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『21世紀のインド人』 [読書日記]

21世紀のインド人 カーストvs世界経済

21世紀のインド人 カーストvs世界経済

  • 作者: 山田 和
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2004/04/15
  • メディア: 単行本


内容(「MARC」データベースより)
IT産業を柱に急速に近代化を進めるインド。しかし、彼らのビジネスや生活の感覚は日本と大きく異なっている。グローバリズムの波に揺れるインドを活写する書き下ろしノンフィクション。

この本、6月初旬に市立図書館で借りて、赴任前にある程度読んでいたのだが、内容が面白かったので手元に置いておきたいと思い、書店で改めて購入してインドに持って来た。8月3日で赴任後ちょうど1ヶ月が経つが、この1ヶ月を振り返ってみながら読むとなかなか面白いなと思った。

僕がこの1ヶ月で感じていた「インド人は手ごわい」というポイントは次のようなものである。

  • 「余計なお世話だろ」という質問を図々しくも聞いてくる。少し前にあるホテルをチェックアウトしようとフロントに行ったところ、韓国人ビジネスマンと思しき男性が次の予約を取ろうとしているところに出くわした。ビジネスマンが会社名を告げたところ、「何をやっている会社なのだ」とフロントのスタッフは尋ねていた。僕はこちらに来てホテルでのチェックインを3回経験しているが、「入国日はいつだ」から始まり、「どこから来たのか」「何しに来たのか」といちいち聞かれる。デリー市内の他のホテルから移ってきたと言ったら、「何か問題があったのか」「そちらのホテルの宿泊料はいくらだったのか」と聞かれた。こちらが許容範囲としている距離感よりも内側にずかずか入って来られるような感じがする。
  • オートリキシャーに乗った際、メーターの料金を支払おうとしたら、「5ルピー足りない」と言われた。「何で?」と聞くのも面倒なほど疲れていたし、以前同じ距離でかなりぼられたことがメーター料金を見てわかった(半額だった)ので、まあいいかと思って言い値で払った。今でもこの5ルピーが何だったのか僕にはよくわからない。
  • 住まいを探していた頃の大家との交渉で、間に入った不動産業者が僕が事前承諾もしていないところで新たな要求を大家に出し、交渉を紛糾させたことが一度ならず二度ある。なんであんなこと言うんだと後で尋ねたところ、「なんで(そんなこと聞くの)?単にゲームしているだけじゃないか」と当たり前のように答えた。

未だ僕は使用人も雇っていないので、これからコミュニケーションの機会がもっと増えてこればこうした「なんで?」という体験はいっぱいするだろうと覚悟もしている。僕よりも滞在期間の長い邦人の人々が普通に生活を送っているのを見ると、僕だけが何だか変な体験をしているのではないかという被害者意識に苛まれることもある。そういう意味で、本書は、インドで生活していく上で「なんで?」と当惑することに対してかなりの解説を施しているので参考になる。少なくとも、上で挙げたような経験をしているのは僕だけではないとわかっただけでもほっとすることはする。

著者の山田和氏というのはこれまでにも『インドの大道商人』『インドミニアチュール幻想』『インド旅の雑学ノート』『インド不思議研究』等の著書を持つルポライターである。僕がこれまで読んできたインド本というのは、政治社会の分析を有識者とのコミュニケーションを通じて行っているものや、インドに進出した日系企業の駐在員の企業経営上の苦労話を扱ったもの、ひいてはインドを投資対象と見てマクロ面での魅力を語ったようなものが多かった。自ずとインド人の日常行動に焦点を当てたようなものは少なかったわけで、その点では本書は新鮮だがインドで生活を送る上で最も参考になる1冊なのではないかと思う。書棚に置いておき、1年くらい経ってもう一度振り返ってみたらどうだろうかと考えてみるのも面白い。

そもそも著者が本書を書くに至った動機が興味深い。以下長いが引用する。

決して批判として言うわけではないが、今までの日本のインド情報はインドの「負」を隠すことを礼儀とするところがあった。(中略)日本政府や日本人はとかく相手国の心証を害さないように心配りをする。それが問題の抜本的解決を遅らせることに気付かない。インドのいい面、おもしろい面ばかりを紹介してどうなるのか。それしか知らない者が本当に現実に対応できるのか。それらの蜜月的啓蒙思想による知識によって何が生まれるのか。結局は無理解による失敗ではないのか。「負」を隠すことで「負」の情報の蓄積と分析を拒み、その結果同胞にいつまでも同じ「負」を体験させることは愚かしい。それで十年一日の対応をしていくことは、日印両国にとってマイナスである。

インドで苦労し、「負」の実像を知った者こそがインドと真につき合うことができることは自明のことであるのに、インドを知る多くの者は魅力の部分しか語らず、「負」の情報を排除する。日本のマスコミはインドの魅力ばかりを書き立て、どのような文化的差異や困難があるかを語らない。またそれらの分析も載せない。これでは広告紙面と同じで、実際多くのインド特集記事は、インドIT産業の明るい未来とともにインド首相や副首相や商業相や工業相の宣伝的コメントを併載し、あたかもこのような紙面作りが日印の明るい未来を築くと言わんばかりなのには呆れる。(中略)相互にインターナショナルをめざすとすれば、互いに「負」の情報を蓄積し分析し、それがたんなる「負」ではなく異文化であることを知ることが重要であり、今の私達にはそれが最も重要なことである。

というわけで、本書を書こうとした動機はじつはここにある。ここに描かれた「負」は、私達にとって宝ともいうべき貴重なデータであり、これを分析理解することが日印双方の未来を拓くことになる。(以上、pp.207-208)

本書を読んでいると、著者はインド人の前近代的とも言える行動様式に対して多くの批判を加えており、インド人が嫌いなのかなという錯覚に陥ったりもする。でもよくよく読んでいくと、彼は日本人のインド幻想をぶち壊したその先に、もっとリアリスティックになった上でインド人と接せよというメッセージを放っているように思える。文章は決して読みやすくはない。小見出しが付いていないので、読み終わった後であれがどこに書かれていたのかを探し出すのが案外難しい。この人のスタイルなのか、或いは版元のデザイン上の方針だったのかはわからないが、ちょっともったいない気がした。

これはもう3年前のことになるが、昔お世話になった上司から頼まれ、インドの農村でITキオスクの運営をしているNGOの代表を会社の予算を使って日本に招いたことがある。また、少し前に京都で開催された国際会議のレセプションの席上でインドの会計事務所の方と名刺の交換をしたことがある。こうした付き合いが今何を招いているか。その後、「Touch Base!(最近どうよ?といった意味)」のメールが度々届くようになったのである。特に何というわけではないが、こうして飯の種とも言える人的コネを絶やさないようにして、いざという時には頼ろうとする。昔の上司はこの方のことを「ちょっと押しが強いが…」と表現していたが、その後の他のインド人との交流から、ちょっとの繋がりでも維持しようとするのはインド人全般に言える傾向なのではないかという気がした。本書を読むと、この仮説が正しいと確信させるくだりがある。「インド人は人的ルートをチャンスや財産と考え、徹底的に利用したがるということ、また何らかの行動を起こすとき必ず人脈を頼るということ」(p.157)―――とてもよくわかるような気がする。

2007年9月4日加筆
山田和氏の著書『インド大修行時代』もブログで紹介したので、そちらもご覧下さい。


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