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Making India Work [読書日記]

MakingIndiaWork.jpgWilliam Nanda Bissell
Making India Work
Penguin Books India
July 15, 2009

この本を購入したのは9月6日、最初の記事は11日に書いた。それから約10日間、地道に読んではいたものの、あまりペースは上がらなった。最終章にまで到達しているが、明日からはカルナタカ州の農村に調査に出かけてそのまま25日(金)夜まで帰らないので、この辺でけりをつけて本書を紹介しておいてもいいかもしれないと思った。

この本はインドの二代目企業家によって書かれたインド改革論である。今のインドの問題点を指摘して、それを抜本的に改革しようという試案である。自分が改革を主導するならここまでやるというのが明確に出ていて、しかもある程度体系的に纏められている。今多分日本では小沢一郎著『日本改造計画』(1993年、講談社)が再び脚光を浴びているのではないかと思うが、その類の本であると考えてよい。しかも、各論にとらわれるのではなく、ある程度の一貫性と全体との調和性を持った改革論ではある。

著者によればインドは大きな潜在性を秘めた国であるが、このままでは無計画なまま大都市にどんどん人口は流入し、2030年には総人口の40%が都市部に集中するという。デリーには今でも1ヵ月に3万人の人口流入がある。都市計画は場当たり的で時として汚職腐敗の温床となり、無計画なまま都市は膨張していく。著者がラジャスタンの田舎で学校を始めるにあたって、専門家グループを動員して徹底的な事前調査を行ない、地域の水を一滴残らず有効活用し、砂漠をオアシスに変えたという実績がある。この都市と農村の対照から言えるのは、改革は進める前の集中的な調査による問題点の的確な把握と入念な計画策定にあるということではないかと思う。

こういう本を読む場合、1冊まるごと内容が記憶できることなんてない。せいぜい4%程度らしい。だから、本書を読むにあたって、「この本の4%とはどこなのか」を相当に意識した。僕なりに読んでこの著者の各論における論点を幾つか挙げると次のようなことなのではないかと思う。

第1に、問題解決はその問題の性格と大きさに応じて問題解決に必要な実施体制も幾つかの段階を設けなければいけないということ。著者はこれを「ライト・サイジング(right sizing)」と呼んでいる。例えば自分が住む地域の問題は自分が住む地域で解決が図られなければならないということである。僕はディフェンス・コロニーの住民福祉協会(Residents Welfare Association, RWA)にはそういう機能があるのかなと思っていたが、RWAは単なる親睦組織、情報伝達のためのネットワーク組織であって、それ自体が自治機能を有しているわけではないというのも本書を読んでわかったことだった。著者の主張は、現状のガバナンス構造(Citizen - Municipality/Panchayat - Block/Subdivision - District - Division - State - Nation)を、新たなガバナンス構造(Citizen - Community - Area - Region - Nation)に置き換えるというものである。

第2に、公的サービスの提供において競争原理の導入を図ろうとしているのが著者の大きな意図であるというのもよくわかった。著者はその財源を税収に求め、かつ使途として基礎的な9つの公的サービスを受ける権利を低所得者層に限定してICチップ埋め込みのスマートカード方式で提供するという一種のバウチャー制度を提案している。本書を読んでいると「TC(Technical Catalyst)」という言葉がやたらと出てくるが、これがまさにバウチャー制度のことであり、これによって公的サービスに一種の「人気投票」制度を導入してサービス提供機関同士で競争させようとしている。

第3に、ではその財源として想定される税収であるが、なんと税制を抜本的に改革して税体系を完全に刷新しようという提案までしている。本書は改革論なので基本的には机上の論理が中心なのだが、唯一参考になった現状の分析としては税源の構成がある。中央政府の税源は、個人所得税(17.5%)、法人所得税(31.3%)、物品税(25.1%)、サービス税(8.2%)、関税(17.5%)となっている。州政府の税収はパーセンテージでは州によって違うが、州売上税と都市運輸通行税(Octroi)からなっている。著者の主張はこれを先述の新ガバナンス構造に沿って各段階に税源を付与し、Communityレベルには財産税、レンタル所得税、資産売上税、さらにArea、Regionレベルにもレンタル所得税、資産売上税を充て、Nationレベルには取引税、30%の相続税等を充てるというものである。即ち、所得に対する課税から、財産に対する課税に全体としてシフトさせるというもので、これにより不動産取引は流動化が進み、今のような家賃高騰は落ち着くと見ている。さらに著者の試算によれば、現行の歳入額は1170億ドルであるが、税制改革によって3201億ドルと一気に税収が3倍近くに増えるという。

国のガバナンス構造や租税体系をここまで抜本的に改革するというのであるから、現実を直視せずに理想論に走り過ぎているという批判が当然可能だ。実際僕も上で挙げたようなポイントがわかった後、著者がくどくど書いている憲法改正を含めた法制度改革、新制度への移行のためのプロセス等はとても読む気が起らなくなってしまった。ファブインディアの二代目経営者が持論をいくら展開しようが結局は初代から引き継いだファブインディアの企業価値を高めた二代目であり、その時点で説得力に欠けると思う。同じようなエスタブリッシュメントから抵抗に遭うだろう。自身がいかに正義感に燃えて「次の世代の権原(entitlement)格差を無くそう」と叫んでも、既にある程度の成功を収めた中産階級ぐらいの親からすれば、おそらく抵抗があるだろう。また、本書はカーストや部族の問題には殆ど言及もしていない。著者は「それは本書の範疇ではない」と最初から予防線を張っているが、なんとなくやりきれない気がする。

僕らがインドで日常生活を送る中で感じる「だからインドは好きになれない」というのは、もっと身近なものだ。「シーク教徒は世界で最も平和を愛する人々だ」という人が自宅で使用人を非人間的にこき使っているとか、気候変動問題や環境問題への取組み強化を唱えている人が地下鉄ができても自動車通勤をやめないとかランチタイムの後のプラゴミをガンガン捨てるとか、機内アナウンスを無視しまくり飛行機内でもなかなか携帯電話の電源を切らないとか、どうせ乗客が全員乗り込まないと出発しないシャトルバスに我先に乗ろうと客室通路をタラップに我先にと殺到するとか、自分の都合で事前連絡も入れずにアポを勝手に反故にしておきながら、「なぜ来ないのか」とこちらから電話を入れると「それじゃ明日はどうか、朝は?」といった調子で都合を押しつけて来ることとか…。セミナー等でフロアから発言しようと挙手しても、手よりも先に口が出る人たちが多くて単なる挙手では自分の順番がなかなか確保できないとかいうのもある。きれいごとだけでは済まないようなミクロな問題を僕らは日常生活の中ではいっぱい目にしているのに、それには言及せずにマクロな部分での改革論を唱えているところに本書の虚しさを少し感じてしまった。

こういうことが日常茶飯事なのがインドなのだ。

政治家や行政機構が機能していないのが問題だというのはそれはそれでわかるのだが、それを認めてしまっているのは国民ではないか。インドにも不満が鬱積していって日本のようにそれが総選挙で爆発する日がいつか来るのだろうか―――そんなことをふと考えてしまった。
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montblanc

インドの政治についてあまりにも何も知らないことに気づきました。
カースト制という言葉が、頭の中をよぎるくらいです。
今朝の新聞にインドの記事はありません。
どんな問題を抱えてるかすら分からないのは不勉強な私だけでしょうか?
by montblanc (2009-09-21 07:46) 

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