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マヤワティの銅像 [インド]

公共の資金で政治はダメ――高裁がマヤワティ首相に命ず
No politics with public money, SC tells Maya
ニューデリー発、Satya Prakash記者
 ウッタルプラデシュ州政府がマヤワティ州首相や他のダリット出身の政治指導者のために記念碑や銅像の建設を進めている件について、高等裁判所は火曜日、納税者の金はこうした目的には使用することはできないとして、建設を中止するよう命じた。
 「我々は州政府に対して、どのようにしてこんな巨額の支出が捻出できるのか尋ねたい。納税者の収めたお金が使われているのだからそれを勝手に使うことは許されない。」――B.N.アガルワル判事とアフタブ・アラム判事から成る裁判官はこのように述べた。
 ウッタルプラデシュ州政府は、マヤワティ首相と彼女の助言者であるカンシー・ラム氏、そしてダリット運動の先駆者でもあるビムラオ・アンベドカル氏にかかる12の記念碑と大衆社会党(BSP)のシンボルである象の像をラクノウに建設予定である。その総経費は250億ルピーと見られている。
 州政府上級顧問でBSPの指導者の1人であるサティシュ・チャンドラ・ミシュラ氏は、高裁に対し、正式な中止命令は出さないよう要望してきた。建設工事は続けつつ、一方で州政府は即刻工事中止を自ら行なうつもりであると述べた。しかし、ミシュラ氏は一方で、ウッタルプラデシュ州の記念碑は政治的な理由から反対されていると反論もしている。何故特定の家族、即ちネルー・ガンジー家の家族の記念碑建立には誰も反対しないのか。これには1000億ルピーもかかっているではないかと…。
 これに対しては、高裁は次のように反論した。故ナラシンハ・ラオ首相の記念碑は1つもないではないか。高裁の決定は憲法上妥当性のあるもので、政治的な意図はない。

9月9日付のHindustan Timesの1面にあった記事である。面白かったのは同日付のThe Hindu紙の記事の扱いとの比較で、後者の方が高裁とミシュラ氏の応酬が克明に描かれており、読んでいて面白かった。扱いも大きかったし。両紙の間で同じニュース素材の取扱いの仕方に差があるのがよくわかった。

MayawatiStatue1.jpg MayawatiStatue2.jpg

このような偶像主義はどこかの国を思わせるものであまり気持ち良いものではない。ましてやマヤワティ首相は現役だし、生きている人間を偶像に仕立て上げるのはどうかと思う。

ただ、最近努めてそうするようにしているのだが、何故こんな誰が見ても馬鹿げた政策をウッタルプラデシュ州政府は進めようとしているのか、その背景を彼らの視点に立って考えてみることも必要だと思う。本当かどうかはわからないが、こうした銅像を作るカーストが存在し、そのカーストが下級である場合、これは一種の所得移転政策なのかもしれないと思う。勿論一時的なものに過ぎないわけだが。高裁は「納税者のお金」というが、納税者がどのようなグループの人達で、逆にこうした偶像を建設して儲かるのはどのような人達なのかを考えたら、同じウッタルプラデシュ州でデリーと隣接しているノイダあたりの高額所得者に課税してその税収を銅像建設という公共事業に使っているとも言えなくはない。

本当にそういう構図なのかどうかは僕もよくわからず、少し無責任なコメントかもしれないが。

ウッタルプラデシュ州はとても貧しく、ダリット(不可触民)でなくとも公的な生活支援がなければとても生活ができない。ましてやダリットはダリットであるからこそ受けられる公的支援プログラムもあるわけで、どうも貧しい人々の権利意識はものすごく強く、特にダリットのそれは強いように思う。言わば支援は受け取れるのが当たり前で、もらえるからかえって働いて自立を図ろうという意志もなかなか起き得ない。モラルハザードがかなりひどいような気がする。だから、自分に対して直接的な支援を施してくれる政府が良い政府ということにもなり、自ずとダリットを支持基盤とするBSPのような政党は、一種のバラマキ型の経済運営を行なう傾向が強いように僕には思える。ウッタルプラデシュ州はバラマキに慣れているからこれまであまり問題にもなってこなかったのかもしれないが、正直こういう州で貧困対策支援を行なうというのはかなり難しいのだなと感じざるを得ない。
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