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『老後保障を学ぶ人のために』 [読書日記]

老後保障を学ぶ人のために

老後保障を学ぶ人のために

  • 作者:小倉襄二・浅野仁編
  • 出版社/メーカー: 世界思想社
  • 発売日: 2006/11
  • メディア: 単行本
内容(「MARC」データベースより)
老いを生きること、老いにともなう多岐にわたるくらしの主題がいかにあるか、なにが問われているのか-。「老い」の実践を、所得や生活環境、介護サービスなどの多面的な視点から考察し、課題提起を試みる。

最近の僕のブログのトップページにある「Sanchaiの只今読書中」は、ここ2カ月ほど殆ど読んでいる本の構成に変化がなかった。僕はそれを自分自身が苦々しく思っていたが、4日(水)になってようやくそこに大きな変化があった。ボトルネックの1つだった本書をようやく読み切ったことである。

この本自体は6月に休暇で日本に帰っていた時に市立図書館で見かけ、これは論点整理にはちょうどいいと思って購入することにしたものだ。しかし、最大の難関だったのは最初の3章、100頁少々の部分で、とにかくここが読み進められずに何度も何度も挫けた。とにかく記述が難解だったのだ。この調子で300頁以上を読み進めるのはつらいなと思っていたが、第4章以降は意外にもスラスラと読めた。読みづらければ目先を変えて別の章から読み始めてみるというのは考えてみれば当たり前のことだが、第1章から難しいと逆に意地になって余計にそういう気持ちの切り替えができない悪循環に陥る。

専門書なのでそんなに面白い本ではないかもしれないが、興味をひかれた記述が幾つかあった。例えば次のようなものだ。
今日の高齢者は、高齢社会という誰も足を踏み入れたことのない新世界を先頭切って歩んでいる開拓者に似ている。(中略)フェミニズムのパイオニア、フリーダンは加齢を「問題」とみる見方があまりにも優勢な現実に疑問を投げかけ、加齢を「冒険」とみようと提唱している。高齢期が波乱万丈であるのは大きな試練だが、高齢者自身と社会の双方が加齢を柔軟に捉え、加齢経験を共有し、加齢を評価し受け入れる社会を作ることが、長命と長寿と呼べるようになるためのカギではないだろうか。(p.82)
――そうか、今のお年寄りはパイオニアなんだ!

さらに面白かったのは第8章、「若・壮年層の超高齢社会に関するイメージと意識」である。
超高齢社会における女性の老後生活が極めて積極的であるのに対して男性の老後では納得のいく生活が描けていない。極めて対照的である。そのイメージ形成の理由を的確に説明することは難しいが、老後の生活をより豊かにするための条件として、地域社会が大きな役割を果たすことが女性の記述内容から窺える。(中略)地域社会において豊かな人間関係を築くことが老後生活の鍵を握るとも考えられる。(p.257)
この記述は言われてみれば当たり前のことなのだが、男性と女性の老後生活に対するイメージの違いというのは新鮮だった。僕はインドでの仕事を終えて日本に帰ったら、赴任して来る以前よりももっと地域との関わり方を考えたいと思っているのだが、その最大の理由は、そんなことを会社勤めを終えてから始めていたら、僕のように人見知りが激しい人間は絶対にすぐに適応できないと考えたからだ。今からそういう意識を持って地域と関わっていかないと自分の老後が保障されないというぐらいの危機感は持っている。会社は地域社会の代わりを務めてはくれないのだ。

もう1つこの第8章で面白かった記述は、若・壮年層の方が(高齢者に比べて)老後の生活に否定的な見解を持っているという部分だ。そうか、僕達はひょっとしたら老いるということを悲観的に捉えすぎているのかもしれないなとも思った。

最後に、第9章「高齢者と死」というところで、「高齢者は人生の最後を自分の慣れ親しんだ環境で自然な形で締めくくりたい、自分らしい自然な死を望んでいる」(p.272)ってのは当たり前のことが言われているような気がするが、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)の概念を「最先端技術を用いて少しでも長く生かすという近代医学の価値への対抗概念」(p.273)というのは新鮮だった。重要なのはいかに「長く生きるか」ではなく、いかに「よく生きるか」というものだというのはとても頷ける。このQOLには、①身体的領域、②心理的領域、③社会的領域の3つがあるというのは定説になっているが、本章ではこれに④スピリチュアルな領域というのを付加し、これが、「身体的領域、心理的領域、社会的領域とは違い、自分自身に向き合う作業を通してそのQOLを維持向上する領域」だと位置づけている。
スピリチュアルな問いかけに答えを見つけるのはその人自身であるが、そのつらい作業に向き合うときに寄り添う存在がいることは、大きな助けになる。つまり、痛みを持つ人に対して、その人の人生に解釈を施したり慰めたりするのでなく、その人の痛みをそのまま受け入れ、ときに話を聴き、共に泣き、その人をありのまま受け止める存在があることは、痛みを持つ人にとって大きな助けになるのである。(p.278)
――なんだか、「傾聴ボランティア」の記述をなぞっているような論点である。

勿論、スピリチュアルな領域は他の領域と相互に影響し合っているところがあるとは思うし、他の領域も相互への影響としては同様なものがあるだろう。
身体的側面においての健康は加齢と共に低下していったとしても、精神的な側面、社会的側面での健康を維持することによって、全体的健康は維持されていくのである。逆に、身体的な健康な高齢者であっても、家族やコミュニティとつながりがなく、不安で孤独な高齢者は、精神的側面や社会的側面において健康だとはいえないのである。(p.279)
健康な老後を送るためには、やっぱり家族や地域社会が大事だというのが再認識させられる。

さて、この本をこのタイミングで読了できたのは大きい。というのは、僕は今週末に知人のつてでアグラの老人ホームの見学に行かせてもらうことになったからである。先日ご紹介したデリーの老人ホームに関する緊急調査レポートもその一環で読んでいたものであるが、ようやく訪問日程が決まった。特に本書の第9章あたりに書かれていた日本の高齢者の死に対する意識とどの程度違うのか、老人ホームにおける介護や医療のサービスの質がどの程度なのかなど、これを機会にしっかり勉強してきたいと思っている。
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降龍十八掌

日本では、ホームの質うんぬんの前に、どうやれば入れるのか?ってのが問題ですね。娘だと嫁に行ったとみなされて、入居できますが、息子と同居だと入れないようです。
うちのオヤジのように、趣味のない人間も、すでに健康とはいえないのだと思います。(笑)
by 降龍十八掌 (2009-11-06 08:38) 

Sanchai

「ホームの質うんぬんの前に」ではなく、日本の場合は質的水準はそれだけ高いということもご理解下さい。
by Sanchai (2009-11-06 10:40) 

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