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サル並みの日本人 [読書日記]

他人を許せないサル

他人を許せないサル

  • 作者: 正高 信男
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/08/18
  • メディア: 新書

 


内容(「BOOK」データベースより)
ケータイやインターネットに四六時中つながれた現代人に異常事態発生!いつもイライラ、他人に厳しく、無責任。ネットでがんじがらめにつながった「IT世間」に群がる日本人の生態に、気鋭のサル学者がメスを入れた「新しい世間論」。

正高信男といえば、『父親力』や『ケータイを持ったサル』というけっこう売れた著書を持つ霊長類学者であり、家庭の崩壊や父親の権威の失墜というテーマを週刊誌がうつと、重松清などと並んで頻繁にコメントが掲載されるお方である。

では今日紹介する本書に書かれていることは何かというと、過去の正高氏の以下の著作のタイトルとサブタイトルで語られている通りのことが、本書でも書かれている。はっきりと言ってしまえば、もし彼の著作を今までに読んだことがある人には、『他人を許せないサル』は薦めない。基本的に結論は同じだからだ。

ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊

ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊

  • 作者: 正高 信男
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2003/09
  • メディア: 新書
考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人

考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人

  • 作者: 正高 信男
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2005/07/26
  • メディア: 新書
 
評論家というのはオイシイ商売だと思う。政治や経済、社会の問題を分析はして巧妙な語り口で解説はしてくれるけれど、処方箋を書いて実践に移すようなところまで取り組んでいるような評論家はなかなかいない。(1990年代初頭の第一次湾岸戦争の際、戦争反対をTBS「関口宏のサンデーモーニング」で唱えていた澤地久枝氏が、結局出来たことというのがハンガーストライキだったというのが良い例だ。)
「IT世間にひたりきった現代日本人は、これからどういう方向へと行くのだろう。このまま野放し状態が続けば、ますますサルに近い行動をとるようになって、おそらく今世紀中頃には日本人の思考やコミュニケーションは、”裸のサル”同然に転落しているだろうと予想されなくはない。それはいままで培ってきた人間観を根底から覆してしまうような、想像を絶するものであるかもしれない。行き先全く不透明である。」(p.156)
―――おそらくこれが著者の結論なのだろうが。書き方が巧妙だ。断定的な言い方を避けて、「予想されなくはない」だの「であるかもしれない」だの「行き先全く不透明」だの、曖昧な言い方で抑えている。
こうした評論家に対する僕の反応は"So What?(だから何?)"の2語に尽きる。だからといってケータイをこの世から追放することなんてできないではないか。それに、言っちゃなんだが、今世紀中葉には日本人は人口自体が相当に減少して、「裸のサル」は世界全体から見てそうそう問題にはならないと僕は思う。グローバル化がもっと進んで、ちまちま日本人の間でだけ物事を考えているよりも世界のスタンダードに適合していく日本人がもっと増える。日本のケータイ文化が良くないといっても、そうした文化が世界のスタンダードから駆逐されることだってあり得るだろう。(勿論、ケータイが世界のスタンダードになってしまう可能性だってないとは言えないが…)
「だから日本人はダメなんだ」というような分析をする本は読む価値があまりない。この本を読んでみようかなと思う人は、内容をよくよく吟味して読み始めて下さい。繰り返しになるが、この本よりも良い本を著者は書いているのだから。

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