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『「僻地」こそ医療の原点』 [読書日記]

「僻地」こそ医療の原点 (悠飛社ホット・ノンフィクション―YUHISHA Best Doctor Series)

「僻地」こそ医療の原点 (悠飛社ホット・ノンフィクション―YUHISHA Best Doctor Series)

  • 作者: 谷 尚
  • 出版社/メーカー: 悠飛社
  • 発売日: 2005/01
  • メディア: 単行本
内容(「MARC」データベースより)
八鹿という僻地で、40年にわたり常に先鞭となるべき医療を目指し奮闘してきた著者だから語れるその軌跡。今後の医療のあり方を問う一冊。
日本の僻地医療ってどんな感じだったのだろうか――。

それを知りたいと思い、図書館でドンピシャのタイトルの本を借りて読んでみることにした。インドにあっても僻地医療は大きな問題。医者はなかなか赴任してくれないし、他の医療従事者もなかなか確保できない。地域住民からすれば、折角病院に行っても医師がいなくて診療をしてくれなかったという状況だってあるかもしれないし、病院に行っても高い医療費は負担できないかもしれない。そんな中で一体僕たちは日本の僻地医療の経験からどのようなメッセージをインドに対して伝えることができるのだろうか。そんな問題意識だ。

兵庫県但馬地方の八鹿病院については、以前別の本でも地域全体で病院を支える日本のグッドプラクティスとして紹介されているのを読んだことがある。それが記憶にあったのでこの本を選んでみたわけ。著者である谷院長は昭和42年に副院長として八鹿に赴任してきた。本書は、僕の当初の期待と違い、地域がどのように病院を支えるかという視点はほとんど出てこず、むしろ谷院長が語る八鹿病院の歴史と同院長の病院経営における持論が語られている。しかし、その持論は他の多くの類似の本の著者が主張されている点とも共通するところも多く、それなりに参考にはなった。また、僻地に立地する病院が、ただ単に施設医療サービスを提供するのではなく、地域住民の生活環境を調査してどのような健康リスクにさらされているのかを究明したり、その時々のニーズに合わせて看護学校や老人保健施設を整備して行ったりというところは、今のインドの僻地で活動する医療サービス従事者にとっても、何らかの示唆が得られる話ではないかと思う。
  看護学校の必要性は、私自身もひしひしと感じていた。
  赴任当時からの看護師不足に加え、新しい病棟を建築し病床数を増やすたびに、婦長や事務長などのスタッフが看護師を求めて日本全国の医療関係部署、病院などに頼みに行かなければならない。いったん都会に出て行った人を呼び戻すのは非常に難しいし、都会の病院でさえ看護師は不足していて、とても回してもらえる状況ではない。スタッフがさんざん苦労しているのを見ていて、この看護師不足を解消するには、自前で養成するしかない、と常々思っていたのである。(p.45)
同じような問題意識から、病院に続いて看護学校を開設したNGOがマハラシュトラ州プネで見たSevadham Trustである。プネで聞かされたのも、結局ちょっと都市から離れたところにある低所得者向け病院では看護師確保も難しいから、地域の子女を集めて看護教育を施し、その中から同団体が運営するSevadham Hospitalで看護師採用するという流れを作ったということがある。

また、これもSevadham Hospitalがモバイルバンを導入しているが、移動式検診というのが僻地医療では重要だというのも本書から得られる貴重なメッセージであるように思う。
  病院は医療を提供するサービス業である。サービス業であるからには、患者さんに来てもらわなければ仕事にならない。
  ともすると医療者の側は、患者さんは黙っていても病院に来るものだ、などと思っていて、病院の中に留まって患者さんをジッと待っていることが多い。しかし、ただ待っているだけでは、患者さんは病気が進み、どうにもならなくなってからしか病院に来ない。早期発見など望むべくもないし、治る病気も治らない。医者の側も、ここまできては治療の施しようがない、と手をこまねいているばかりになってしまう。
  これでは地域の医療は良くならない。さらに病院の側も、常に地域の患者さんのためになることは何かを考え、病院として新しい何かに取り組んでいかなければ活性化しない。
  (中略)
  外科の医師たちは皆、必要なのは早期発見のための検診だということに気づいていた。
  しかし住民の病気に対する意識が低いということは、検診への関心も低いということである。病気にならなければ足を向けない病院に、農作業に忙しい人々が来るわけもない。体がなんともないのに、なんで病院まで出かけにゃならんのだ、という声が聞こえてくるようだった。それならば、乳癌検診にはこちらから出て行くしかない。医者が病院を出て、地域を検診して回るのだ。(中略)移動検診を始めたころは、医師も看護師もボランティアで出掛けていった。
  (中略)
  検診がもたたらしたものは、非常に大きかった。
  まず、医者の側から各部落にわざわざ出掛けて検査をすることで、地域住民の病気に対する意識が高まったこと。さらに自治体が検診を受けるように働きかけ、人を集めたことで、その日に受けられなかったから、と、検診のために病院に来る住民が増えてきたこと。そしてもちろん、早期発見によって患者さんの病気がひどくなる前に十分な治療ができるようになったこと。さらに検診で見つかった病気の治療のために病院に来る患者さんや、早期に手術をする患者さんが増えたことで、病院全体が活性化したことである。
  手術件数が増えれば、医師はそれだけ経験を積み、難しい治療にも精通するようになり、さらに救うことのできる患者さんが増える。結局は、こちらが前向きに行動していくことで、すべてがうまく回るようになるのである。(pp.65-69)

著者は、地域医療の3本柱として、「保健」「福祉」「医療」を挙げている。特に重要なのは、「病気にならない」という予防医療を含めた保健と、リハビリを含めた福祉だという。また、リハビリについては、これも他の類似の文献でも度々指摘されているが、チーム医療の必要性を説いている。
  患者さんの自立を目指すリハビリを行なうには、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、栄養士、看護師、介護職員など多くのスタッフが協力し、チーム医療を行なわないと難しい。そのために病院は、一般病棟とは分けて専用の回復期リハビリ病棟を作る必要がある。(中略)
  一般病棟にいたのでは、午前中の40分かけて理学療法士や作業療法士がリハビリをさせ、あとは看護師さんい任せても、看護師さんは他の患者さんに手を取られてリハビリどころではない。結局、中途半端なリハビリしかできず、患者さんのためにはならない。(pp.123-124)

昔は外科が学問領域としてさらに細分化されておらず、たとえ脳外科が専門だからといって交通事故の死傷者の外科手術を専門外だからといって拒否したりはしていなかったらしい。運び込まれた患者の手術にはできる限り応じていくという体制にならざるを得ず、従いそれなりに経験豊富な名医が沢山輩出されたというところもあったに違いない。但馬地方のグッドプラクティスとして、医師不足の問題解消がすでになされているからかも知れないが、本書には今のこの「医療崩壊」と騒がれている状況に対するアセスメントは少なく、他の地域の自治体病院と比べた場合になぜ八鹿病院では医師不足が起きていないのかが十分述べられていないような気がする。その点の物足りなさは少し感じざるを得なかった。
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