓は、畑から収穫した野菜類を洗ったり皮をむいたりの下準備が必要です。家族農業経営の生産物をあますことなく活用し、高い自給率を維持することができたのも、高齢者が手間ひまかけて工夫して調理し、家族が喜んで食卓を囲むことができたからです。そして、高齢者自身も生涯現役でありえたのです。
 しかし高度経済成長期を境に、食べること着ることをはじめ、家庭の労働が社会化され商品となって、お金でもとめられるような社会構造に変わっていきます。
 大量消費を美徳とし、これまでのような自然のリズムと共生して手作りを中心とする暮らしや、地域社会が助け合う生き方を、「古臭い」とか「時代遅れ」とか「煩わしい」と軽んじるようになっていきました。
 効率と経済優先の社会はさらに加速し、高齢者の役割でもあった、衣服にまつわる手仕事や、手間ひまかけて調理した食事作りなどの働く場を失い、高齢者や隅に追いやられていきました。「おたがいさま、どんな時もあるのが人生」と地域のみんなが、高齢者やさまざまな事情の人を受け入れて、目配りをしながら仲良く暮らすゆとりを失ってしまったのです。(中略)
 高齢者世帯や一人暮らしの高齢者はますます増加の傾向です。そのような状況の中、高齢者同士、隣近所に住むもの同士が、すぐ手を差しのべあえる地域で、胸のうちを聞いてもらえるいい仲間でいたいものです。 (pp.187-189)
但し、これは理想論として描かれており、本書全体を貫く「農村にこそ心豊かな暮らしのヒントがある」という主張の中で、具体的事例を伴わないで描かれて説得力にやや欠ける印象を受けた。

現在高度経済成長期のまっただ中にあるインドが、成長至上主義に陥らずに人間性溢れる豊かな地域社会を維持するには、既に日本の都市部の地域社会が失ってしまったものと農村部で辛うじて残っているものとを比較してその中から学ぶところが大いにあるように思う。もっともっと多くの優れた事例が盛り込まれていたらさらに魅力的な文献になったと思うが、今のままでも十分参考になる。農村との繋がりの構築とかは、都市部に住む僕達がやろうとしても簡単にできるとは思えないが、普段の茶の間での家族の会話の中に、こうした農村を意識させる問いを意図的に盛り込むぐらいのことなら、今の僕でも十分できると思う。そんなところから始めていけたらいい。
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