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お年寄りのスポンサーになる [インド]

先日、HelpAge Indiaの老人ホーム調査レポートについてブログで紹介させてもらったのが虫の知らせというヤツだったのかどうかは知らないが、11月1日(日)夕方、剣道の稽古で負った傷の手当てをしていたところ、HelpAge Indiaのボランティア2人の訪問を受けた。HelpAge Indiaがどんな組織かという背景説明から始めようとしたので、「僕はお宅のチェリアン代表を個人的に知っているから背景説明は要らないよ」と答えた。

2人の若者は、普段は別の会社で働いているが、週末にはこうして戸別訪問して寄付を募るというファンドレイジングのボランティアをやっているという奇特な若者達だった。10月1日が世界高齢者デーだったことから、10月をファンドレイジングの強化月間と位置付けてディフェンスコロニー地区を巡回しているのだという。

まあこの手のファンドレイジングは米国駐在時代によく戸別訪問を受けていたので勝手はよくわかっている。ただ、小切手を切って寄付をした後、それが自分にどのように恩恵があるのかがよくわからないものには応じないことにしてきた。今回の場合は、僕がチェリアン代表と面識があるということから、ここでボランティアに小切手を渡すよりもチェリアン代表に小切手を送る方がレバレッジが利いていい寄付行為になるなとも思ったのだが、週末にこうしてボランティア活動を行なっているインドの若者の熱意も買って、彼らの実績になるよう寄付してあげることにはした。(後でチェリアン代表にメールして一応貸しを作っておこう。)

ただ、それで幾つかあるHelpAgeのプログラムのうちどれに幾らの寄付をするかというところで、何度か彼らとトラブルになった。

第1に、「それで寄付したら寄付した人にどのような恩恵があるの?」という質問に対する彼らの反応。まるで、「カネ持ってる奴は寄付するのが当たり前で、なんでこのオッサンは見返りを求めてるんだろう」と僕の言っていることが理解できない様子だった。僕からすれば、自分が寄付したお金がどのように使われるのか、HelpAgeはちゃんと説明を寄付者に対して行なう義務があると思うのだが、「そんなに知りたければHelpAgeのこの番号に電話すれば教えてくれる」という説明をしたのには少しカチンときた。せめてニューズレターぐらい送付して来いよ。聞かなければ教えてくれないというのでは、寄付者に対して説明責任を果たしたことにはならないだろう。

第2に、プログラムに対する僕自身の誤解。僕は以前から興味があった「爺さん婆さんのスポンサーになろう(Adopt-A-Gran)」プログラム(AAG)に1口6000ルピーをプレッジしようと思ったのだが、それを言ったところ、「2人にしてくれ」と唐突に言われた。まあそれはいいにせよ、「どこの州のどこに住んでいるお年寄りのスポンサーになりたいか選べるのか」と尋ねたところ、またしても理解不能といった複雑な表情をされた。僕はデリーのお年寄りはまだ恵まれていると思っているし、自分がスポンサーになったお年寄りがどこでどのように生活されているのか、僕の寄付によってどのような恩恵を受けたのか、実際に会って見てみたいと言った。ところが彼らはこう言った。「スポンサーが支援対象を選んでそのお年寄りに直接会うことは禁止されている」と。

いやぁ知らなかった。プラン・ジャパンあたりがよくやっているフォスター・ペアレント制度だったら、本当は特定の子供に直接お金が行っているわけじゃなくそのフォスター・チャイルドの周辺の生活環境改善に使われているが、フォスター・ペアレントへの説明はフォスター・チャイルドがどのような生活を送っているのかを具体的に説明し、いかにもその子供が直接支援されていますよといったメッセージの出し方をされる。負担と受益が比較的目に見えやすい形で繋げられているのだ。しかし、HelpAge IndiaのAAGも同じような仕組みだろうと思っていたら、どうもそうじゃないらしい。

以前読んだ新聞記事では、インド人の若者が「里孫」になって極貧老人を金銭面だけではなく、訪問介護や物資の差し入れといった形でAAGに関わっているとあった。そのことをこの訪問客に伝えると、「AAGへの若者の関わり方にはいろいろあり、私達のようにファンドレイジングで協力する者もいれば、支援対象のお年寄りを訪問して介護に携わる部門のボランティアもいる」と、何だか的が少し外れた答えが返って来た。要するに、資金面のスポンサーと実際に介護に携わる若者とは全くの別人物だということだ。

なんだか納得いかないものを感じたが、寄付しておけばチェリアン代表に少しはいい顔ができるし、農村部の極貧高齢者の置かれた状況を実際に訪問して調査させて欲しいという要望にも応えてもらいやすくなると考え、言わば入場料として小切手を切った。

ただ、ここでの一連のやり取りの中でよくわかったのは、インドの寄付文化は米国の寄付文化とよく似ていると思っていたのは僕の認識違いかもしれないということだった。米国なら寄付したらその寄付によってスポンサーには知る権利が発生し、寄付を受けた団体はスポンサーに対して説明責任を果たすが、インドの場合は寄付できるカネを持っている者は黙って寄付するのが当たり前で、見返りを求めてはいけない、スポンサーに対しては、聞かれた時にだけ説明すればよいと考えられているようだ。それじゃ僕はちゃんと聞くことにしよう。

すったもんだはあったものの、こうして僕はインドのお年寄り2人のスポンサーになった。

関連記事はこちらから。
デリーの老人ホーム調査レポート
http://sanchai-documents.blog.so-net.ne.jp/2009-10-31
「里親」ならぬ「里孫」
http://sanchai-documents.blog.so-net.ne.jp/2007-07-22
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