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セン教授が語るタゴール(シャンティニケタン) [インド]

前回ベンガルの詩人にして哲学者であったラビンドラナート・タゴールに関する新聞記事を1つ紹介したが、ついでに蔵出しでもう1つ書きたいと思う。

シャンティニケタンといえばタゴールが1901年に開講した学校が原型となり発展したビシュバ・バラティ大学がある田舎町であるが、シャンティニケタン出身者の有名人というのは意外に多い。タゴールの作品を映画化しているサティヤジット・レイ監督はビシュバ・バラティの出身だし、インディラ・ガンジー元首相もそうだ。また、タゴールと並ぶインド人ノーベル賞受賞者であるアマルティア・セン教授はシャンティニケタンに実家があり、少年時代をシャンティニケタンで過ごしている。大学はカルカッタ大学経済学部だが、ウィキペディアで見るとセン教授もビシュバ・バラティに籍を置いていたことがあるようだ。今月半ばにシャンティニケタンを訪問した際、現地で活動している青年海外協力隊員の方から、セン教授のお母さんの家があると聞いた。(「行ってみますか?」と聞かれたがさすがにそこまでミーハーじゃないのでお断りした。)

そのセン教授の2005年の著書に『The Argumentative Indian』というのがある。この本は今年8月にネルー大学の特別講義を受講した際にG K チャダ教授から読むよう薦められたのだが、原書はペーパーバックでも400頁以上ある大作なのでなかなか手が出なかった。ところがこの本、今年日本で訳本が発売になっていることを最近知り、11月に両親一行がインド旅行に来た際に1冊購入して持ってきてもらった。

議論好きなインド人―対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界

議論好きなインド人―対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界

  • 作者: アマルティア セン
  • 出版社/メーカー: 明石書店
  • 発売日: 2008/07
  • メディア: 単行本

内容(「BOOK」データベースより)
神秘主義でも、宗教原理主義でも、核兵器でも、IT産業や暗算力でもない。3000年の歴史に探る民主主義の水脈。ノーベル経済学賞受賞者が解き明かす真に学ぶべきインド。
この本の第5章は「タゴールとかれのインド」と題し、55頁もの紙面が割かれてタゴールの思想について論じられている。以前セン教授の別の著書をブログで紹介した際にも彼が人間のケイパビリティ(権限)を高める手段として教育を非常に重視していることについては述べたことがあるが、『議論好きなインド人』第5章もまさにそうした視点に立ってタゴールを非常に高く評価している。

元々今回の記事はシャンティニケタンに因んで書こうとしているわけなので、シャンティニケタンとビシュバ・バラティ大学に直接的に関係するような記述の中で特に印象に残ったものをピックアップしてここげご紹介してみたいと思う。
かれの作品のほとんどは、1901年にかれがベンガルに創設した学校の周辺に生まれてた小さな町、シャンティニケタン(平和の館の意)で書かれた。タゴールは、そこで、私が後に触れるように、創造的で革新的な教育制度を構築しただけでなく、著作と生徒や教師への薫陶をつうじて、インドの社会、政治、そして文化運動に重要な役割を果たす拠点として、この学校を利用したのである。(p.164)

かれは、インドの社会的、経済的な苦難のほとんどが、その根本的原因を基礎教育の欠如に宿しているとみていた。(p.206)

タゴールはインド全体、とくに学校の少ない農村部に、より広い教育の機会が存在するだけでなく、学校自体がもっと生き生きして楽しいものとなるように心を砕いた。(中略)シャンティニケタンでのかれ自身による男女共学の学校は、進歩的な特徴を数多く備えていた。そこでの重点は、規律よりは自己の発意に、競争にすぐれることよりは知的な好奇心の養育に向けられた。(p.206)

 シャンティニケタンでは、古典をふくむインドの伝統の強調や、授業の言語としての英語でなくベンガル語の使用など、濃厚な「地方的」要素が見られたが、同時に、極めて多彩な文化や、中国、日本、そして中東などに関する学科や科目が設定されていた。シャンティニケタンには、数多くの外国人が教え、かつ学びにきており、学問の融合が達成されようとしていた。
 私自身がシャンティニケタンで学んだために、教育者としてのタゴールに、私は肩入れをしすぎているかもしれない。学校は多くの点で型破りであった。たとえば、実験室などを必要とする授業は、天候の許すかぎり戸外で行なわれるといった特徴があった。(中略)戸外の学習の経験には、特有の大きな魅力と爽快感を感じとることができた。学業の面では、私たちの学校はとくに厳しくはなく、試験などまったくないこともあったから、通常の学業成績からいえば、カルカッタのいくつかのより優秀な学校とは、競争すべくもなかった。しかし、クラスでの議論が、インドの伝統的文学から西洋の古典や現代思想へ、さらには中国や日本、あるいはそのほかの文化へと、自然に移っていく様には、何か独特のものがあった。学校が多様性に価値をおいていたことも、ときとしてインドをとらえる文化的保守主義や分離主義とは、著しい対称をなしていたのである。(pp.208-209)

タゴールは非識字状態や教育の軽視を、インドの根強い社会的後進性の主要な根源とみなしただけでなく、かれの農村開発についての著作が鮮明に示すように、経済発展の可能性とその射程を狭める大きな制約ともみなしたであろう。タゴールは、また、慢性的な貧困の除去へのより強い熱意と、その緊急性がより強く自覚される必要性も痛切に感じていたに違いない。(p.210)
今回のシャンティニケタンを訪問した最大の目的は特別講義に講師として呼ばれたからであるが、場所が場所だけに、①戸外で行なわずに屋内でないとできないようなプロジェクターを使った発表を準備したこと、②ベンガル語でなく英語で講義をやること、の2点でシャンティニケタンには馴染まないのではないかと最初は危惧した。勿論それは杞憂ではあったが、そうした前置きを述べた上で講義の本題に入れたのはセン教授の本を読んでタゴールの教育像について少しではあるが予習をしていったからだ。

14日に開催された文化交流会のオープニングで挨拶をさせてもらった際にも地元出身のセン教授の著書から引用して、タゴールと僕の元々のフィールドである経済学を結ぶ接点としてセン教授が提唱する「人間の安全保障」とその実現に向けた教育の重要性についてタゴールが早くから認識して取り組んでいたことを評価する発言を入れた。聴衆が聴いていて嬉しくなるような気の利いたことを話にちょっと挿入するには、こちらもそれなりの情報収集が求められる。これからもそういう読書を心がけていきたいと思う。
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