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『創造の方法学』 [読書日記]

創造の方法学 (講談社現代新書 553)

創造の方法学 (講談社現代新書 553)

  • 作者: 高根 正昭
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1979/09/18
  • メディア: 新書
出版社/著者からの内容紹介
アメリカの幼稚園では、絵にしろ工作にしろ、両親や先生が、手本を示してはいけないことになっている。模倣を排し、個性を尊び、新しい表現と、知識の創造を目ざす風土と伝統なのであろう。西欧文化の輸入に頼り、「いかに知るか」ではなく、「何を知るか」だけが重んじられてきた日本では、問題解決のための論理はいつも背後に退けられてきた。本書は、「なぜ」という問いかけから始まり、仮説を経験的事実の裏づけで、いかに検証していくかの道筋を提示していく。情報洪水のなかで、知的創造はいかにしたら可能なのだろうか。著者みずからの体験をとおして語る画期的な理論構築法が誕生した。
少し前に読んだ佐藤郁哉著『実践フィールドワーク入門』で、お薦めの参考図書として紹介されていた1冊である。初版発刊が1979年となっており、さすがに図書館でしか入手できないだろうと思っていたが、ある日書店でなんとなく新書の棚を物色していたら、装丁を一新した講談社現代新書の棚に本書を見つけた。即購入した。今も店頭販売されているということは、毎年ある程度は出ている本なのだろう。本書は基本的には著者が米国留学時に学んだ社会学の理論と方法論について、自叙伝風に描いたものである。しかし、その1つ1つが丁寧にわかりやすく解説されており、さらに当時米国で行なわれていた論争の争点、幾つかある方法論の間で揺れ動く研究者の葛藤等がよく描かれており、社会科学系の研究を志す者が取りあえずとっかかりとして読んでおくと有用な1冊だということができる。

本書は自分でも気軽に何度か読み返してみたいと思ってはいるが、取りあえず一度通読して、気になった箇所を書き出しておく。

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私はアメリカの大学教育においては、「三つのR」つまり「読み、書き、算数」の基本的訓練がしっかり行われていると言った。この場合、組織的な読書の訓練は、知識の生産にどのような意味を持っていたのであろうか。およそ新しい知識を生み出すためには、既存の知識の体系についての組織的な理解がなければ、一体なにが新しい知識なのかその見当さえつかないであろう。従って組織的な読書とは、知的生産の基本的な準備に他ならなかったのである。(pp.25-26)

仮説とは、「結果」となる現象が一定の方向に変化するような、条件に関する立言(statement)と定義することができる。(p.38)

既に21世紀を迎えようとしている今日の大学においては、学生は個々の経験的事実を超えた概念を把握する方法を、学ばなければならないということである。また学生は因果法則に基づいた理論を構築する方法をも、学ばなければならない。さらに彼らはその理論をどう経験的データによって検証するか、その方法についての訓練をも与えられなければならない。つまり科学的思考法、科学的研究法の根本的原理を学ぶことこそが、今日の大学教育の根本的機能に他ならないのではないか。(中略)たとえば半世紀前までは、エジソンやライト兄弟のような、理論を知らぬ町の発明家が、歴史的に重要な発明、発見を行うことが可能であった。しかし現代においては、高度な理論を駆使することなしには、重要な発明や発見を行うことは、もはや不可能なのである。その上、加速度的に発展する現代の学問の世界においては、既成の理論や事実についての固定的な知識は、たちまち時代おくれになってしまう。それだからこそ「何を知るか」ではなく、「いかにして知るか」という、基本的方法の学習が大学教育の中心的機能とならなければならないのである。(pp.187-188)

研究者として実際に新しい研究計画を立て、その計画を実施するには、それまでの先人の理論を参考にしながら、自らの理論を組み立てなければならない。理論構築法とは他人の学説を学ぶだけでなく、自ら理論を組み上げる際の、基本的原則のことを言うのである。(中略)つまり因果関係の推論を行う際の原則を、理論の側面から述べたものに他ならない。言い換えれば、現実の研究の過程を考慮しながら、科学の論理を原則的にまとめたものなのである。そしてこの理論構築法のなかで中心を占める原則が、すでに紹介した因果関係の推論における、三原則なのである。すなわち、(1)独立変数の先行、(2)独立変数と従属変数の共変、(3)他の変数の統制(パラメータの確立)の三原則なのである。(p.189)

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当たり前だろ、そんなのは基礎の基礎だと笑われるかもしれない。でも、この歳になると、今さら恥ずかしくて他人に訊けないことも沢山ある。「無作為化対照試験」「ランダム化比較試験」(Randamized Control Trial、RCT)なんてその典型である。RCTと明示されてはいないものの、本書には明らかにRCTのことを説明している記述がある。また、ややもすると社会学と人類学の違いがわからなくなることがあるが、元々社会学の学位取得のために渡米していた著者は、現地で触れた人類学が社会学との比較でどのようなものなのかを自分なりに整理されている。こういうのも、参考になる。今さら訊けないことが、本書の中には幾つか書かれている。

さて、この著者、本書が発刊された1979年当時、上智大学の教授をなさっていた。僕の母校である。僕が高校生だった30年前にこの本と出会い、かつその当時に今の自分が何をやっており、何について悩んでいるのかを予見できていたとしたら、同じ上智でも、社会学科か比較文化学科を志望したかったなと軽い後悔の念を禁じ得なかった。今の仕事ではまさに社会学や人類学の分析手法の知識が求められているが、アラフィフティーにもなって改めて勉強する気力がなかなか湧いて来ず、苦戦を強いられている。たっぷりと時間があった学生の頃に、高根教授の薫陶を受けていれば…。

―――と思ったが、ちょっと調べてみたところ、高根教授は1981年にお亡くなりになっていることがわかった。つまり、僕が上智に入学した1982年には、既に高根教授の指導を受けること自体ができない状況だったということである。
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