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内陸からの波(Waves in the Hinterland) [インド心残り]

WavesInTheHinterland.jpg

Farah Naqvi(2008)
Waves in the Hinterland: The Journey of a Newspaper
Zubaan Books/Nirantar • Rs 350

僕が未だインドに赴任してきて間もない2007年7月28日、このブログに「奥地の女性新聞記者」という記事を書いたのを古くからの読者の方であれば覚えていらっしゃるのではないかと思う(フツー覚えてないか?)。このカバル・ラハリヤ(Khabar Lahariya)と呼ばれるローカル紙が話題になったのは2007年のことで、当時ニーランタル(Nirantar)と呼ばれる現地NGOが、カバル・ラハリヤとその女性新聞記者達が育ったのは自分達の支援のお陰だとばかりにかなりメディアに売り込みをかけていた。2008年に発刊された本書は、版元がニーランタルであることからもわかる通り、彼ら(彼女ら?)の支援とカバル・ラハリヤの成長の経緯を追ったレポートである。

それが何故今頃になって隔週刊誌Down To Earthの書評欄に載ったのかはよくわからない。2010年3月15-31日号に掲載された書評を見た後、僕は本書を購入してみた。結構面白い本だ。

ジリアン・ライト(Gillian Wright)
2009年12月18日
 最近、デリーで極めてユニークな本の発表が行なわれた。ブンデルカンド地方の農村の貧しい世帯出身の女性が2人、インディア・ハビタット・センターの満員の聴衆を前にしてスピーチを行ない、未だようやく読み書きができるようになったばかりの身でウッタルプラデシュ州の中でも最も開発の遅れたチトラクート(Chitrakoot)とバンダ(Banda)という2県で地元のブンデリー語新聞の女性記者であるというのはどんな気分がするものなのかを語った。
 彼女達のカラフルな8頁組みの週刊紙は、軽快なブンデリー語の中でもチトラクートとバンダ地方のなまりをかなり含んでいる。そしてそこに書かれた物語は、25,000人の人々がこの新聞を読んでいる同じ村々に影響を与えている腐敗汚職や不正を暴きだしている。
 立ち上がって真実を語るにも、彼女達は性的嫌がらせを受けたり、頻繁に脅迫を受けたりしてきた。ある時には覆面をした男に銃を向けられたこともある。新聞を全て買い取り、ニュースが出回らないようにしたり、新聞社を丸ごと買収した上で閉鎖に追い込もうとしたり、そういう試みが頻繁に行なわれてきたのである。しかし、カバル・ラハリヤ(「新しい波」という意味)は今でも波を起こし続けている。
 彼女達自身が非常にはっきり意見を言うように、彼女達の新聞で描かれる物語は、ニーランタルというNGOの支援を受け、ファラー・ナクヴィの執筆による魅力的な英文書籍となって語られている。ナクヴィは、このプロジェクトに当初から関わり、知識に溢れかつ繊細にカバル・ラハリヤを描いている。しかも、プロジェクトの発展過程で起こした失敗を躊躇なく紹介し、そこなら何を学ぼうとしたか、財政的持続可能性という長年の課題にも焦点を当てている。ダイニク・ジャグラン(Dainik Jagran)やアマル・ウジャーラ(Amar Ujala)といった大手のヒンディー語日刊紙と比べ、カバル・ラハリヤは弱小だ。しかし、地域内での噂話と小新聞、大手新聞の比較事業分析を通じ、ナクヴィは、大手新聞が貧困の原因解消には全く貢献していないということを明らかにしている。
 カバル・ラハリヤは対称的に、一石二鳥以上の成果を期待できる実験でもある。未だ読み書きができるようになったばかりの人は、読むのに適した教材が必要である。そうでないと覚えたことを忘れてしまうからだ。カバル・ラハリヤは、女性だけではなく社会全体をターゲットにしている。そして、記者達が残虐行為や腐敗を暴く時には、それらを是正するのに成功してきたし、これからも成功するだろう。そうした物語だけではなく、この新聞は、開発やパンチャーヤト、女性問題等に関するわかりやすい情報を提供している。人が興味を持つ物語やジョーク、世界で起きた出来事等を扱うのは言うまでもない。
 ナクヴィは同紙の記者数名についても本書で紹介している。彼女達は、この仕事を選んだことで人生がどのように変化したのかを語ってくれている。彼女達にとっては、書くこと自体が本当の課題だった。そうして、事実を集めることや新たなストーリーを書くこと、紙面をデザインすること、そして刷り上がった新聞を遠く離れた村々に自分達で配達すること、これら全てが彼女達には大きな挑戦だった。重要なことは、彼女達がジャーナリズムとNGOの行動主義の違いを理解できるようにならなければならなかったことにある。
 「バラット(Bharat)」(農村インド)と「インディア(India)」の間の隔たりは時として非常に大きく見える。カバル・ラハリヤの記者達がデリーのハビタット・センターの豪華な雰囲気の中で語った時、この両者の間に横たわる大きな隔たりに橋が架けられた。彼女達の実験を紹介したファラー・ナクヴィの著書を読むことで、英語しかわからない読者にとっても英語とローカル言語との間に横たわる隔たりを埋めることができるだろう。
*書評全文は下記URLからダウンロード可能です。
 http://www.downtoearth.org.in/default20100315.htm

あまりこのブログでは記事として取り上げてこなかったし、職場の仕事との関係上接点もあまりなかったのが、こうした小さなローカルメディアの役割である。カバル・ラハリヤは紙ベースの活字メディアで、読み書きができるようになって間もない人々に身近な記事情報を提供して識字を定着させるのに一役買っている。それだけではなく、働いている女性記者達も、記事を書くことで新たな力を得たとも言ってよい。そうした活字メディアにしかできない役割だけではなく、例えばコミュニティ・ラジオのような音声メディアも情報普及の観点からは同様の役割が果たせそうだ。それに、自分で実証しているわけではなく多分に感覚的な言い方だが、スモールメディアは相当費用対効果が高いのではないかと思う。昨日のオックスファムの記事じゃないが、メディアの使い方次第では大規模なプロジェクトにお金を付けるよりもインパクトのあることができるかもしれない。

2007年7月に初めてカバル・ラハリヤについてブログで記事を書いた時、3年以上インドで駐在していれば、そのうちブンデルカンド地方にも行って、チトラクートのこのローカル紙を目にする機会があるだろうとたかをくくっていた。ブンデルカンド地方はインドでも指折りの貧困地帯で、そこでの農民の生活がどのようなものか、しっかりこの目で見ておきたいと思ったからだ。地図で見ると、チトラクートはアラハバード(ウッタルプラデシュ州)やチャタルプール、パンナ(マディアプラデシュ州)から比較的近い。これらの町には我が社も関係している事業地があるため、ついでに行こうと思えば行けたかもしれない。しかし、気が付けば既に3年近くが経過し、しかも帰国の日が迫っている状況の中で、もはや訪問もかなわない。そんな自分の立場を恨めしく思わざるを得ない。
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