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伝説の打撃コーチ・高畠導宏の生涯 [ベースボール]

門田隆将著『甲子園への遺言』講談社、2005年6月

最近、新刊で『野村ノート』という野村克也・楽天新監督の本を買おうかどうしようか迷ったことがある。書店で立ち読みして、結局やめた。ノムさん、書いていらっしゃることは正論だと思うが、かなり主観的な見方になっていて、古田選手や石井一久選手からは年賀状が来ないという下らないことで人の判断をしているのが気に入らなかった。いずれ近所のコミセンの図書館に入荷でもしたら、読んでみてもいいかと思っているが…。

それでこの本だが、これもコミセンの図書館で偶然見つけた。本書で紹介されている高畠導宏氏であるが、「はじめに」から、その生涯を簡単に紹介しておこう。

「平成16年夏、1人の高校教師が膵臓癌で亡くなりました。還暦を迎えて半年足らず、まだ60歳でした。その高校教師には、特異な経歴がありました。なんと約30年にわたって、プロ野球の打撃コーチを務めたのです。渡り歩いた球団は、南海、ロッテ、ヤクルト、ダイエー、中日、オリックス、そして千葉ロッテ。野球の質が、パワーから技術へ、そして諜報戦から総合戦へ、さまざまに形状を変えていく中、彼は常にその最前線にいました。そして、7つの球団で独特の打撃理論と卓抜した洞察力を駆使して選手たちの指導をおこない、時に相談に乗り、汗と涙を共有しながら、気がつけば、のべ30人以上のタイトルホルダーを育て上げていました。しかし、その伝説の打撃コーチは、50代半ばで一念発起し、高校教師になるために通信教育で勉強を始めます。そして5年かかって教員免許を取得し、社会科教師として教壇に上がり、「甲子園」を目指しました。」

途中、南海ホークスの凋落のプロセスとか、ちょっと話が脱線するところや、なぜタイトルが「甲子園への遺言」なのかにわかいはわかりづらいということはあるが、高畠導宏という人物が、野球選手やプロ野球のコーチとしてだけではなく、人生のコーチ、教育者としていかに優れた才能を持ち、それを裏打ちするだけの努力を払ってきたのかが描かれている。最近、ビジネス書でコーチングについて書かれているものを見かけることが多いが、そうした理論書よりも本書は断然面白い。そして、優秀なコーチとは、本人がどれだけ実戦で揉まれてきたか、そして自分の殻を破るためにどのような努力を払ってきたのかによって規定されるのだなということがよくわかった気がする。

「私は、コーチになる時、よーし、ほめまくってやろう、選手をほめてほめてほめまくってやろうと思ったんですよ。」

「プロの世界に入ってくる人間は、必ずどこかにいいところがある。人より優れたところがなければプロには入ってこられません。だから私は、人より優れているその部分を徹底してほめようと思いました。(中略)その方が、選手ははるかに成長するからです。」

高畠氏が選手をほめる理由は、選手の欠点は直そうとしても直るものではないからだという。欠点を直すことはできない、言い換えると、欠点だけを直そうとしても無理で、選手に自分の欠点を意識させることなく、長所を伸ばすことによって知らず知らずのうちに欠点を克服させようとしているのだという。

高畠氏の生涯については、テレビでもドキュメント番組が放送されていたので興味があったが、これを読んでみて、初めてこの人の凄さというのがよくわかった。人をほめよといわれて、それはそうしたい気持ちはあるのだけれども、うまく育てられなかった部下も僕にはいた。僕はそもそもそういう人物は今の会社にミスフィットなのだと勝手に割り切っていたけれども、ひょっとしたら僕自身の未熟さから来ているのではなかったか。そんな風にも感じた。

さて、本書の中でのノムさんの描き方というのも、いかにも『野村ノート』の著者らしいなという気がする。武道に「守・破・離」という考え方があるが、先達の教えを守るところから独立し、新たな悟りの境地を開いていくという道を究めるプロセスを描いた言葉だが、ノムさんの場合は、自分が育てたと自負する人物が、自分の理論を打ち破って新たな自分自身の道を切り開いて邁進していくことが我慢できない人なのだろうな。南海時代は上手くいっていた高畠氏との師弟関係が、ヤクルトでの監督-コーチの関係では上手く行かなかった理由は、ノムさんの心の狭さにも原因があるのではないかと思った。

さて、今日のウォーキングの実測地は21,518歩と昨日をも上回った。


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