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『愚の力』 [読書日記]

愚の力 (文春新書)

愚の力 (文春新書)

  • 作者: 大谷 光真
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/10/17
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
法然聖人が提唱し親鸞聖人が実践した「愚者」という生き方は、わたしたちに多くのヒントを与えてくれる。「愚」をキーワードに、西本願寺24代門主が、わかりやすく説く宗祖・親鸞の教え。本書は、まるで末法の時代の人々のように、不安の日々を暮らす現代人にとっての人生の書である。
ここ数週間の間、故郷で母方の祖母を亡くして出棺から通夜式まで参列したり、早めのお盆休みで帰省した際にご先祖の墓を参ったりして、少しばかり仏教に触れる機会があった。久し振りに近所の菩提寺のお御堂に入ってご本尊に手を合わせたが、静かに心休まる場所だなとつくづく感じた。僕らは保育園児から小学生にかけての頃、月1回お経を読む稽古でこの菩提寺に通ったことがあり、浄土真宗の「正信偈(正信念仏偈)」の読み方を習った。お陰で今でも自宅などでお内仏を拝んでおつとめがある時はだいたい読むことができるが、最近、この「正信偈」に書かれている漢文の意味が何なのか、読みながら考えることが多くなった。そう言えば、親鸞についても、日本史では習ったけれどもどのような生涯を送ったのか、全然知らない。

働き盛りの頃には毎日のおつとめも祖母に任せて、お仏壇の前で合掌する姿など滅多に見たことがなかった父が、いつの頃からか毎朝おつとめをしている姿を見かけるようになった。檀家の代表を務めたこともあり、菩提寺の行事に頻繁に顔を出すだけではなく、京都の東本願寺にもよく出向くようになった。僕のネパール・インド駐在の時期には両国を訪ね、ブッダゆかりの地を旅した。直接的には超高齢だった祖母に代わって我が家の勤行をつとめる必要性にかられたからだろうと推測するが、単におつとめをするだけではなく、しっかり教義の勉強もしている様子であり、何がそこまでさせるのか、この歳にして興味が湧いてきた。

そんな問題意識もあり、自分も少しぐらい実家の信仰について知る努力をしようと思い、たまたまコミセン図書室で見かけた本書を手にとって読んでみることにした。(うちの実家は真宗大谷派で、本書の著者が門主を務める浄土真宗本願寺派とは宗派が違うのだが。)

親鸞の教えを本書を1回読んだだけで全部わかったようなことは言うつもりはない。おそらくこうした類の書物をこれからも何度か読んで、さらにできれば菩提寺のご住職の講話を聞いてみたりして、それで少しずつ理解していくものなのだろう。今回の読書だけで言えば、親鸞の歩んだ道のりについて学び、さらに「一切衆生」という考え方に触れたことがまあ収穫と言えば収穫だろう。先ずは自分の愚かさを認めること、そして人間中心という考えを捨てて、生きとし生けるもの全てを意識していくことが求められるというのは、僕らがよく言う「持続可能な開発」という考え方とも相通じるものがあるかもしれない。

昔、元日朝の菩提寺でのおつとめの後でご住職の講話を聞いた際、そのお話が政治や国際情勢にまで広がりを見せたのに戸惑いを感じたことがある。今本書を読んだ後で振り返ってみると、その戸惑いはむしろ間違いで、仏の道に帰依する人ほど博学でなければならないということなのだろうと思えるようになった。

本書を読み終えた後、ふと、自分の自宅周辺に真宗大谷派のお寺がないものかと調べてみた。すると、あったあった、調布の深大寺近くに。しかも、ホームページまで作っておられる。さっそくのぞいてみたのだが、普通の一戸建住宅の1階部分を改装してお寺にしたような感じで、僕らがお御堂に入る度に感じた荘厳さとかはあまりなさそうな雰囲気だ。まだまだ通おうという気持ちにまではならないが、せめて実家に帰る時にはもう少し自分がやっていることを理解した上で合掌礼拝・称名念仏したいものだ。
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