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『かあちゃん』 [重松清]

かあちゃん

かあちゃん

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/05/29
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
「お母ちゃんな…笑い方、忘れてしもうた」親友をいじめた。誰からも助けてもらえなかったあいつは、自殺を図り、学校を去った。残された僕たちは、それぞれの罪を背負い、罰を受けて、一人の年老いた「かあちゃん」に出会った―。母が子どもに教えてくれたこと、子どもが母に伝えたかったことを描く、感動の最新長編。

久しぶりに重松作品を取り上げてみたい。この本、僕は実家で病床に臥しながら読んだ。

静養目的の一時帰国の筈なのに、いろいろと行事を盛り込み過ぎ、そこに末っ子の風邪と親知らずを抜いた痛みが直撃し、僕は昨夜には38度の熱を出した。今日16日は熱は36度台に下がったが、未だ頭がふらつき、知人を頼って今日見学させていただくことになっていた特養ホーム、老健施設の訪問は中止することにした。変なウィルスをお年寄りに移してはいけないし。

だからこの400頁を超える短編集、結局1日がかりで全て読み切ってしまった。

最近の重松作品では、妻に先立たれた夫が男手1つで子供を育てるというタイプの長編小説が多い。『とんび』『希望が丘の人びと』等である。また、これらに限らず、多くの作品で、一人称で描かれる主人公は男性である場合が多く、かつ子育てや成長する我が子とのコミュニケーションで葛藤する父親というのが多い。逆に、一人称の主人公とその年老いた父親というのも多い。

本書を書店の平積みで見つけた時、先ず感じたのは、「主人公と母親との関係を扱った重松作品って非常に珍しいな」ということだった。著者は各種メディアでも父親論を展開する論客の1人にもなっているが、母親論はひょっとしたら新境地かもしれないと期待して読み始めた。

8編の短編から成るが、それらは1本の時系列上で順序良く並べられており、かつ登場人物は共通しており、各編で異なるのは話の主人公ぐらいである。だから、短編集であるがなんとなく1つの長編小説とも言えないことはない。だから、読み始めたら一気に読める。それは間違いない。

ただ、主題の「かあちゃん」と中身がどれくらいマッチしているのかという点では、収録短編の中には、母親の個性が強烈に光っているわけでもない作品もあったりして、重松の描く父親以上に曖昧な存在としての母親というイメージで本当にいいのかなという気もした。例えば、自分の子供が学校でいじめに遭っていたり、或いは誰かをいじめるのに加担していたりするのに気付いた場合、自分はどうしたらいいのか、或いはそうした事態を回避するためにどうしていればよかったのか悩み、おろおろするのが典型的な母親なのだろうか。そこは僕にはよくわからない。

それに、特に主人公の中学生たちの学校の先生、水原先生と福田先生の描き方にはちょっと抵抗もあった。マザコンの熱血教師という水原先生のキャラは特に違和感がある。逆に福田先生の方は、なんだかキャラクターの使い方が中途半端だなと正直感じてしまった。

さすがに今回は設定に無理が多少あるのではないかという気もする。今時、自分の両親を「パパ」「ママ」と呼ぶ中学生や成人がどれくらいいるのかなというのも疑問だ。父親を「お父さん」と呼び、母親が「ママ」と呼ぶ28歳の水原先生というのは、ちょっと無理があるのではないだろうか。それに、いじめられて自殺未遂を起こした黒川君に会いに行くのがなぜ先生を含めて5人だけでいいのかも正直よくわからない。

そんなわけで、一気に読みはしたが、どうも感動が薄いような気が個人的にはしてしまった。母子家庭で子育てを終えた母親の力強さに比べて、夫もいて子供もいて家族円満に暮らしている母親が肝心な時にオロオロするだけという対称性は目立った。本当にそうなのか、僕にはよくわからない。
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