SSブログ

『フラット化する世界』からの引用 [読書日記]

フラット化する世界(上)

フラット化する世界(上)

  • 作者: トーマス・フリードマン
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 2006/05/25
  • メディア: 単行本
この年末年始、トーマス・フリードマン著『フラット化する世界』(上下巻、日本経済新聞社)を読むのにかなりの時間を費やした。その中から、気になる記述を幾つか引用し、ここに掲載しておきたいと思う。

 終身雇用はフラットな世界にとってはもはや維持することができない脂肪組織だ。そこで、思いやりのあるフラット主義は、政府や企業がすべての労働者の「雇用される能力」を高める方法に心血を注ぐ。終身雇用はたっぷり脂肪をつけることから生じる。だが、「雇用される能力」が重視されるようになると、そうした脂肪を筋肉に換えなければならない。(中略)フラットな世界では、個々の労働者は自分の一生の仕事、リスク、経済的安定の管理にもっと責任を持たなければならなくなる。労働者がそれをやるための筋肉をつけるのを手伝うのが、政府や企業の役割になる。
 労働者に一番必要な筋肉は、職場などを変わっても持ち運び(移動継続)できる社会保障制度と、生涯学習の機会だ。
なぜこの2つなのか?労働者が転職したり適応したりするのに、最も重要な資産であるからだ。
(下巻、p.135)

これは、高齢社会において活力ある社会を創出するための前提としてよく引き合いに出される政策課題と非常に近い。

 グローバル化しつつある国の悪いところは、卸売改革をすればそれでおしまいと考えている点にある。1990年代、このおおざっぱな経済改革の10の掟――国営産業の民営化、公益事業の規制緩和、関税引き下げと輸出の奨励、等々――をきちんと守れば、発展戦略は成功すると考えた国がいくつかあった。しかし、世界が狭くなり、フラット化しはじめると――中国がさまざまな量産品によって世界各国で誰とでも競争できるようになり、インドが頭脳を至るところに輸出できるようになり、企業があらゆる仕事をどこへでもアウトソーシングできるようになり、個人がいまだかつてないほどに世界規模で競争できるようになると――マクロ経済に集約される卸売改革だけで国が持続的に成長する道をたどるのは無理になった。もっと徹底した改革のプロセスが必要になった――それには、教育、インフラ、ガバナンスを、もっと根本から改革していななければならない。
(下巻、pp.176-177)

何のことはない。近年、UNDPや世界銀行といった途上国開発を支援している国際機関、国際金融機関が年次開発報告の重要アジェンダとして挙げているものと同じではないか。でも、実はこの記述がなされている箇所の前後で、なんでインフラまで入れているのかについて、特段説明がなされていない。その点では物足りなさあり。

 私がいいたいのは、世界のどの地域にもそれぞれ強みと弱みがあり、ある程度の小売改革が必要だということだ。小売改革とは何か?簡単にいうと、貿易と外国からの投資に対して国を解放し、トップダウンでささやかなマクロ経済政策の変更を行なう以上のことをしなければならないということだ。小売改革は、卸売改革が終わっていることが前提になる。インフラ、教育、ガバナンスに目を向けて、その3つを改善し、国民が高いレベルでイノベーションや共同作業を行なうツールと法的な枠組みを整備しなければならない。
(下巻、pp.178-179)

「よい規制とは、規制をゼロにすることではない」とIFCの研究は結論している。「規制の最適なレベルはゼロではないが、現在ほとんどの国、とくに貧困国が採用しているものよりはレベルが低い」この研究は、小売改革のための5項目チェックリストと私が呼んでいるものを挙げている。1つ、競争の激しい市場の簡素化と規制緩和が可能な分野では、できるだけその2つを実行する。消費者と従業員を手に入れようと競争することが、ベストプラクティス実行への圧力になるからだ。それに過剰な規制は、汚職役人が賄賂を要求できる状況を生み出す。(中略)2つ、所有権の強化の徹底。ソトの主導によって、ペルー政府は10年かけて都市部で不法居住する120万世帯に所有権利書を発行した。「所有権が保証されたことにより、親は財産を守るために家にいる必要がなくなり、外に出て仕事を見つけられるようになった」(中略)3つ、規制の徹底にインターネット利用を拡大する。迅速になり、透明になり、贈収賄がかなり難しくなる。4つ、ビジネスに法廷が関与する度合いを減らす。そして最後の5つ目こそが、とりわけ重要だ。「改革を持続することこそが、『2004年のビジネス実践』のすべての尺度に照らして優秀な国なのである」
(下巻、pp.184-185)

ちなみにこのIFCの報告書は原題が"Doing Business 2004"と呼ばれ、2004年版を初回として毎年9月に発刊され、現在2007年版が最新となっている。こういう報告書のタイトルって翻訳が難しいなとつくづく思う。また、『フラット化する世界』を読んでみてちょっと不満に感じたポイントは、このような引用文献について、巻末に文献リストや脚注が付されていないために、原典にあたってみたいと思った読者に、そこから先の手がかりを与えてくれていない点にある。この引用にあるソトにしても、ソト(Hernando de Soto)とは誰なのかについて全く註もない。おそらく2001年に発刊された"Mystery of Capital"だろうと思うけど…。

 小売改革の重要性がこれまでになく高まっていて、たいがいの国がそれを承知しているのに、すべての国が実行しているわけではないことは、まわりを一瞥しただけでわかる。独裁的支配者もしくは一握りの権力者の命令であっさりと実行できる卸売改革とは違って、小売改革は国民と議会がこぞって購入してくれること――つまり幅広い支持基盤を必要とする。経済・政治の既得権に打ち克たなければならないからだ。では、政治指導者が国民を動員して、インフラ、教育、ガバナンスをきちんと改善し、小売改革という起伏を乗り越える国がある一方で、行き詰まってしまう国があるのはなぜなのか?
 1つの理由は文化である。
(下巻、p.190)

この後、著者は、経済学者デビッド・ランデス(David Landes、ハーバード大学)の『強国論(The Wealth and Poverty of Nations)』を引用し、工業化に向けて飛躍できる国とできない国があるのは、国の文化的資質、具体的には勤勉さ、倹約、誠実さ、忍耐、粘り強さといった価値観の浸透度合い、変化や新技術、女性の参政権や平等を受け入れる開放性の度合い、そしてこうした文化による社会的慣習に違いが重要な要素であると主張している。その上で、

 世界各地を訪ねた私の経験からして、フラットな世界では、文化の2つの側面がことに重要ではないかと思う。1つは、その国の文化がどのくらい外を向いているかである。外国の影響と発想を、どこまで受け入れられるか、どれほどうまく「グローカル化」するか、ということだ。もう1つは、(中略)その国の文化がどれくらい内を向いているかということだ。具体的に述べてみよう。国民の団結意識と発展への集中力がどれほどのものであるのか。強力しようとするよそ者への信頼が、社会にどれほど根をおろしているか。国家の指導者たちが、国民のことをどのくらい気にかけ、自分の国で投資しようとしているか。それとも、自国の貧しい国民には無関心で、海外投資の方に関心が向いているか。
(下巻、p.191)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0