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『トワイライト』 [重松清]

                                                                                                                 重松清著『トワイライト』                                                                 文春文庫、2005年12月


内容(「BOOK」データベースより)
小学校の卒業記念に埋めたタイムカプセルを開封するために、26年ぶりに母校で再会した同級生たち。夢と希望に満ちていたあのころ、未来が未来として輝いていたあの時代―しかし、大人になった彼らにとって、夢はしょせん夢に終わり、厳しい現実が立ちはだかる。人生の黄昏に生きる彼らの幸せへの問いかけとは。

ここ1、2週間、極度の緊張に縛られていたので、この週末に息抜きとして考えたのは、仕事とはあまり関係のない小説を読むことである。いずれ読もうと思って重松清の文庫本を1冊購入してあったので、ようやく読む余裕ができたというわけだ。

重松清は僕と生まれが同じ年で、子供の頃の出来事や流行の殆どを僕は彼と共有していると思う。大阪万博は僕にとっては非常に大きな出来事であり、「太陽の塔」だけではなく、「フジパン・ロボット館」や「ガス・パビリオン」「ダイダラザウルス」といったアトラクションは今でも強烈に僕の記憶の中に残っている。加えて、彼の小説の舞台は往々にして多摩ニュータウンで、本書も京王多摩センターや京王永山を連想させる地名が出てくる。10年ほど前に多摩(聖蹟桜ヶ丘)に住んでいた者としては、空間もある程度までは共有できるような気持ちにさせられる。

40代を迎えると、これからの人生よりも、今まで生きてきた人生の方が長くなってくるわけで、未来のことを考えることもさることながら、過去のことを振り返ることも多くなってくる。子供を持つということは、そういう振り返りのきっかけにもなる。また、最近は情報やコンテンツの価値が見直されているので、昔自分がはまったコンテンツ(特撮やアニメ)に子供が同じようにはまると、それを通じて自分達も振り返るきっかけにもなるし、そうした中から新しい発見があったりもする。

小学生の頃にテストの成績が良くて、「天才」「秀才」「末は早稲田か東大か」と言われて本人もその気になっていたのが、中学、高校と進むにつれて徐々に限界に直面するようになり、社会の現実は甘くないと痛感させられ、結局普通のおじさん、おばさんになっていく。ちょっと運動ができるクラスメートは、プロ野球の選手になりたいという甘い夢を抱いたりもするが、夢半ばで挫折することが圧倒的に多いと思う。卒業文集に、僕は自分の将来の夢として、「国連職員かカメラマンになって、両親にパリ・ルーブル美術館でモナ・リザを見せること」と書いた。今の僕はそこから非常に大きく外れた状況にはないとは思うが、夢を実現していないことには違いがない。

本書で出てくる「タイムカプセル」は、僕達が小学6年生の頃に抱いていたそうした淡い夢を、何十年間も保存冷却して、人生のつらさも挫折も嫌というほど味わって現実の壁に直面している僕達の今になって解凍するようなものだ。当時の思いが蘇ってくると同時に、実際にはそんな夢よりも先ず目の前に立ちはだかる大きな現実との間にある大きなギャップに当惑し、「なぜこんな生き方をしてきてしまったのだろうか」と自問自答する。クラスの秀才が会社のリストラの対象になったり、クラスのガキ大将が意外と保守的なマイホームパパになっていたり、当時目立つこともなかった女子が社会人になって突然ブレークして出世頭になったり、そして、そんな奴と自分の人生を比べて情けなさを感じるのである。

人間というのは弱い存在であり、誰もが他人からは指摘されたくはないが自分ではよくわかっている弱点を必ず持っていると思う。そういう側面を率直に認め、心の弱さを秘めた登場人物をいたるところに配置する著者の計らいに感謝したい。


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