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インドのコミュニティ財団運動 [インド]

インドで企業フィランソロピーの推進を行なっているサンプラダーン(Sampradaan)のプラディープタさんとは、何かの会議でたまたま名刺を交換した後、僕の職場の方で主催したイベントの案内をメールで送ってそれにきてくれたり、細々とではあるが交流をしている。そのプラディープタさんと半年ほど前に立ち話をした際、経緯は覚えてないが「コミュニティ財団(Community Foundation)」の話になった。以前僕がワシントンで仕事をしていた頃、僕のカナダ人の上司イアンがこの概念にやたらと入れ込んでいて、同じく僕の同僚だったエレノアは米国でも屈指の有識者でもあった。自ずと僕も多少は知っておく必要があって日本はどうなのかと調べてみたことがあるが、日本には大阪コミュニティ財団というのがあるだけで、他には「コミュニティ財団」と名のつくものがないことも知った。但し、概念としては日本の公益信託はコミュニティ財団に近いという印象を僕は受けているが…。

DSC00149.JPG僕がその時に「自分も少しコミュニティ財団のことは知っている」と知ったかぶりをしたからか、プラディープタさんはそれを覚えていて、彼が主催した「ドナー・ミーティング」というのに僕を招待してくれた。9月15日(火)、場所はIndia Habitat Centre。この会議の趣旨は、彼によるとインドでは未だあまり普及していない「コミュニティ財団」の概念を広く知ってもらい、外部の資金提供者に協力を要請することだったように思う。僕は「行くのは構わないけどうちの会社はドナーにカウントしないでね」と念を押して出席した。インドのコミュニティ財団について知る良い機会だと思った。

実際にプラディープタさんが冒頭で行なった基調報告を聞いていると、インドではコミュニティ財団の概念は全く普及しておらず、全国的に見ても、サンプラダーン(Sampradaan Indian Centre for Philanthropy、以下SICP)が設立支援・運営指導を行っている4団体のみであるとのことだった。しかも、この4団体はコミュニティ財団としての機能を持ったのがつい最近のことであり、ある意味日本以上に制度の普及が遅れているように思った。

因みに、プラディープタさんの基調報告の後で事例報告をしたのは次の4団体である。
◆Mewat Foundation Trust(ラジャスタン州アルワール)
◆Community Foundation of North East India(マニプール州インパール)
◆Kodagu Model Forest Trust(カルナタカ州コダグ)
◆Sainik Foundation(ウッタルカンド州パウリ・ガルワル県、ウッタルプラデシュ州エタワ県)
このうち、マニプールのコミュニティ財団は財団の基本財産50万ルピーは日本のNGOであるオイスカのマニプール支部が拠出しているのだそうだ。

元々「コミュニティ財団」というのは、同一地域内で資金調達を行ない、同じ域内でその運用(調達資金の各地域開発事業への助成)を行なうというものなので、建前としては草の根の活動助成の財源の確保はその域内で行なわれなければならない。それが公的セクターからの資金拠出である場合があっても構わない。また、この基本財産への拠出を域内ではなく外部のドナーに求めることも確かにないわけではない。MakingIndiaWork.jpgこうした考え方は、現在まだ読書中のWilliam Nanda Bissel著『Making India Work』の中でも展開されている。Bisselがそこで強調しているのは、コミュニティの中の問題はコミュニティの中で解決への取り組みが図られねばならないという、一種の補完性原則(Principles of Subsidiarity)のインド国内への適用であり、コミュニティでの問題解決の枠組みの提示とともに、財源も含めた権限のコミュニティへの移譲についても述べている。Bisselはその財源を税収に求め、かつ使途として基礎的な9つの公的サービスを受ける権利を低所得者層に限定してICチップ埋め込みのスマートカード方式で提供するという一種のバウチャー制度を提案しているので、必ずしもコミュニティ財団の支持者ではないが、補完性原則に基づいてコミュニティに意思決定の権限と財源を与えよというところには若干の共通性はあるように思う。

ただ、この日の発表者は全員が外部からの資金協力を求めていた。この制度を今のインドの農村部で適用していくとしたら、域内での財源をどのように確保していけばいいのかが大きな課題だと元々思っていたのだが、図らずもそれが確認できてしまった感じである。基調報告ではコミュニティ財団の「自律管理(Self Management)」や「域内での自律的ケア(local self care)」、「個人としての社会的責任(Personal Social Responsibility, PSR)」といった点が強調されていたにも関わらず、各論になると資金面での外部依存は隠しようがない。

質疑応答の時間も限られていたので、2点に絞って質問した。

第1に、事例紹介された4団体のうち、2つは既存の団体にコミュニティ財団的機能を後から付加したもので、あとの2つは新たな組織としてコミュニティ財団を作っている。問題は新たな組織を作る場合で、その時には人件費も含めて事務管理コストがそれなりにかかる筈。その部分についての言及はあまりなかったが、SICPとしてどちらを勧めるのかというところで基準があるのか?これに対してはプラディープタさんが「コミュニティ財団の草の根的性格」を論拠として地域住民が自ら決めたことだと回答したが、であればCommunity Foundation of North East Indiaはどのようにしてマニプール以外の州の住民から意見聴取したのかという次の疑問も湧いた。

第2に、事例紹介された4団体のプレゼンを見ていて、どこの団体もそのガバナンス機構における女性の参加(representation)があまり多くないという印象を受けたが、どのようにそれを確保しているのか?これに対しては、女性の参加を確保していると胸を張ったSainik Foundationのような団体もあったが、この疑問を最も抱かせたMewat Foundation Trustは僕の質問に対して何も答えなかったし、Sainik Foundationの代表である退役軍人のオジサンも、女性参加は言っておきながらも人の話を全く聞かなそうなタイプの方で、一方的に喋りまくるその姿勢を見ていて、財団の運営会議も女性は出席していてもその意見はまともに聞いてもらえてないのではないかとイメージできてしまった。

その他にも、既存の組織が域内での草の根事業の助成を既に行なっている場合、そことの折り合いをどのように付けるのかとか、元々インドの地方自治にある「パンチャーヤト」の枠組みと自治構造が重複するのではないかとか、要するに既存の枠組みとの親和性にかなり疑問が湧いた。おそらくそのような理由からインドでコミュニティ財団がかくも普及していないのではないかという気がしたからだ。

フロアからの質問も、そうした「インドでコミュニティ財団運動を推進する妥当性」のところにもっと絞ってやってくれればいいのになと思った。しかし、これはインド人の常で、こういう場での質問やコメントは、自分自身のパースペクティブだけで喋りまくる。ある人はコミュニティ・ラジオという財団の助成事業の1つに過ぎないものを掘り下げようとするし、ある人は中国やパキスタンとの国境地帯の森林保全に助成がもっと行なわれるべきだというし(軍人しか駐屯していない地帯でコミュニティ自体が成立しないではないかと僕には思えたが)、ある人は自分の団体が出した雑誌や企画中の別のイベントの宣伝をやっちゃうし、どうしてもまとまりの悪い会議になってしまう。

ある人は勝手にヒンディー語で10分以上演説をぶった。それにヒンディー語で応酬した司会者やフロアの参加者もいて、終了予定時間を1時間もオーバーしてまだまだフロアからの質問を受け付ける気配もあったので、僕は憮然として途中で退席した。資料が英語なんだから多少は英語しかわからない参加者のことも考えてくれよと思ったが(ヒンディー語の勉強の必要性を痛感したけど)、そういうところに気が回らないのだろうなぁ。

会議自体は興味深いものではあったが、この場で長居して名刺交換をやり過ぎると、後で僕の職場に「資金協力のお願い」が殺到することが予想されたので、それも途中退席の理由だった。元々インドでどの程度コミュニティ財団運動が進展しているのかを知りたかったというだけだったので。こういう枠組みに支援できる外部者というのは、その地域に工場立地したり、その地域に有力な生産者やサプライヤーがいる流通業者や製造業者の方が考えやすいだろうと思うが、何しろ概念普及が殆ど進んでいないインドで、その地域に受け皿があるのかどうかはかなり疑問だろう。
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