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『女の民俗誌』 [宮本常一]

女の民俗誌 (岩波現代文庫―社会)

女の民俗誌 (岩波現代文庫―社会)

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2001/09/14
  • メディア: 文庫
内容紹介
庶民の歴史のなかで,もっとも明らかにされていないのが女性の歴史である.民俗探訪の旅の目的は,男たちの陰に女たちの息遣いを発見してゆくことでもあった.本書は宮本常一の膨大な著作のなかから,単行本・著作集に未収録の論考を中心に構成され,貧困と闘い困難な生活を生抜いてきた日本の女性たちの素顔を浮彫りにした.
今週もお疲れ様でした、ということで。本題に入る前にこんなことを書くのも変だが、この1週間は、僕の会社人生でも最大の試練ともいえる出来事があって、とても疲れたので、何らか記録でも残しておこうと思ってひと言述べさせていただいた。年明けから順風満帆だった僕の仕事の歯車が狂ったのは先週金曜日の昼前のこと。それからはあまりのショックでなかなか他の仕事に集中できず、三連休の間もどこをどうすればよかったのかと逡巡してため息ばかりが出た。時が癒してくれるところは多少はあったが、1週間が経過した今も、やり切れなさはかなり尾を引いている。他にも仕事関係では思わぬ人の思わぬ行動で振り回されて地団太を踏んだことも二度三度。そういう時期もあるのだろう。

そういう1週間を過ごしたので、本を読んでいる時もなかなか集中できなかった。この時期に読んでいたのが宮本常一の『女の民俗誌』だったのは、この本が年末年始に読もうと予定していた数冊のうち、最後に残っていた1冊だったからだ。朝風呂、通勤電車、そして就寝前の日課として、1章ずつコツコツと読み進めた。ただ、宮本の著作を読んでいてよく感じるのは、自分自身と縁もゆかりもない地方の歴史や風俗、伝承などに関する記述は読むのになかなか身が入らない。面白いエピソードでもあるとぐぐっと引きこまれて数ページ苦もなく読めてしまう、そんな箇所もいくつかあるが、物事になかなか集中するのが難儀な時分には、知らない地方の知らない民俗のお話は、読み飛ばしたことも告白しておかなければならない。

そういう意味では、自分が知りたい地方の風俗習慣、地理歴史などへの言及箇所を探すために、索引があると便利だ。宮本作品は特に、この索引が必要だという思いが強い。残念ながら本書には索引がない。

そうした読みにくさはあるものの、足で稼いだ宮本の「ひきだし」の多さには改めて感動を覚える。それに、宮本が生きた時代は、地域毎に風俗習慣、住民構成、地域形成のプロセスなどに大きな違いがあり、民俗の多様性が豊かな時代であったのだと強く感じさせられる。本書のようにそれを「女性」という視点から見ていくと、風俗習慣がどのように継承されて行くのか、民謡や楽器演奏、踊りといったものがどのように世代間で受け継がれていくのか、そして村で古くから伝わる史実や言い伝えがどうやって伝承されていくのか、それまで漠然としていたものが、よりリアルにイメージできるようになってくる。

一方で、そうした地域毎の民俗の豊かさを奪っていったのが1950~60年代の高度経済成長である。昔は家財道具や衣服が壊れたり破れたりしたら、工具や裁縫道具とその辺にある材料を使って修繕し、長く使おうと工夫や努力が重ねられたが、物質的に豊かさが増し、所得水準も上がってくると、壊れたら新しいものを買ってこればよいというライフスタイルに変わり、全国どこへ行っても同じような製品が売られるようになっていったと、宮本は、多分ため息混じりに、書きつづっている。民謡は廃れ、テレビやラジオで聞ける大衆音楽が盛んになっていく。農作業や家内労働の単調さの中で歌われ、共同作業の過程で一緒に歌われた、地域の特徴をたたえた民謡の数々は、今や伝承の手段を失って、歌詞をそらんじることのできる人はどんどんいなくなってきている。歌詞の端々に描かれている地域の様子をうかがい知るすべは、どんどん失われてきている。言いかえると、グローバル化の流れの中で、ローカルなものがどんどん失われている。さらに言えば、それは地域の多様性がどんどん失われ、画一化が進む過程であった。

本書を2年前に買ったのは、当時自分が書こうとしていた本の材料集めが目的で、そのために最初は製糸工女の部分しか読まなかった。2年経ってようやく全編読み通してみて改めて感じたのは、明治から大正、昭和初期にかけて、全国いたるところで桑が植えられ、養蚕と座繰り製糸が行なわれていたのだということであった。上州富岡や信州岡谷だけではなく、農閑期に糸をとって布を織るという作業は自給自足が基本だったひと昔前の日本ではそこらじゅうで行なわれていたようだし、カイコのえさとなる桑も、南は九州から、宮本の生まれた周防大島、中部、東北に至るまで、相当広範囲にわたって植えられていたことが本書の記述からは窺える。周防大島の宮本の母に関する記憶には、母が幼い宮本を連れて桑の葉を採りに行ったことが書かれている。葉を摘んで自宅の飼育棚まで運ぶのは結構な重労働だった筈だが、それをやっていたのは女性が多かったようで、そういうのも、女性という視点から日本の農村社会を捉えてみないと見えてこないものであった。

僕達は、往々にして今目の前にあるものがあたかも昔からそこに存在していたかのような錯覚にとらわれることが多いが、当然ながらそんなことはない。お年寄りは世を去り、子供は成長して家を出て、都会に出て結婚して、子供ができても核家族。古い風習を次の世代に伝えるメカニズムが欠けてしまっている。今を生きるためには過去の風習を云々する必要性はないかもしれないが、我々がどこから生まれてどうやって今に至っているのかを知るすべを失ってしまうのは悲しい。そういう意識を持った僕達の世代が、親や祖父母の世代の記憶を形式知として残す努力をしなければいけない時期に来ているのだろう。

そして、宮本の著作を読むたびに、では僕の故郷はどうだったのだろうかと考えてみる。
父や母から昔の話をちゃんと聞いて記録しておかねばとも…。


取りあえず、2年間積読状態だった蔵書を1冊クリアできた。
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