SSブログ

社会起業家の切ない現実 [インド]

今朝、このところ4週間もかかって読んでいたウィリアム・イースタリー著『傲慢な援助』をようやく読了した。いずれこの本の話はご紹介しようと思っている。その中で、官僚主義が草の根の優れたイニシアチブを苦しめるなんて話が幾つか登場していたのだが、そんな本を読み終わった後で、こんな記事に出会うと、とても切ない気持ちがする。出所はインドの隔週刊誌『Down To Earth』の2010年7月15-31日号である。

張り裂ける声
Voice cracked
2010年7月31日、Alok Gupta通信員
DownToEarth2010-7-15.jpg ラジオ技師から起業家に転身し、NCERT(国立教育研究研修評議会)検定教科書の題材にもなった有名人が極貧状況に置かれているという。
 ビハール州ヴァイシャーリー(Vaishali)県マンスールプール(Mansoorpur)でFMラジオ局を立ち上げるには、2.5mの竹製のポール2本と50ルピーほどの小型トランスミッターがあれば足りる。ラジオ技師であるラガヴ・マハト(Raghav Mahato)さんが2002年に開設したラジオ局は、彼が免許を持っていないことを理由に4年後に閉鎖されてしまった。
 20代後半のマハトさんは、ラジオ局を運営するには免許を取得し、政府認可を受けたトランスミッターを使わなければならないということを知らなかった。中央調査局(CBI)と情報放送省の職員から構成されるチームがマンスールプール村の手入れを行ない、彼のラジオ局を封鎖した際に、初めて聞かされたという。マハトさんは35万ルピーもかかる政府指定のトランスミッターなど購入する余裕はない。今では、彼もお金がなく、日雇い労働者として近くのレンガ工場で働こうかとすら考えているという。
 こうした経済状況にも関わらず、マハトさんは有名である。NCERTは、12年生の社会学の教科書の「社会変革と開発」という章でマハトさんを取り上げているからだ。マハトさん自身は、国中の生徒が彼のイノベーションから刺激を受けていることなどまったく知らなかった。「皆が私を搾取していきました。私は今でも極貧生活を送っているに過ぎません」――自分のことが教科書で取り上げられていると聞いたマハトさんはこう述べた。FMマンスールプールが好評だった古き良き日に戻れるならどんなことでもしたいと彼は言う。
*後半に続く。
記事前半からだけでも随分といろいろな示唆が得られる。個人起業家が起業を考えるにあたって、関連法規の知識がないことが大きなハードルになるということ。そして、よしんば法規や申請手続について知識があったとしても、政府指定の(高価な)機材を使わなければならないこと自体が大きなハードルとなり得るということだ。
IllegalRadioStation.jpg 開局して2週間もしないうちに、村人は彼の放送局に押し寄せ、いろいろなメッセージを流してもらうようになった。迷子の牛やパンチャーヤトの会合の予定、さらには結婚式のスケジュールなども報じられた。この4年間で、ラジオ局は迷子になった子供を6人、水牛を3頭発見するのに貢献した。ボジプリ語やヒンディー語のヒット曲も流した。時にはオンデマンドでの放送も行なった。村の農民であるラクシュマン・ライさん(42歳)はこう言う。「私たちにとっては健全な娯楽でした。私たちの酒を飲み過ぎる習慣すらコントロールしてくれたのですから。」ライさんは夕食後毎日のようにマハトさんを訪ね、自分のお好みの曲目リストを持って行ったという。
 ラジオ局が人気を得たことがかえって破局の原因にもなった。政府当局者がマハトさんの店に査察に入った際、彼らはこのラジオ局が不法でマハトさんは国の治安上の脅威だと言った。マハトさんは彼らの主張がよく理解できなかった。査察チームはマハトさんの逮捕も主張したが、地元警察の担当警官がマハトさんを助けに来た。この警官自身もFMマンスールプールのファンで、ボジプリ語の歌のリクエストを定期的に行なっていたからだ。
 マハトさんはラジオ局開設に必要なライセンスについて説明を受け、郡病院の屋上に設置されていた竹製のアンテナとトランスミッターは撤去された。こうして放送局は息を止められたのだという。マハトさんがラジオ修理中にふと思いついたアイデアに基づきお手製のトランスミッターを作り上げるのにかかった日数はわずかに3日だったという。NGOは政府指定のトランスミッターを入手するために八方手を尽くしてくれたが、かなわなかった。そうした状況にいらだち、しかも仕事がなかったマハトさんは、ラジャスタン州アジメール県ティロニア(Tilonia)村へと引っ越した。NGOが運営する「裸足の大学(Barefoot College)」で女性の障害者にラジオ修理技術を教えた。しかし、この活動は続かないと思った。大学は彼に1日100ルピーの日当と無料の宿泊施設しか供与してくれなかったからだ。
 彼は昇給を期待してしばらくその仕事を続けたが、その機会は訪れなかった。実家の経済的問題もあって彼は昨年この仕事を辞め、マンスールプールに帰った。故郷に戻るといろいろなつてを頼って支援者を探したが、どれもうまくいかなかった。バグワンプールの元議員であるバサワン・バガットさんはこう言う。「議員といっても私も貧しいので助けてあげることはできませんでした。ラジオ局がなくなって寂しいんですけどね。」マンスールプールでクリケットの試合のマッチメイクを手掛けるシブナート・シャルマさんは、ラジオ局がなくなって、クリケットの試合の生中継ができなくなったと悲しむ。「トーナメントも面白みが無くなってしまいましたね。」
 マハトさんはコミュニティ・ラジオを始めたいと思っている。今や法規についての知識もある。しかし、彼は35万ルピーもの大金は持っていない。それ以前に、彼は1万ルピーの借金の返済と家族を食べさせていく方法に悩む毎日である。
*この記事の原文は下記URLからダウンロード可能です。
 http://www.downtoearth.org.in/node/1545
35万ルピーとは日本円では70万円である。これくらいならなんとか援助できないかという考えも勿論あるだろうが、僕がこの記事を読んだ最初の印象はコミュニティ・ラジオ用トランスミッターとしてはちょっと高価すぎるのではないかということで、リベートを貰っている奴がいるんじゃないかと勘繰りたくなった。マンスールプールの村内にだけ電波を飛ばすのなら低出力の小型トランスミッターで十分であり、その程度のの放送局が国家の脅威になるとはとても思えない。70万円もあれば別の援助を考えた方がいい。この記事を読んで純粋に「トランスミッター取得にかかる費用を支援しよう」と思った方がいらしたとしたら、残念ながらそうじゃないんでしょうかと反論はしたくなります。

ただ、この記事は、途上国が発展していくのに必要なものが何なのかについていろいろ考えさせてくれる。こういう、農村に住む人のちょっとしたひらめきが事業に繋がっていくこと、事業化にあたっての小さな小さなボトルネックを解消することが外部者の支援によってできることなのかもしれない。

もう1つ興味深かったのは、あの有名なBarefoot Collegeに対して若干でもネガティブなことが書かれている初めての記事だったからだ。Barefoot Collegeが小型太陽光発電の研修以外にもラジオ修理のような技能研修も行なっていたというのは新鮮な発見だったが、指導をしてくれる講師に対する待遇の淋しさを見ると、ベストプラクティスと呼ばれる取組みにもそれなりの難しさがあるのだなと改めて痛感させられる。


Kendo5.jpg

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0