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『なぜ貧困はなくならないのか』 [読書日記]

なぜ貧困はなくならないのか―開発経済学入門

なぜ貧困はなくならないのか―開発経済学入門

  • 作者: ムケシュ エスワラン、アショク・コトワル
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
アジア諸国で貧困が消失しつつあるなか、インドではいまだに多くの人々が貧困にあえいでいる。インドが陥った開発の落とし穴とは何か。途上国の貧困層がそこから脱する道筋とはどのようなものか。経済発展の本質を説き明かす。
「読書日記」カテゴリー通算200号の切り番を飾るのは久々に読みごたえのあるこの1冊にしたい。邦題は『なぜ貧困はなくならないのか』となっているが、原書のタイトルは『Why Poverty Persists in India: A Framework for Understanding the Indian Economy』であり、その理論枠組みからインドの貧困削減と持続的経済成長への含意を導き出そうとしている。今日8月15日はインド独立記念日。インドの開発問題をもう一度考え直すという意味ではとてもいい本を紹介できると思う。

Why Poverty Persists in India: A Framework for Understanding the Indian Economy (Oxford India Paperbacks)

Why Poverty Persists in India: A Framework for Understanding the Indian Economy (Oxford India Paperbacks)

  • 作者: Mukesh Eswaran
  • 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr (Sd)
  • 発売日: 1994/05/10
  • メディア: ペーパーバック
もう1つの理由は、来週何日か会社をお休みして、市内にあるネルー大学で開発学の特別講義を受講させていただくことになったからである。農業経済学を初めとして、労働経済学、国際経済学のご専門の先生から、政治学、社会学、国際関係論といったご専門の先生に至るまで、各分野の一線級の講師の方々から教えていただける、かなりおいしいプログラムである。僕のインドでの経験も1年程度のものに過ぎないから、少しぐらい悪あがきで予習でもやっておくかと考えて自分に課したのがこの1冊だった。 

一見すると従属理論の論者が書いてそうで、かつ市場経済至上主義に対して批判的な市民活動家が好んで読みそうなタイトルである。だから訳本が出たのは2000年であるにも関わらず、今の今まで手を伸ばすことがなかった。6月に一時帰国した際に書店で何気なく手にとって見て、内容的には純粋な経済学の分析枠組みからインドの貧困がなくならない理由を極めて論理的に説明しようと試みていることを知り、興味があって買って帰ることにした。

前置きが長くなったが、簡単に本書を紹介する。著者の論点は極めて明確であるが、それを端的に物語っているのは以下の一節であろう。
国際貿易がない場合、工業発展が貧困層の厚生を向上させる効果は極めてわずかである。他方、農業における技術進歩は、まちがいなく貧困層に利益を与える。工業発展の利益が貧困層に行き渡るのは、農業が十分発達している場合に限られる。インドの貧困層が国際貿易によって利益を得るか損失をこうむるかは、インドにおける技術進歩が他国と比べて速いか遅いかによって決まる。インドにおける技術進歩が他国より遅い場合には、インドの貧困層は損失をこうむる。(pp.20-21)
もう1つ本書の理論枠組みで特徴的なのは、「購買力のある人々だけが市場に需要を登録できる(中略)。貧困層は、需要を支える所得がないために、彼らの需要を市場に登録することができない。そのため、市場経済における資源配分は、富裕層の需要に沿って偏向する」(p.41)というものである。翻訳がイマイチのところもあるので別の言い方も載せるが、要すれば人の需要には段階があって、貧困層人口が大半を占める経済発展の初期段階は、食糧でお腹を満たすのが精一杯なので基礎的工業製品や奢侈品への需要は拡大し得ないというのが著者の論点である。「段階的嗜好」と呼んでいる。すなわち、食糧を十分消費した後始めて基礎工業製品を購入し、基礎工業品を十分消費した後初めて奢侈品に金を使う。従って、食糧生産を行なう農業部門が原始的な状態にあるときに工業部門を創設しようと性急に試みても失敗に終わる可能性が高く、先ずは農業生産性を高めて労働を工業生産に転用することができる環境を作ることが先決だということである(p.70)。この農業における生産性向上を促す最も重要な政策手段として、著者は灌漑基礎教育を挙げている。この両分野でインドの取り組みは不十分だと指摘している。灌漑と同じく、収穫高の増大や作物の病気に対する抵抗力の向上等を目指す農業研究も優先政策分野に含まれるだろう。教育についても、インドの場合は国家予算のうち教育分野への支出が占める割合が比較的少ないばかりか、その大部分が中等・高等教育に充てられており、インド農民や農業労働者の大多数が文盲のまま放置されている状況があるという。これでは農業生産性の成長には足枷となる。

もう1つの重要な政策的含意は、インドの工業部門の生産性向上が速いか遅いかによって、国際貿易が貧困層に裨益するかどうか結果が違ってくるという点である。著者は工業における技術進歩―生産性向上が貧困削減に寄与するのは経済が国際貿易に開かれており、かつインドが工業品輸出国になり得る場合に限られると述べているが、他方で第9章ではこの工業部門での生産性向上がインドでは望めない理由を幾つも並べている。工業生産性を向上させる産業政策としては、①保護的貿易障壁、②工業免許制度、③公営企業などが考えられるが、いずれも技術革新を利潤増殖の一手段としては相対的に高価なものにしており、逆に政治的操作のような社会的浪費活動の収益率を引き上げているという。結果として企業経営者は技術開発投資にではなくレント・シーキング行動に走ってしまい、なかなか生産性向上には結びつきにくい環境となってしまっているという。

さらに面白かったのは、各政党の政策綱領に関する著者の評価である。
規制体制の抜本的自由化と輸出主導型成長を標榜する右翼派の主張は貧困層の立場から見ても、理論的正当性をもっている。反面、土地改革および基礎教育、灌漑施設等への公共投資の増加を求める左翼派の主張も理論的正当性をもっている。本書で行なわれた分析は、人的努力に対する報酬を増やすことが望ましい理由――右翼のテーマ――を説明する。われわれの分析はまた、レントを増やすことが望ましくない理由――左翼のテーマ――をも説明する。工業に対する官僚的支配の効果および工業品輸出の重要性をめぐる本書の議論は、2つの対立するイデオロギーが強調するこれらのテーマの間に本当は矛盾がないことを明らかにしている。(pp.187-188)
即ち、来年春までに予定されている下院総選挙で国民会議派、BJP、社会主義政党のどこが勝とうとも、基本的な政策重点分野は大きく変わらないということを示しているように思う。

また、いろいろな援助機関、国際機関が行なっている様々な開発援助も、こうした基準に当てはめて本当に貧困削減に効果があるのか、富裕層と貧困層の格差の拡大に繋がってはいないのかを評価してみる必要があるように思う。都市の経済インフラ整備を支援するのがいいのか、灌漑や農業研究、基礎教育への支援を拡充するのがいいのか、或いは援助だけではなく工業産品輸出市場の開放のような他の政策手段も組み合わせる必要はないのか等、考えるべきことは多いのではないだろうか。
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