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『日本の年金』 [読書日記]

日本の年金

日本の年金

  • 作者: 藤本 健太郎
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 2005/02
  • メディア: 新書


内容(「BOOK」データベースより)
公的年金、企業年金など、一見ややこしい年金の仕組みが正しく理解できます。「年金財政は破綻するのでは…」「払い損では…」など、年金制度に対する疑問を解消します。少子高齢社会を迎える日本に有効な年金制度はどんなものか、具体的に考えます。平成十六年改革で、年金制度がどう変わったのかポイントを紹介します。年金用語解説を巻末に掲載しました。

自分の給与明細を見て、社会保険料の控除項目として何が挙げられているのかというのと見比べて理解するには、社会保険実務の手引書を読むのがなかなか参考になるのではないかと思ったが、それを調べる過程でふと1つの疑問が生じた。――「年金保険料」と「厚生年金基金」はどう違うのだろうか?

そこで、今度は日本の年金制度についてコンパクトに書かれている入門書を読んでみることにした。その結果わかったのは、日本の年金の体系が三階建てになっていて、1階部分が国民年金として全ての人が加入する基本的な年金制度であり(基礎年金ともいう)、2階部分が厚生年金と共済年金の報酬比例部分、3階が厚生年金基金などの企業年金や個人年金であるということで(pp.33-34)、僕の給与明細上で「年金保険料」と書かれている控除項目は、1階、2階部分を合算した年金保険料であり、「厚生年金基金」と書かれている控除項目は、3階部分の企業年金の積立金に相当するということがおよそ理解できた。

また、日本の年金制度がよく「賦課方式」という言葉で表されるというのでずっと完全な賦課方式だと勝手に思い込んでいたが、「賦課方式」と「積立方式」の中間的性格を有することもわかった。つまり、高齢世代がその年に受け取る年金給付は、その年の現役世代が納める保険料で賄うという賦課方式と、自分が事前に積み立てておいた保険料で将来の年金給付を賄うという積立方式が組み合わさっているというのである。その理由は、日本の厚生年金と国民年金には約150兆円の積立金があるからで、日本は元々は積立方式で年金制度をスタートさせたが、戦後やオイルショック時の急激なインフレを受けて、保険料率を物価上昇率に合わせて引き上げていたのでは経済が持たないと考えられたことから、年金の実質的な価値を維持しつつ保険料率を低く抑えられる賦課方式に近づける措置が取られてきたためであるという。(pp.87-88)

この積立金は、運用利回りが良くないことや、社会保険庁の不透明な運用もあって強い批判を受けている。しかし、巨額の積立金が存在することで、これからの少子高齢化のピークに向けて悪化していく年金財政を緩和する効果はあると著者は評価もしている。(p.89)

これらの議論から僕は次のようなことを考えた。賦課方式は少子高齢化のような人口動態の影響を受けやすいため、これから日本以上に急速に高齢化を迎えるアジアの国々での年金改革の方向性としては必ずしも適切とはいえないのではないか。元々年金制度自体が未整備の国々では制度構築自体がこれからの課題であるが、むしろ積立方式に近い年金制度の設計にすることが必要ではないか。

ただそうするとさらに2つの課題も見えてくる。第一に、積立方式では積立金の運用利回りが良くないといけないため、積立金の運用先として高利回りの運用や多角的な運用によってポートフォリオ全体のリスクの抑制と高利回りの実現を図っていくことが必要で、そのためにはアジア各国における金融市場の整備を進めることが必要と考えられる。第二に、積立方式は事前に将来の年金額を決めてから積み立てるので、あとになって物価上昇が起きたりすると年金保険料をそれに合わせて引き上げることが難しく、即ち各国政府はマクロ経済の安定性維持のためのより優れた経済運営が求められてくる。

積立方式にはもう1つの課題もあると思う。積立方式の場合は、所得水準が高い人と低い人との間で将来の給付水準に大きな差が生じる制度である。しかも、同じ保険料を納める場合にも所得水準と高い人に比べて低い人は支払うこと自体が苦しい。都市在住の被用者や公務員は加入できるかもしれないが、都市の零細自営業者や農村部の貧困住民がなけなしの現金収入から保険料を支払って加入できる制度にはなっていない。とすれば、積立方式中心の年金制度設計としつつも、自営業者や農民の老後の生活を保証できるような、税金を財源としたセーフティネットが別に必要ではないかという気もする。

話を日本の年金に戻そう。日本の年金制度は、先にも述べたように賦課方式に伴う将来への不安感、積立金の不透明な運用に伴う不信感から、信頼性を著しく欠いているのが現状だろう。それに対して、筆者は年金不信解消に向けた大前提として、開かれた議論が行われることが必要であると強調している。これは今後制度設計が行われていくであろうアジアの多くの国々にも共通する論点としてここでは挙げておきたい。

「年金の負担と給付の水準をどれくらいにするかは、客観的・絶対的に決まるものではなく、国民がどの水準を選択するかという問題です。そして、どの水準にするかを決めていく過程では、年金を取り巻く環境、将来の見通しといった情報を広く公開して、多くの人たちに議論に参加してもらうことが大切だと考えます。」(p.144)


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