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『インド人の頭ん中』 [読書日記]

インド人の頭ん中 (中経の文庫)

インド人の頭ん中 (中経の文庫)

  • 作者: 冬野 花
  • 出版社/メーカー: 中経出版
  • 発売日: 2009/03/26
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
お寺にギラギラ電飾、列車の中で思いっきり料理、神様には「タメ口」…ナゾ多き大国インドでは、毎日が奇想天外の連続!じっくり住んでみてこそ、旅行や出張では見えないリアルなインド人の姿が見えてくる。ヒンディー語を話しながら、首都デリーで暮らす著者がつづる爆笑エッセー。

冬野花さんというと、妻の方が「ああ、あのエッセイストね」とよく知っている。普段会社勤めしているオヤジなんかよりも、駐在員妻の方がウェブの日本語インド情報をしっかりチェックしている。だから、日本に帰っていた時に暇つぶしで入った書店で本書を発見して面白そうだと1冊買って帰ったところ、実は妻も同じ本を買っていたというようなお恥ずかしい事態が本当に起きてしまう。当然、僕が買った方はブックオフに直行であった。

インドでの生活も2年を経過すると、本書で書かれているようなエピソードは多かれ少なかれ必ず経験する。それに一喜一憂し、手ごわいインドに半ば「敗戦気分」を味わいながら、今月下旬に僕は家族を先に日本に帰すことにしている。妻ともよく話す、海外駐在生活は今回が3回目だが、インドが最もきつかったと。

だから、インドでこれから長期にわたって住もうと思っているような奇特な方は、本書を先ず読んでおくことをお薦めします。そうしてある程度の予備知識を持っておけば、実際にそういう状況に直面することになったとしても、「なんでインドはこうなんだ!」と声を荒げることなく、「これがインドなんだ」と割り切ることができるのではないかと思う。

僕の少し気に入った記述を2、3紹介しておこう。

ひどい渋滞の中を縫うようにして走るバイクや、信号が青になった途端、津波のように大挙して、一斉に我先にと走り出すバイクの群れ。それは、熱気があふれかえるインドの街の、典型的な光景のひとつだ。
 日本から遊びにきた父は、「昔は日本にも、こういう時代があった」と言っていた。「マイカー」が夢から現実へと変わっていった、かの時代のことだろう。今のインドはまさに、当時の日本のような、「高度経済成長、真っただ中」である。
 日本のある世代の人にとっては、何か、とても懐かしい感じがするそうだ。
 ところで、パンク修理屋のような道端営業は、決して合法というわけではない。最近、デリーでは、急ピッチでこの種の店の取り締まりが強化されているので、そのうち、いなくなっちゃうのかなぁ、なんて思っている。なんだか寂しい気分だ……とはいっても、まだまだ普通に見かけるけれど。(p.197)
実はこれと同じようなことを僕も感じている。懐かしいと言うには僕もスクーターやスーパーカブが溢れていた日本の高度経済成長期の記憶があるわけではないが、バイクが一般市民の足という風景は、1987年夏に訪問した台湾・台北で見かけたことがある。当時NIESの一角として注目されていた台湾だ。

 毎日のようにインド人と接していて、思い知らされていることのひとつに、 「インドには、一事が万事、『直接の目的』以外のことには、頭が回らない人々がいる」ということがある。「直接の目的の向こう側に思考がつながらない」と言ったほうがいいかもしれない。(p.228)
これは我が意を得たりという記述だ。職場でインド人スタッフと一緒に仕事をしていて、「何故こうした仕事のやり方をするかな」と呆れることが時々ある。僕が東京で勤めていた頃の部下の1人にそういう奴がいたので、多くの人と長年働いていれば、こちらの意を酌んで数歩先回りして作業を終えているなんて気の利いた仕事ができないのが何人かいても不思議ではないと諦めてはいたが、この傾向は体を使って働くようなマニュアルワーカーには結構いるようで、新しいオフィスの賃貸契約や内装工事に関わる過程で、そういうのを嫌と言うほど経験した。

今日も、職場の同僚と僕自身の新居の物件探しで5カ所ほど家を見てきたが、中には、カーテンレールが邪魔をして網戸の開け閉めができなくなっているのを見てしまった。これなど、カーテンレールを付けることだけに気が向いていたから起きた事態だろう。

また、本書には、インド人の目盛り感覚に関する記述があるが、「ちから任せ」といったら本当に手加減せずにちから任せでやるから、物が変な壊れ方をしてしまうことがよくあるというのも本当だ。1ヵ月ほど前、うちの運転手が、ダッシュボードを掃除していて内蔵のデジタル時計が外れて奥に凹んでしまうという事態が起こったが、何をどうやったら内蔵時計があんなくぼみ方をするのか、僕には理解できなかった。結婚式の会場でのボリウッド映画音楽のBGMは大音響スピーカーをボリューム全開で流すから、大声で話すインド人の声ですら僕は時々聴き取れなくて困ったことがある。手加減をホントに知らん人々だなと思う。

但し、1つだけ、もう少しちゃんと考察してほしいと思った箇所がある。
「貧しい国では、結局、立場が強い側(この時は経済的な意味で)が、涙を飲むことになる」ということ。そして「タダほど高いものはない」というように、「無いほど強いものはない」ということだ。
 相手に償う力がこれっぽっちも、1ミクロンも見当たらないのだから、どうしようもないのである。相手が無力であることが明白であるわけで、そんなとき「持たざる者」は、最強なのだ。お金だけではなく、教育のなさ、知識のなさ、能力のなさ、やる気のなさ(カースト制度は、下層の人間のやる気を奪う)、分別のなさ、モラルのなさ(貧しすぎると、「モラルより金」になる)などなど、あらゆる「格差」の開きがピンからキリまであるような国に住んだことがある者なら知っている、どうにもならなさ。どれだけ「持って」いようと、「無」には太刀打ち不可能なのだ。
 「無い」ということは、無敵である。
インドのような国では、それを、こっぴどく学ぶことになる。(p.125)
この記述を読んだら、それではなぜ農民の自殺者がこれほど多いのかという反論もしたいし、権力を持ち過ぎても「モラルより金」になりはしないかという反論もできる。貧しい者勝ちのような記述は事をいたずらに面白おかしくしているだけのような気がする。

冬野花さんのHPはこちらです。
http://fuyuhana.wancoworks.com/
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かものはし

はじめまして。

 「無い」ということは、無敵である。

確かに、それだとじゃあ、何もしないで良いのでは?って
思ってしまいますね。
インドは、まだ訪れたことがありませんが、
人間の数、渋滞、勢い、熱気・・・。
そんななかで、無気力が最強だとしたら?う~む。。
by かものはし (2009-08-06 09:53) 

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