SSブログ

無責任な街頭演説はするな [地域愛]

以前、下手な街頭演説だとけなした革新系政党のO候補が今朝もM駅の南口で街頭演説をやっていた。1つ訂正しなければならないが、この候補、演説が下手なので新人かと思っていたら、なんと現職の市議会議員らしい。それはともかくとして、今朝の街宣では「小学校の1クラス20人制実現」なる公約を書いた旗を立て、福祉の充実を行き交う通勤客に訴えていた。

ちょっと待った。福祉の充実は大いに結構だが、財源どうするの?小学校を1クラス20人にしたら、今のM市の公立小学校の教室はただでも足りなくて「小中一貫教育」なんて奇妙なコンセプトを打ち出して6年生を中学校に移して授業を受けさせようと教育委員会が画策している状況なのに、教室足りないでしょ?教員はどうするのよ?

ボクは決してドライな財政再建論者ではないけれど、こんな実現可能性の乏しい公約、言ってて恥ずかしくないのかと思ってしまう。それじゃ増税するの?M市の世帯構成は正確には知らないけれど、大学が多いことから意外と独身世帯が多いと想像する。そんなところで、自分にメリットがない住民税の負担増は勘弁願いたいと思う納税者は多いのではないだろうか。

今さら住民に負担増を押し付けて福祉の充実、教育の充実といった「大きな政府」を謳う世の中ではないとボクは思う。代わりに、受益者から直接負担を募るやり方か、或いは地域のボランティアの活用といった方法が考えられる。M市では、一部の公立小学校で「コミュニティスクール」という新たな手法が試行的に導入されている。地域住民が学校運営や授業運営に参画する官民連携の手法で、特に授業の実施においては、「総合的な学習」の時間を利用して、地域のお年寄りが「地元学」のような授業を実際に子供たちに教えている。お年寄りにはこれまで生活してきた知恵を披露する場であり、子供たちにとっては地域の歴史風土や先人の知恵を学ぶ貴重な機会となっている。こうした形で地域のお年寄りが学校に関わることで、お年寄り自身の生きがいにもなる。こうしたメリットを感じられるお年寄りは、有償でなくても喜んで参画して下さる貴重な人材である。

かく言うボクも、長男を通わせているI小学校のクラスで、朝礼の時間を利用した本の読み聞かせのボランティアを妻と二人で時々やらせてもらっている。ど素人の下手な朗読であるが、学校の先生任せにするのではなく、子供たちに良いと思うことは父兄が率先して関わってゆくべきであると思うので、そういうことは実践させていただいている。

要すれば税金とは異なる形での住民負担である。そうしたコストの面に言及せず、福祉の充実を主張するのでは誰も振り向いてくれない。O候補にはそれを考えて欲しい。ちなみに今日の日経新聞には市町村合併に組せず独立独歩の道を選んだ自治体の話が記事に載っていたが、現状維持を望んだのではなく合併とは異なる形での改革を目指すのだということらしい。かく言うボクの故郷でも守旧派の町会議員が合併で議席を減らされるのを恐れて土壇場で反対を強めたため、1月の住民投票で合併の方向性がひっくり返って現状維持となった。しかし、合併否決は現状維持ではないこと、即ち独立維持を選ぶということは地方交付税の減額を意味するため、今後の公共サービスの質と量の確保のためには、何らかの形での住民負担が今まで以上に必要になると考えられる。公共サービスの民間開放やボランティアの活用である。住民がそこまで考えての反対票であったとボクは信じたい。

最後にO議員の所属する某革新政党にひとこと。地域住民の生活実態を知らずに我が家の前で街宣やるなよ!この連休中、ボクの家の前で拡声器を置いていきなり街宣やられたので、「赤ん坊が寝ているんでこんな場所でやらないで欲しい。隣の家にも同じような月齢の赤ちゃんがいるので、やるならもっと遠くでやって欲しい。」と苦情を伝えた。妻に聞いたらこれが二度目らしい。ちゃんと組織のメモリーに蓄積しておいてよ。街宣やるなら付近の住民にひとこと言ってから始めて欲しいものだ。

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0