SSブログ

『団塊ひとりぼっち』 [読書日記]

団塊ひとりぼっち (文春新書)

団塊ひとりぼっち (文春新書)

  • 作者: 山口 文憲
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2006/03
  • メディア: 新書
内容(「MARC」データベースより)
あるのは、語りたくない過去だけ-。戦後民主主義に学生運動、消費の申し子。これがマコトの団塊像か? 憎まれっ子世代の本質を実証的に語り、往時に思いを寄せ、生き方を模索する。抱腹、呻吟、落涙のエピソード満載。
団塊世代の著者によるエッセイのようなもので、文体もくだけているし、同世代の有名人が固有名詞で何人も登場するため、とにかく読みやすい。あの人も、この人も、ってな感じで、そこらじゅうにいたのですね団塊世代。


個人的には最も印象に残っているのは次の記述である。
 団塊の世代には、子供時代に、(中略)ある土地から別の土地への移動を体験している人が少なくない。これはいわば団塊の共通体験の1つで、戦後日本の激しい構造的変化が個々の家族や個人を巻き込んでいく過程を、肌で感じてきたのがこの世代だというえる。こうして親とともに最初の移動をした団塊は、その後もずっと「移動」と縁が切れない。進学のための移動、就職のための移動、さらにマイホーム獲得のための郊外への移動…。(後略)
 そして「移動する団塊」は、その青春期だった60年代後半から70年代の一時期に、「旅する団塊」という変種をそこから生み出しもした。お前もその一人だろうとはあまりいわれたくないが、あの時代のいわゆる日本脱出組、海外放浪組のことである。(後略)
 この「移動する団塊」の先駆けとして、早くも10代半ばで親元を離れ「移動」の途についた同世代といえば、ほかでもない。当時「金の卵」ともてはやされた、中卒(または高卒)のいわゆる集団就職組である。集団就職という制度は、経済政策的にいえば、ようするに若年労働力の組織的動員と集中的運用ということにほかならない。この、戦後復興と高度成長の下ざさえを意図した国策は、早くも1954(昭和29)年にそのスタートを切る。以来、集団就職は、1977(昭和52)年前後までじつに20年以上にわたって続くが、そのカーブが急上昇を始めるのが60年代初頭。そして、最初の団塊が中学を卒業する1963(昭和38)年以降の数年間に、最も猖獗をきわめた。団塊の世代が、じつは「集団就職の世代」でもあるという事実は、ともすれば見落とされがちだが、覚えておいていいことだろう。(pp.209-210)
1963年から65年にかけて、わずか3年間のうちに23万人もの人が集団就職列車を利用しているという統計がある。これだけの人口移動がこれだけの短期間のうちに起こったというのは驚くべきことである。

団塊世代は今でも性欲旺盛だという記述も驚きだった。著者いわく、彼らの青春時代だった1970年代というのは、セックスライフの基盤が婚姻から恋人関係にまで拡大した時代だという。これに対して著者と対談した上野千鶴子(同じく団塊世代)が、「私たちの世代から、シングルであることと、セックスライフがないことが一致しなくなってきました」と述べて、セックスと婚姻が切り離されたという点を肯定している。少し前に読んだ蓮見圭一著『水曜の朝、午前三時』における、大阪万博ホステス四条直美と若手外交官・臼井礼の恋を思い出してしまった。確かに、恋愛と結婚は別というのは頷けてしまう。

最後に、著者は団塊世代の今後の展望として、小田和正(これまた団塊世代)の「これからは思い出と友だちが勝負」という言葉を引用している。でも、なんとなく僕にはこれが団塊世代に限った話ではないようにも思える。誰でも今の団塊世代ぐらいの年齢になったら考えなければいけないことなんじゃないかと…。最近僕は「思い出」についてはかなり昔のことでもブログに記録を残しておくようにしているが、「友だち」の方はとんと御無沙汰である。自称「人間嫌い」が言うのもなんだが、大事にしておかないとなぁと考えさせられた。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0