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『その日のまえに』 [重松清]

                                               

重松清著『その日のまえに』                                                    文藝春秋、2005年8月


出版社 / 著者からの内容紹介
僕たちは「その日」に向かって生きてきた
男女が出会い、夫婦になり、家族をつくって、幸せな一生なのか。消えゆく命の前で、妻を静かに見送る父と子。感動の重松ワールド

また読んでしまったぞ重松清。今週も忙しいにも関わらず、先週末に図書室でつい借りてしまったこの1冊は、昨年のダカーポの推薦図書にも挙がっていた短編集である。

僕達の年齢というのは人生の折り返しを過ぎて自身が「死の影」を意識し始める時期かと思う。永遠に続くと思われていた人生が、実は意外と近いところで死と隣り合わせであったということが徐々に明らかになってくるのだ。それは自分自身の死であったり、配偶者の死であったり、友人や同僚の死であったりする。さらに視点をシフトさせると、子供達にとっては、父や母を亡くすという事態がそろそろ考えられるのである。

7つの短編が収録されている。それぞれがそのストーリーのどこかで誰かの「死」を扱っている。4つの別々の短編を並べ、それらの後日談が、その後にくる同一登場人物によって展開される3編に織り込まれていく展開になっている。突然死を扱うものもあるが、それよりもガンなどによって徐々に体が蝕まれていき「その日」を迎えるというタイプの病死が多く扱われている。

愛する人を失うということが現実のものとして突きつけられた時、あなたはどう感じるのだろうか。或いは、自分が余命いくばくもないとわかった時、あなたはどう感じるのだろうか。残された時間で何をやろうと考えるのか。そうした心境と行動の変化が丁寧に描かれている。

自分は未だ身近な人の死を感じたことがあまりないが、このところのオーバーワークの中で、自分自身の身の危険を感じることが度々あった。通勤途中の駅のプラットフォームで突然気分が悪くなってそのまま命を落とすとか、腰の痛みを放っておいたら実はガンで、気付いた時には転移が進んでいたとか、本書の中で描かれている幾つかの死のパターンは、自分にもいつでも起こり得ると思う。突然死である場合はともかくとして、予め死期の予測がついている時、僕は落ち着いてそれと向き合えるのか。どう感じるのだろうか。重松清の世界は、おそらくこうなんだろうなと思わせるものだと思った。

この記事を書き始めたのは水曜日の夜。でも、木曜夜は翌朝の打合せの資料作成のために2時間ほどしか寝ず、金曜夜に掲載しようと思ったけれどこのところの睡眠不足で頭痛がひどくて手に付かなかった。ようやく記事がアップできたのは睡眠をある程度取れた土曜日の朝である。


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麦

サンチャイさん、こんばんは。
ホント、同じ頃に同じ本を読んでいたとは奇遇ですね!
重松清さんの小説は、‘生と死’がとてもリアルに表現されていて
読むと目を逸らしたくなることもあるのですが、すごく考えさせられます。
重松作品はまだあまり読んでいないので、もっと読んでみたいと思います!
また覗きに来ま~す。では。
by (2006-07-23 21:43) 

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