アマルジョティ・スクール訪問 [インド]
2月13日(土)、ヤムナ河を渡った対岸の東デリー・カルカドゥーマにあるアマル・ジョティ(Amar Jyoti)というNGOを訪問してきた。アマル・ジョティが運営する学校の生徒さん達による歌やダンスの演技を見せてもらうのが目的だ。本当はうちの支社長が主賓の1人で呼ばれたのだが先約があり、僕が代理で出席することになったものだ。
アマル・ジョティはNGOとしては1981年の設立。ここの学校は幼稚園から8年生までの生徒さんが通う。障害のある子供とない子供を同数ずつ受け入れ、一緒に学校生活を送らせている。こうすることで、障害は当たり前のものとして社会の中に受け入れる意識付けを若いうちに行ない、将来の社会形成に繋げようと目指しているようだ。スポーツや文化活動にも非常に力を入れている。当日会場で見せていただいただけでも、柔道やアーチェリー、ブラスバンドといった活動も行なわれているようだ。柔道を指導していたコーチは、僕は半年ほど前にマルビヤ・ナガルの別の道場で会ったことがある青年だ。このマルビヤ・ナガルの道場のゴギ先生御夫妻もアマル・ジョティでボランティアを時々なさっていると仰っていたのを思い出した。
これ以外にも、構内では英語のLL教室(上写真)とかパソコン研修とかビューティーパーラー(上写真)とかベーカリーとかいった施設もあり、学校卒業までに生活に必要なスキルをできるだけ身につけさせるよう工夫がなされている。各施設とも、いろいろな企業や外国篤志団体からの寄付で整備されたものである。確か、日本人会婦人部のボランティアグループも、過去数年間少額の活動助成を行なっていたと聞いている。パソコン研修のインストラクターは外部から招聘しているそうだが、アマル・ジョティのある東デリーには、僕が親交のあるCS氏が運営する「データメーション」というNGOがある。パソコンの基本操作やソフトウェア、DTP等の職業訓練を得意とする団体であり、アマル・ジョティと交流仲介できたらいいかもしれない。
アマル・ジョティの代表はウマ・トゥーリ女史(下写真)といい、リハビリテーション・インターナショナル(Rehabilitation International、RI)という国際NGOネットワークの主要会員でもある。日本で障害者NGOの活動に関わっておられる僕の知人によると、ウマ・トゥーリさんはRIにある7つの専門委員会のうち、教育部会の座長をされている。アマル・ジョティという1団体の枠を超えて、インド国内、さらには世界にも広がる影響力のある活動をされている方だ。RIにおける国際アビリンピック活動の推進役でもある。アマル・ジョティを訪れて実際の活動を見せてもらうと、それが国際アビリンピックにも繋がっているというのがよくわかる。
さて、この日のメーンイベントは、訪問客を観客として行なわれた歌やダンスのショー。生徒さん達が一所懸命演じてくれた。中には車椅子を器用に操って一緒に踊っていた子もいたし、片足に補助具を付けた子、松葉づえを片手に踊っていた子もいた。両腕のない子も。でも皆普通にステージに立ってパフォーマンスを披露し、終わると周辺の子がお互いに気遣いながらステージを下りていく。極めて当たり前のように振る舞っておられたのが印象的だった。
さて、実は13日のブログエントリーで現地人スタッフの書いた原稿にがっかりしたというスピーチは、このイベントで使うものだった。結局自分なりに情報収集し、およそ次のようなことを話させていただいた。
1)日本の知り合いにインドの障害者団体の活動について聞いてみたところ、こんなことを教えてくれた。障害関係のコミュニティ活動、特に障害者の社会への包含(social inclusion)ではインドは先進国であり、日本人が勉強すべきところが多い。日本の障害関係者、特に理学療法士、作業療法士等の技術専門職はコミュニティ開発をあまり理解していない。日本から途上国には障害関係の専門家やボランティアが沢山派遣されているが、実際に任国に派遣される前に、インドで事前研修を受けるべきだとまで言われた。
2)思うに、日本は、障害にせよ、ハンセン病にせよ、エイズにせよ新型インフルエンザにせよ、患者や家族を隔離することで治療やリハビリを集中して行なってきた。それは効率的だったかもしれないが、こうすることで、隔離される側と隔離する側との間にとても大きな「心の壁」を作ってしまった。このため、様々な特徴・個性を持った人を社会の中に取り込んで、地域の中で普通に接する、地域の中でリハビリを考えることがなかなかできない。その点では我々日本人がインドに学ぶことは確かに多いと思う。
3)にも関わらず、今回この場に来ている日本人は自分1人だけである。このプログラムは、多くの人に見てもらえること、見せて評価されることが特に重要で、それによって子供達がさらに自信を深めていくことが期待されているのだと思う。このプログラムの案内が、デリー在住の日本人コミュニティ、日本人学校の生徒さん達にも広く伝えられることが今回はできていなかったようで、これは反省すべき点であると思う。できうれば、こうしたプログラムが、今回を契機にしてさらに発展していくことを期待したいと思う。
この日のイベントは土曜開催だったこともあり、家族が同居してくれていたら絶対子供達を連れて来たかったなと思う。演じる生徒さん達の姿を見て、我が家の子供達がどのように感じるのかを見てみたかった。
実は件の職場の現地人スタッフ、スピーチ原稿のメール送付でミソを付けたのみならず、イベント情報を転送して広く案内する作業をまたもややらなかった。2週連続の不手際。前週に相当叱ったのに、結局今週も同じだった。もはや怒りを通り越して悲しさと虚しさの入り混じった脱力感に包まれてしまった。このイベント前に二度も出張をせざるを得なかった自分自身の仕事のあり方を後悔せざるを得ない。この日の会場では穏やかに振る舞うよう努めたが、僕が彼の所業に納得していたとは決して彼には思って欲しくない。これ以上足を引っ張って欲しくない。インドに赴任してきてから2年半になったが、いい加減クビにできないものかと本気で思っている。
携行したデジカメが壊れた。取りあえずケータイのカメラで何枚か撮ったが、そろそろ買い替え時かなと思っていたので、来週は買いに出かけたい。
この日も、この行事の後でオフィスに行って仕事をしようと考えていたのだが、朝からの頭痛がなかなか治まらず、まして歌とダンスの会場が構内で寒かったために余計に具合が悪くなり、午後は自宅で静養せざるを得なくなった。これで14日(日)は自動的に出勤決定だ。バレンタインも家族のいない僕には全く関係がない。
アマル・ジョティはNGOとしては1981年の設立。ここの学校は幼稚園から8年生までの生徒さんが通う。障害のある子供とない子供を同数ずつ受け入れ、一緒に学校生活を送らせている。こうすることで、障害は当たり前のものとして社会の中に受け入れる意識付けを若いうちに行ない、将来の社会形成に繋げようと目指しているようだ。スポーツや文化活動にも非常に力を入れている。当日会場で見せていただいただけでも、柔道やアーチェリー、ブラスバンドといった活動も行なわれているようだ。柔道を指導していたコーチは、僕は半年ほど前にマルビヤ・ナガルの別の道場で会ったことがある青年だ。このマルビヤ・ナガルの道場のゴギ先生御夫妻もアマル・ジョティでボランティアを時々なさっていると仰っていたのを思い出した。
これ以外にも、構内では英語のLL教室(上写真)とかパソコン研修とかビューティーパーラー(上写真)とかベーカリーとかいった施設もあり、学校卒業までに生活に必要なスキルをできるだけ身につけさせるよう工夫がなされている。各施設とも、いろいろな企業や外国篤志団体からの寄付で整備されたものである。確か、日本人会婦人部のボランティアグループも、過去数年間少額の活動助成を行なっていたと聞いている。パソコン研修のインストラクターは外部から招聘しているそうだが、アマル・ジョティのある東デリーには、僕が親交のあるCS氏が運営する「データメーション」というNGOがある。パソコンの基本操作やソフトウェア、DTP等の職業訓練を得意とする団体であり、アマル・ジョティと交流仲介できたらいいかもしれない。
アマル・ジョティの代表はウマ・トゥーリ女史(下写真)といい、リハビリテーション・インターナショナル(Rehabilitation International、RI)という国際NGOネットワークの主要会員でもある。日本で障害者NGOの活動に関わっておられる僕の知人によると、ウマ・トゥーリさんはRIにある7つの専門委員会のうち、教育部会の座長をされている。アマル・ジョティという1団体の枠を超えて、インド国内、さらには世界にも広がる影響力のある活動をされている方だ。RIにおける国際アビリンピック活動の推進役でもある。アマル・ジョティを訪れて実際の活動を見せてもらうと、それが国際アビリンピックにも繋がっているというのがよくわかる。
さて、この日のメーンイベントは、訪問客を観客として行なわれた歌やダンスのショー。生徒さん達が一所懸命演じてくれた。中には車椅子を器用に操って一緒に踊っていた子もいたし、片足に補助具を付けた子、松葉づえを片手に踊っていた子もいた。両腕のない子も。でも皆普通にステージに立ってパフォーマンスを披露し、終わると周辺の子がお互いに気遣いながらステージを下りていく。極めて当たり前のように振る舞っておられたのが印象的だった。
さて、実は13日のブログエントリーで現地人スタッフの書いた原稿にがっかりしたというスピーチは、このイベントで使うものだった。結局自分なりに情報収集し、およそ次のようなことを話させていただいた。
1)日本の知り合いにインドの障害者団体の活動について聞いてみたところ、こんなことを教えてくれた。障害関係のコミュニティ活動、特に障害者の社会への包含(social inclusion)ではインドは先進国であり、日本人が勉強すべきところが多い。日本の障害関係者、特に理学療法士、作業療法士等の技術専門職はコミュニティ開発をあまり理解していない。日本から途上国には障害関係の専門家やボランティアが沢山派遣されているが、実際に任国に派遣される前に、インドで事前研修を受けるべきだとまで言われた。
2)思うに、日本は、障害にせよ、ハンセン病にせよ、エイズにせよ新型インフルエンザにせよ、患者や家族を隔離することで治療やリハビリを集中して行なってきた。それは効率的だったかもしれないが、こうすることで、隔離される側と隔離する側との間にとても大きな「心の壁」を作ってしまった。このため、様々な特徴・個性を持った人を社会の中に取り込んで、地域の中で普通に接する、地域の中でリハビリを考えることがなかなかできない。その点では我々日本人がインドに学ぶことは確かに多いと思う。
3)にも関わらず、今回この場に来ている日本人は自分1人だけである。このプログラムは、多くの人に見てもらえること、見せて評価されることが特に重要で、それによって子供達がさらに自信を深めていくことが期待されているのだと思う。このプログラムの案内が、デリー在住の日本人コミュニティ、日本人学校の生徒さん達にも広く伝えられることが今回はできていなかったようで、これは反省すべき点であると思う。できうれば、こうしたプログラムが、今回を契機にしてさらに発展していくことを期待したいと思う。
この日のイベントは土曜開催だったこともあり、家族が同居してくれていたら絶対子供達を連れて来たかったなと思う。演じる生徒さん達の姿を見て、我が家の子供達がどのように感じるのかを見てみたかった。
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
実は件の職場の現地人スタッフ、スピーチ原稿のメール送付でミソを付けたのみならず、イベント情報を転送して広く案内する作業をまたもややらなかった。2週連続の不手際。前週に相当叱ったのに、結局今週も同じだった。もはや怒りを通り越して悲しさと虚しさの入り混じった脱力感に包まれてしまった。このイベント前に二度も出張をせざるを得なかった自分自身の仕事のあり方を後悔せざるを得ない。この日の会場では穏やかに振る舞うよう努めたが、僕が彼の所業に納得していたとは決して彼には思って欲しくない。これ以上足を引っ張って欲しくない。インドに赴任してきてから2年半になったが、いい加減クビにできないものかと本気で思っている。
携行したデジカメが壊れた。取りあえずケータイのカメラで何枚か撮ったが、そろそろ買い替え時かなと思っていたので、来週は買いに出かけたい。
この日も、この行事の後でオフィスに行って仕事をしようと考えていたのだが、朝からの頭痛がなかなか治まらず、まして歌とダンスの会場が構内で寒かったために余計に具合が悪くなり、午後は自宅で静養せざるを得なくなった。これで14日(日)は自動的に出勤決定だ。バレンタインも家族のいない僕には全く関係がない。
Sanchaiさまへ
インドでの貴重なことを教えて下さり、ありがとうございました。
by つなし (2010-02-14 09:16)