SSブログ

『議論好きなインド人』 [読書日記]

議論好きなインド人―対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界

議論好きなインド人―対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界

  • 作者: アマルティア セン
  • 出版社/メーカー: 明石書店
  • 発売日: 2008/07
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
神秘主義でも、宗教原理主義でも、核兵器でも、IT産業や暗算力でもない。3000年の歴史に探る民主主義の水脈。ノーベル経済学賞受賞者が解き明かす真に学ぶべきインド。
冬休み中に読了していたのであるが、休み明けから仕事が立て込み、書評を書いている暇がなかった。(今ならあるかというと今もないが、あまり先延ばしすると記憶も薄れるので、そろそろ一度書いておいた方が良いと思った。)

本書は著者の論文集のようなもので、タイトルの『議論好きなインド人』が言うほど一貫してインド人論が展開されているわけではないような気がした。強いていえば、和書で584頁もあるような大書で、しかも経済学者であるセン教授が芸術論や歴史論を展開しているので、ジャンルが違っても何か言わないと気が済まないという意味で、セン教授自身が最も「議論好き」なのではないかという印象も受けた。

本書にはご丁寧に翻訳者2名による解説が30頁以上にもわたって掲載されており、要約するには丁度よいと思い。訳者によれば、要するに「議論好きの伝統」こそが、インド史を貫く有力な伝統であるとセン教授は主張しているのだという。以前彼について書かれた別の本を読んだ時にも、セン教授の多読ぶりに舌を巻いたというような感想を書いたような気がするが、本書でもそれがいかんなく発揮されている。しかも、単に原書の脚注をそのまま翻訳していただけでは全く理解できない。「これぐらいのことはわざわざ脚注を付けなくても読者の皆さんはご存知だろう」という著者の挑戦的姿勢がうかがわれるが、お陰で訳者は追加の解説を幾つも付けてできるだけ読みやすくなるよう工夫をしている。それでもこの脚注の多さは何なのだろうか。それと、頁内に脚注を付けているケースと文末に脚注を付けているケースとで使い分けのルールがはっきりせず、読みにくさは依然として感じた。

それと、本書の第12篇「インドと核爆弾」は、集英社新書から出ている『人間の安全保障』に全く同じ記述がある。そもそもこの集英社新書に対する感想にも、この論文集の出典はどこなのかがわからないという小言を書いた記憶があるが、改めてそう思った。両者で訳者が違うということは、同じ作業を2組の別の訳者が行なっていたという意味で何だか無駄なことをやられたのではないかという気がした。(セン教授の思想に関心のある人なら集英社新書は読んでいるだろうから、多分気付いているだろうな。)

全部はとても紹介できないので1つだけ気付かされたことを述べておきたい。

第11篇「男と女」において、セン教授は、ケララ州の女性の識字、寿命の改善を評価し、女性はたんに生存条件改善の受益者ではなく、他の生存条件や子供や社会全体の生存条件の改善に働きかける能動的なエージェントとして重視されるべきであると主張している。社会指標に関してケララはインド国内の他の州に比べて数値がよく、ジェンダーの平等が進んでいると評価する声も聞くが、昨年お目にかかったある方から、ケララでは女性に対する暴力で係争に持ち込まれるケースが非常に多いというデータを見せられて意外な感じがしたのをよく覚えている。

性別特定的な人工中絶で0-5歳の子供の男女比が極端に男子に偏っている現状を鑑みて北インドのラジャスタンやグジャラート州等で件数が多いというのは何となくわかるような気がしたが、なんでケララ州で女性への家庭内暴力が多いんですかねと尋ねたところ、「さあ、識字率が高くて女性の権利意識が強いから係争に持ち込まれる頻度が多いんじゃないでしょうか」と言われ、そんなものかなと首を傾げた。このデータの解釈の仕方については、訳者の1人である粟屋利江・東京外国語大学教授が、「女性の識字能力が政治的な領域への参加や経済的な自立に結びついていない」という形で解釈しておられる。人間開発を測る指標としてはケララ州の数値は他の州と比べて非常に良いが、それが必ずしもジェンダー平等を示すものではないというのである。(この辺の議論はそのまま日本の状況にも当てはまるかもしれない。)

そこでセン教授の書かれている中で気付かされた重要な論点というのは、たとえケララを含む南部諸州においても、都市部においては性別特定的な人工中絶が行なわれている証拠があり、現在まだそれほど一般的にはなっていないかもしれないが、今後これが増加する可能性は否定できないと示唆している点である。即ち、全ての州の到達点として今のケララをモデルとして眺めるのではないく、ケララ自体も人間開発関係の指標が今後悪化する可能性だってあり得るというのである。

数値は努力すれば改善されると普通僕達は考えるし、いったん改善されたら再び悪化する可能性もあるということには僕達の考えも及ばないが、実際には他州同様にケララ州も変化しており、逆に数値が悪化することもあり得る。当たり前のことだが本書を読んで初めて気付かされた。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0