SSブログ

検証・山内一豊伝説 [読書日記]

渡部淳著                                                                            『検証・山内一豊伝説-「内助の功」と「大出世」の虚実』                                      講談社現代新書、2005年10月

NHKの大河ドラマの題材は、出版業界には格好のコンテンツである。大手の出版社は、手を変え品を変え、様々な切り口から大河の主役を描こうと試みる。ミーハーな視聴者は、どれかに手を出す。

今年の大河は山内一豊と千代のご夫妻。但し、財団法人土佐山内家宝物資料館館長である渡部氏の著書によると、この内助の功の典型のような山内一豊妻(見性院)も、本当に「千代」という名前だったのかどうかもわからないらしい。しかも、この一豊妻、大河ドラマでは近江・浅井領の若宮喜助の娘として描かれているが、実はこの出自も怪しいらしい。諸説あるわけだからドラマの中でこういう描き方をされるのもドラマだからまあ許せるけれど。(そういう意味では、史実歪めまくりの「時宗」は本当に酷かった。)

さて、渡部氏が本書を著した理由は、以下の記述に集約されている。


 料理や裁縫が得意で、常に倹約に努め、夫の出世のために献身的に働く一豊夫人像、その根拠になったいくつかの逸話は、近代教育が推し進めようとした、男子中心の国家体制維持・強化のためにも恰好の教材であった。言ってしまえば、一豊夫人の逸話の登場と広がりは、女性の社会的地位の低下と関係する話題でもある。このような意味において、一豊夫人の逸話は、単純に「美談」として考えるわけにはいかない。政治的・社会的要請から生まれた意図的な「美談」として捉えなおす必要がある。戦後の歴史文学の一部では、一豊夫人の逸話に対する戦前的解釈の克服が試みられた。しかし、戦国時代に生きる賢い夫人像が強調される一方で、一豊は凡将であったり暗愚な夫として描かれたため、結局のところ夫人の物語で終始している。

 男達の戦略や英雄譚で分析されがちであった戦国時代を、山内一豊とその妻の両人を通して捉え直す試みは、いまこそ必要である。そのためには、まず「一豊の妻」の「夫」という評価で見られがちな一豊という武将を、真正面から分析することから始めなくてはならない。そして彼の生涯は、正確にとらえた夫人の行動を絡めていくことで、始めて戦国夫婦の物語は意味のある形で復元できるのである。(P.220)


元々、僕は山内一豊といったら小学校時代に読んだ逸話、「一豊に名馬を買わせるために、妻・千代はへそくりの黄金十両を差し出した」というのでしか知らない。ただ、本書を読んでみて感じたのは、一豊は華やかな武功に彩られた名将というわけではないけれども、極端に失点が少ないということだった。天下が織田から豊臣、徳川に移る中、多くの武将が策略に乗せられたり思慮を欠く対応で自滅したりして、自刃や改易に処せられるケースがかなりあった。それに比べれば、一豊の生涯は極めて平坦で大過なく過ごしてきたものと思われる。「無事これ名馬」というのは競馬の名言であるが、「無事これ名君」とも言える。夫人だけの功ではなく、一豊本人も才覚に恵まれていたのではないかと思うのである。

もう1つの驚きは、一豊は側近や家族の裏切りを殆ど経験していないことだ。一豊には康豊という弟がいる。(元パワーレンジャー赤・玉木宏君が演じている。)織田信長がそうであるが、弟とていつ自分の足下をすくうかわからないアブナイ時代に、この家族と家臣団の結束はなんなんだろうか。奥方の器量だけではないでしょう。

ちょっと古文書からの引用が多いのが気になるけれども、この戦国から江戸時代を生きたご夫妻の生涯を振り返るにはなかなか面白い本だった。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0