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『「アジア半球」が世界を動かす』 [読書日記]

「アジア半球」が世界を動かす

「アジア半球」が世界を動かす

  • 作者: キショール・マブバニ
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2010/02/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
内容紹介
欧米の政財界にも影響力を持つシンガポール学者によるアジア論。
2050年には中国、インド、日本が世界経済の主要極となるとしてアジア中心時代を予見する。
久々に国際関係論を扱っていそうな本を読んだ。「これからはアジアが世界の中心となる時代」と聞くと日本人には心が躍る気がするかもしれないが、本書を読んでいて、日本はどちらかというと米国も含めた「西欧世界」の一員と見られているのではないかというのが気にはなった。

仕事柄多少は欧米人と接点があったことがあるが、本書で指摘されている「問題は相手の側にあり、自分たちの側にはない」という考え方を多くの欧米人がしているのは僕も感じることが多かった。「西欧の社説や論評は、ほぼ当たり前のように、さまざまな問題が起こるのは、西欧以外の世界に原因があり、西欧は解決策を検討、実行しようと苦闘しているという構図で描かれている。(中略)最近の記録を眺めれば、自然に疑問が湧いてくるにちがいない。西欧は、重大で解決の難しいグローバルな課題に、きちんと取り組む能力を持っているのだろうか?」(p.237) 著者は、欧米諸国は地球規模の課題に取り組むことができない、欧米は自らを問題解決の主役と考え、問題を発生させた主役とは考えていないため、グローバルな問題の処理がうまくいかない理由を探す際、自らを省みることがほとんどないと主張する。それを示す事例が本書にはふんだんに盛り込まれている。

翻って欧米に属さないアジア地域を見てみると、現実主義的思考に基づき、問題解決と共存共栄に向け、非常に優れた地域運営が行なわれていると著者は見ている。
 イランの事例は、イデオロギー的な思考が、西欧の意思決定プロセスをいかに歪めているかを明確に示している。これもまた、西欧の外交政策の失敗の最近のパターンに深く関わる付加的な要因である。これとは対照的に、西欧の外側では、グローバルな難題であれ、地域的な問題であれ、現実主義的なアプローチを採用する傾向が強まっている。1つにはこのことが、上昇基調にあるアジアの力量を説明してくれるだろう。
 今や、西欧は、他の国や社会が、グローバルな難題、地域的な難題への対処において、自分たちを上回るとまではいかなくても、自分たちと同じ力量をふるえる可能性があることを考慮すべき時期なのだ。いくつかのアジアの国々や地域的組織が最近行ったことは、アジアの力量が大きくなった証であり、今日の東アジアから銃声が事実上消えている理由についての説明にもなっている。(pp.288-289)
ここで具体的に挙げられているのは中国とASEANで、本書全体を通じても中国とASEANの現実主義(プラグマティック)的アプローチに著者は高い評価を与えている。
「歴史に対するアジア最大の貢献は、「近代化への行進」が、どのようにして今よりも安定した、平和で繁栄した世界をつくり得るかという点を、はっきりと示したことである。ほとんどの社会が喜んで近代化への行進に加わろうとしている。西欧は何よりもまず、ある社会を孤立させたり、封じ込めようとする努力を一切放棄するという大きな現実主義的決断を下す必要がある。孤立することは、近代化への行進に参加することができなくなってしまうからだ。(p.355)

中心は中国とASEANであるように感じたが、インドに関する記述もかなり多い。元々非居住者インド人(NRI)である著者のインドに対する期待はあるにせよ、インドはその歴史的経緯からもアジア半球と欧米諸国の架け橋となり得る大きな可能性があると著者は述べている。
 歴史は紆余曲折の事例に満ちている。未来の歴史家は、長期的な西欧の、そしてアメリカの利益に資するはずのアラブ世界の近代化のプロセスそのものを、アメリカがわざわざ台無しにしようとしたことに、首をひねることだろう。
 これこそ、まさにインドが世界の歴史に多大な貢献を果たせる領域なのである。世界全体が西欧から距離を置き始め、西欧の側も世界から離れつつある現在、異なる文化、文明圏の間に――特に西欧とそれ以外の間に――架け橋を築く必要性がかつてないほと高まっている。現代世界では、生来的にこの仕事に適した候補者はごく少数である。その中でも傑出している候補者こそ、インドである。(p.223)

著者はその根拠としてアマルティア・セン教授のアショーカ王やアクバル帝に関する記述を多く引用しているが、さらには現政権の外務政務官で作家でもあるシャシ・タルールの論説を引用し、いくつもの文明が交差する合流地点としてのインドの機能が、ボリウッド映画を経由してインド亜大陸の外にも広がりつつあると述べている。ヒンドゥー・ナショナリストが政権を獲ったりもしているこの国で、ボリウッド映画のスーパースターはムスリムのシャー・ルク・カーン(SRK)である。そして、マハラシュトラ州でシブ・セナがSRK主演映画『My Name Is Khan』上映禁止を叫んでいた今月前半、同じヒンドゥー・ナショナリズムを主張する全国政党BJP(インド人民党)は、シブ・セナの主張に反対し、上映支持の立場を打ち出していた。

米ハリウッド映画を眺めてみるとよくわかるが、ハリウッド映画ではイスラム教徒は否定的に描かれていることが圧倒的に多い。そういう映画ばかり見せられるアメリカ人は、自ずとイスラム世界から距離を置いてしまっている。しかし、ボリウッド映画にはそれがない。『My Name Is Khan』は世界中で一斉公開されたそうだが、舞台となっている米国で、この映画の主人公のムスリムはどのように見られるのか、僕は反響が楽しみだ。
 インドが生来の役割を再開するのは、時間の問題にすぎない。多くの西欧人が、西欧はイスラム世界と平和共存できないと思い込んでいる今こそ、インドがこれまで多くの文明――ヒンドゥー教文化、仏教文化、イスラム教文化、キリスト教文化が含まれる――と協調し、歴史の大半を通じて、そうした異質な人々が平和に生きてきたやり方を、西欧は学ぶべきなのである。
 記録ははっきりしている。インドの政治文化、社会文化には独特のものがある。インド人の精神には、包含と寛容の精神が浸透している。西欧は、しばしば世界を白か黒かといった単純な見方で論じようとする。自分たちと、それと対立する悪の帝国、あるいは悪の枢軸といった見方だ。これに対して、インド人の心は、世界をもっと多くの色で見ることができる。
 インド人が他の文化や文明を引き寄せる力を持っていることが、「西」と「東」の関係におけるインドの役割を決めることになるだろう。インドはある特別な任務を遂行することができる。すなわち、西欧の指導的な立場の人々の心に向かって、自分たちは世界を導くただ1つの文明たる西欧文明の庇護者にして後見人だと考えるのではなく、人類文明全体の庇護者にして後見人なのだ、と考えを改めるよう訴えかける任務だ。(pp234-235)

欧米人の読者には忌々しく、そして中国や東南アジア、インドの読者には大歓迎の1冊だろう。では日本はどうなんだろうか。欧米とアジアの「架け橋」というのは以前は国際社会における日本の役割として日本人の識者の間ではよく謳われたことだが、今やそんな力が日本にあるとは思えない。中国はかつては敵対関係にあった東南アジアの国々とも貿易を軸にして国を開き、相互依存関係を拡大してきたとある。世界をリードしたいという野心があったとしてもそれを表に出すことなく。勿論日本も中国との貿易関係は深まり、人的交流も盛んに行なわれるようになった。

ではインドとはどうだろう。首脳が毎年往来する関係が既に構築されているのは喜ばしいことだと思うが、民間レベルでの人的交流はどうだろうか。著者が述べているような役割が今後インドにはもっと期待されてくるというのなら、そういう役割に上手く乗っていける友好関係が日印間の様々なレベルで深められなければならないと思う。しかし僕の職場を見ても、本社から言われてこなす作業が多くて残業時間が長く、ややもすると休日も出勤だ。忙しくてそれどころではないというのが現実で、貴重な機会を逸しているような気がしてならない。それでいいというのならまあそれでいいのだろう、戦術論としてはやむを得ないと感じることもあるからだ。でも、戦略論としてはどうなんだろうか。個人レベルでは多少の悪あがきをしたいものだと思う。

本書で取り上げられるインド人の中に、ナレンドラ・ジャダヴ博士が含まれていた。ダリット出身ながら、インド中央銀行のチーフエコノミストにまで上り詰めた人で、ちょっと前までプネ大学の副学長(どこの国立大学でも学長はマンモハン・シン首相だから、副学長は実質その大学のトップ)を務めておられた。2年以上前、一度だけお目にかかれる直前までいったことがある著名人だが、その後お目にかかれそうな機会は二度と訪れぬまま、ジャダブ博士はプネ大学を退官された。(余談ながら本書の著者はIMF・世界銀行に対して極めて批判的であるが、ジャダブ博士が一時期IMFのインド代表理事付き経済アドバイザーの仕事をなさっていたことには触れられていない。)

読みやすい本です。著者の論旨がわかりやすいだけではなく、翻訳もわかりやすい。こういう本を読んだ後は、我が子供達には、世界とは言わないからアジアには目を向けていて欲しいと願う気持ちが強い。
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コメント 1

Sanchai

toshiroさん、suzuranさん、つなしさん、
nice!を下さりどうもありがとうございました。本記事の中では書かなかったのですが、著者がリー・クアン・ユー公共政策大学院の学院長だと聞き、今そちらで研究活動をされている私の昔の上司の顔がちらつきました。

ちょうどその方から、そこの大学院の研究者の相手を来週デリーでしてくれと依頼されていたところだったのですが、「いいことやってるんだから忙しくても相手しろ」というニュアンスの言い方をメールでされ、昔の嫌な思い出が蘇ってきてしまいました(笑)
by Sanchai (2010-02-24 02:56) 

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