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現場主義と研究者 [読書日記]

関満博著『現場主義の知的生産法』                                                             筑摩新書、2002年4月


内容(「BOOK」データベースより)
現場には常に「発見」がある!国内5,000工場、海外1,000工場を踏査した“歩く経済学者”が、現場調査の勘どころを初めて明かす。実際に行ったモンゴル2週間40社調査をケースに、海外調査のルートづくり、インタビューの要諦、調査結果のまとめ方など、その全プロセスを公開する。調査が終わったらとにかく早く形にする、整理はしない、現場は刈り取るだけではなく育てるもの、等々、IT時代だからこそ心に染みる、超アナログ知的生産のすべて。

我が社の社長は、3年前に就任して以来、「現場主義」というのを言い続けてきている。僕の勤めるのは研究部門であるが、研究部門と現場主義とでどう折り合いをつけるのか、僕はずっと悩んできた。例えば、ある研究プロジェクトを実施するとしても、プロジェクトはいずれは終了するし、僕達も人事異動で全く異なる部署に移ってしまうということもある。

今の僕の最大の関心事は高齢化問題なのだが、僕の後任が高齢化問題のスペシャリストというわけではないだろうし、僕自身、高齢化問題の研究プロジェクトが7月に終了して以降は、イマイチ気乗り薄の部長の煮え切らない態度を気にしつつ、次のステップとして後継プロジェクトにどう繋いだらいいのかで悩んでいるところだ。

もう1つの考え方として、研究部門と現場の繋がりがそもそも希薄だとの問題意識も強い。今の部署に来て3年、「報告書が分厚いので読む気にならない」「現場で使いものにならない報告書ばかり作りやがって」と社員や役員から批判を浴びせられてばかり。事例研究のようなものをやろうとすると、取り上げるプロジェクトはある程度成果が確認できている案件が多く、終了時評価とやっていることの区別がつかない。

本来なら、これから始めるか始めることを具体的に検討する前の事業にベタ貼りして、現場の現況と事業を行うことによって生じる現場の変化をくまなく追いかけていくタイプのものができるといいと思う。それを上司に述べたところ、「そんなのは実行でできる」と一言。ただ、僕が見るところ、うちのビジネスモデルはそのようなタイプの研究活動とは折り合いが悪いような気がする。やれるのであればとっくの昔にやっている。

本書を読み始めるに当っての問題意識は、世間的に高い評価を受けている研究者が、現場との関わり方についてどのような考えを持っておられるのかを知りたいと思ったからである。著者の自慢話的な記述が多いのは若干鼻につくが、それを割り引いたとしてもとても示唆に富んだ本だと思う。多分、僕が今までに読んでこのブログで紹介してきた本の中でも最も高い評価を与えてよい1冊だと思う。おそらく、普段の仕事の中で最も使える本であろう。

「なぜ「現場」なのか、それは「新たな発見がある」ということにつきる。(中略)「現場」に通い詰め、さらに、「現場」の周辺の多様な人びとと接触しなければ、本当のところはほとんどわからない」(pp.12-13)

「一つの地域と付き合うなら「一生付き合う」態度を鮮明にする必要がある」(p.28)

「講演会がスタートすると、まず、自己紹介や最近の出来事などの」雑談を5分程度しながら、聴衆の様子をうかがう。(中略)5分程度雑談をしていると、この人たちは「何に関心があるか」が見えてくる。特に、前の方に座っている数人の反応が重要である。それを見極めてから本題に入っていく。本題に入ってからも注意深く聴衆の様子を観察する。特に、眠っている人に着目する。時々、ジョークを飛ばし、笑いを誘うと、眠る時間と決め込んで来た人も、次第に何事かと目を覚ますことになる。後は、一番関心を持って参加している層と、眠りに来た人をターゲットに話を進める。いつものように最先端と最後尾への着目である。(中略)いつも同じような話をしているのではないの、と思われるかもしれないが、実は「講演会」というのは、私にとっては「社会に対するメッセージ」を発する機会であり、対話を続けて「新しいテーマ」を確認する機会であり、さらに「支持者を獲得」していく機会でもある。(中略)講演会も一つの「現場」として、私の一連の仕事の中でも重要な位置を占めているのである。」(pp.163-164)

「生産性を上げるためには、社会との関係を常に保ちながら、自分の考えていることの確認を重ねることが重要であり、社会からの批判、指導をいただくことも必要である。(中略)講演会や懇親会は、そうした人びととの出会いの場であり、自分の考えていることを確認していく「現場」なのである。」(p.166)

「「現場」に数回入った程度では、お客さんに過ぎない。(中略)その後、『報告書』等が送られてきても、昨今は地元にほとんど波紋も起きない。この数十年の間に多くの調査団が訪れ、また、地元でも多額のお金を投じ、都会のシンクタンクに「産業振興ビジョン」を依頼しているケースが多い。だが、見てくれの良い『報告書』を作成してもらったものの、現実離れしていてまるで役に立たず、お蔵入りしているのが実情である。なぜ、そうしたものが地元の人びとに響かないのか。(中略)地元に対する「愛情」が乏しいからにほかならない。いずれにおいても、調査している間だけは、それなりの「関心」を寄せるが、『報告書』を書き終えれば興味も失ってしまう。」(pp.169-170)

う~ん。やっぱり仕事上、現場主義と研究部門の折り合いを付けるのは難しい気がする。と言いつつ、1つの突破口として感じているのは、こうした現場主義の研究者の現場との繋がりを支援するようなことなら我が社としてはできるのではないかということである。僕達は人事ローテーションに組み込まれてしまっていて、なにも僕達自身が「研究者」として仕事上の特定の現場と一生関わっていくことが必要だとは思わない定点観測をやって下さる方に気持ちよく関わっていただけるようお膳立てをするのが僕達の役目なのではないかと…。。(「あんたのところは担当者がコロコロ代わる」というのは、我が社の直接的な顧客からも、同業他社からも頻繁に指摘されるポイントであり、それが良いとは僕自身も思っていないけれど。)

但し、そうした僕達にも一生モノの「現場」がある。それは、僕達自身が住む地域と社会である。仕事上は一生「研究者」ではいられないが、地域の中では僕達の持つ「研究者」としての目は生かされる機会もあろうかと思う。また「研究者」としてだけではなく、「変革の実践者」としての目も持たねばならないだろうと強く自覚もしている。


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