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『バッタの声を聴いて』 [読書日記]

Listening to Grasshoppers: Field Notes on Democracy

Listening to Grasshoppers: Field Notes on Democracy

  • 作者: Arundhati Roy
  • 出版社/メーカー: Hamish Hamilton
  • 発売日: 2009/07/02
  • メディア: ハードカバー
内容説明
現代インドの闇の部分を検証するエッセイ集。宗教における多数派主義、文化的ナショナリズム、そして新たなファシズムが世界最大の民主主義国として知られるインドの裏側でどのように沸騰しようとしているのかを、本書は詳細に見ている。2002年にグジャラートで起きた州政府が支援したムスリム排斥運動に始まり、著者のアルンダティ・ロイはヒンドゥー原理主義とインドの新自由主義的な経済改革が、1990年代初期に連携を始め、どのようにインドを警察国家に替えてきているのかを述べる。ロイは、ムスリムやキリスト教徒、先住民やダリットといった宗教的民俗学的マイノリティグループに対するシステマチックな排除の実態や、テロの頻発、企業の略奪的行為によって土地を奪われたり追い出されたりされる事態がだ規模に起きている実態を描く。そして、本書の締めくくりは2008年8月に起きたカシミール住民によるインド軍の占領に対する反対運動と11月のムンバイ連続テロの分析である。

ブッカー賞作家アルンダティ・ロイ――こう書いてはいるが、ロイの著作を読むのは初めて――の新刊。今月初旬の出張の際にムンバイの空港で買って読み始め、先週末のアグラ旅行の際に一気読みしてなんとか読み切った。

僕からすると、ロイといったら社会活動家のイメージが強く、ブッカー賞も獲った作家だという方がピンと来なかった。ただ、本書を読んでいくと、表現力が豊かだなと感じはした。お陰で読みづらかったけど。

よく、「目には目を、歯には歯を」とか「復讐の連鎖」といった言葉が使われているのを聞く。報復行為が別の報復行為を生み、それがどんどんエスカレートしていくことを指す。本書はまさにその事例の宝庫である。中心になって描かれているのは第1にはグジャラート州で起きたムスリムによる列車焼き討ち事件とそれに対するヒンドゥー教徒の報復行為、そしてそれを黙認するどころか扇動すらしたナレンドラ・モディ州首相とインド人民党(BJP)指導者達の言動、それでもグジャラート州に工場進出してモディ首相の政策を支持しているとしか思えないリライアンスやタタといった大企業等である。

第2には、2001年12月のイスラム原理主義者(と言われているが実態は不明)の武装集団によるインド国会襲撃事件とその直後に始まったカシミール出身のイスラム系住民の立件、証拠不十分ながら容疑者を「状況証拠」と「社会のセンチメントの要請」といった言葉で無理矢理処刑に持ち込んで口を塞いでしまった司法と、真実の追求を怠り、容疑者を完全に有罪扱いして処刑に向けて世論を煽ったマスコミ等である。しかし、こうした動きに対して立ちあがったカシミールのイスラム系住民のパワーに、「復讐の連鎖」の帰結とともに、草の根レベルで静かに進行する住民主体の民主主義の可能性も見出すのである。

僕のようにインドにちょっと来て何年か駐在してそれで国に帰っていくような人には、目の前で今起きていることが過去からどのように繋がってきているのか承知もしておらず、ただただ起きていることに戸惑い、そして容疑者が捕まったとか射殺されたとかいう報道に胸をなで下ろしてそれで終わりになりがちだ。しかし、今起きていることには必ず背景や経緯があり、容疑者が逮捕されるか射殺されれば本当に安心だと言えるのかどうかはわからない、さしたる容疑もないのに「疑わしきは罰する」という政治・司法にマスコミも巻き込んで誰かをスケープゴートにしたに過ぎないのかもしれないし、何かもっと大きな陰謀があって意図的に何らかの方向に僕達は誘導されているのかもしれないと思うこともある。

日本人の僕から見て「あり得ない」ことが次々と起きているここインドで、何故それが起こり得るのかというのを過去の経緯に遡って説明されている本は、限られた期間しかインドに駐在してない僕らのような立場の人間がインドを理解するのには非常に役に立つと思う。

例えば、デリーに住んでいて2007~2008年頃に頻繁に報道されていたのが街の小売店舗のshielding(強制閉鎖)やdemolision(取り壊し)であったが、商業区域として認められていない土地での商業行為は不法であるとの裁判所命令を受けてデリー市当局が有無を言わさず小売店舗を壊しまくり、かなり強引な市当局の姿勢に戸惑ったのをよく覚えている。この裁判所命令は2006年に下りているが、この判断を下した当時の判事は、2人の息子が不動産業を営んでおり、商業コンプレックスの開発にも出資しており、小売店舗を封鎖し破壊することで、小売店は商業コンプレックスに入居しないと営業できないように仕向け、それによる商業地の家賃高騰で息子達の不動産業が儲かるよう仕組んだのではないかと著者は指摘している。この実態をスクープした日刊紙『Mid Day』は営業停止、編集長は逮捕されるという事態も起きている。こういう疑惑を見るにつけ、司法が企業の言いなりになっているという、グローバル化の影の側面を痛感せざるを得ない。

結局のところ、真実が何かを直感的に知っているのは市民であり、企業と政治と司法が連携して反ムスリム感情を煽ったり、不当な利益誘導が行なわれたり、それによって無実の市民が犠牲になったりしている実態を感じ取り、これを打ち破ることができるのも市民だというのが著者の主張なのだろう。
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