『江戸の陰陽師-天海のランドスケープデザイン』 [読書日記]
内容(「BOOK」データベースより)【市立図書館MI】
徳川幕府の宗教担当ブレーンとしてその政権の礎を築いた天海。天台密教は言うに及ばず、陰陽五行思想や道教、さらに陰陽道を駆使して、日本的風水による江戸の町づくりを「陰陽師」さながらに実践した大スケールの人物を、遺された神社や寺院の建築群を主軸に、ランドスケープデザインの実態を通して解明する。
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』も、今週末がいよいよ最終回。本能寺の変が描かれる。なぜ明智光秀が織田信長に対して謀反を起こしたのかについては諸説あり、いったいこの大河はどの説に基づいてドラマを描くのか、ネット上での議論が喧しいが、どうやらその諸説をうまく取り込んだ形で展開していきそうだと、エンディングの輪郭が見えてきたところかと思う。
何週か前の放送で、徳川家康と三河の忍びである菊丸とのやり取りの中で、京でいちばん信頼が置けるのは「明智様」だという話が出てきたが、あのシーンが入ったことで、ひょっとしてこの大河は「明智光秀=天海僧正」説というのを取るのではないかと、一時ネット上で騒然となった。時代考証上あり得ないという反論もあるものの、源義経がジンギスカンになったという伝説並みにロマンを感じさせる説だと言える。
で、「天海」って何やった人なんだろうか?僕は時々この南光坊天海と金地院崇伝がゴッチャになる。いずれも徳川家康の宗教政策面でのブレーンだった僧侶だが、何をやった人かがよくわからない。ちょっとだけ風水に造詣のあるうちの妻が、市立図書館で『江戸の陰陽師』を借りてきてそのまま積読にしてなかなか読み進めないのに気付き、僕は横取りして本書を読み始めた。
面白い! 太田道灌が江戸城を開いた頃は、江戸城周辺は洪積層と沖積層が入り組んだ湿地帯だったそうだが、そこから徳川家康の江戸入城により、世界最大の都市と言われるまでに急発展を遂げる。そこには寺社も造営され、いったいどういう考えに基づいてそれらがそこに配置されたのか、僕らはあまり考えたことがなかった。
それが、家康の命によって、京に倣って鬼門と裏鬼門を護る目的で寺社の配置を考えたのが天海僧正だったらしい。ついで言うと、大手町1丁目1番地といえば平将門の首塚があるところだが、なぜそこに首塚ができたのか、その配置についても天海僧正の思惑があったらしいとか、読んでいてフムフムと頷かされる記述がかなり多かった。
風水術に基づく江戸の空間配置は京に倣っているから、記述の半分以上は京の空間配置の話で、しかも同じ戦国、安土桃山時代の話ではなく、古くは坂ノ上田村麻呂の奥州征討にまで遡って日本史の復習にもなっている。江戸の話は分量的には少ないけれど、それでも面白い東京ガイドになっていると思う。
従って、主には風水術に基づく天海僧正の江戸のランドスケープデザイン面での業績の話で、その出自に関する諸説を詳細に論じた本ではない。少なくとも、「光秀=天海」説は著者はあまり取っていないように思われる。なので、明智光秀からの連想で本書を読むとちょっと期待に添わないだろうが、江戸・東京の歴史について興味がある人は、是非一度読んでみて欲しい。
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