・清原和博との関係と、引退の真相。小さな大エースの全思考全感覚を凝縮。
本書を読む限り、想定読者は野球を志す小中高生とその親、あるいは指導者なのだろうと考えられる。自分の子供がもし野球をやっていたならば、僕は本書を読むよう薦める。いや野球でなくても、他のスポーツでも文系の部活動でもいいが、とにかく桑田が何を考えながら小中高生時代を過ごしていたのかを知ることは今の子供達には参考となるところが多いと思う。
序論の部分で、桑田は本書で伝えたかったことを2つ挙げている。1つは「努力」という言葉の解釈である。彼は、がむしゃらな努力は無駄である、一心不乱に根性だけで練習に没頭したことは自分は一度もなく、やるべきことを精査して効率性を重視しながら練習を積み重ねていったと自分の経験を述べている。投げ込みを200球も行なうよりも、本当に考えた50球で十分だと考えていたらしく、彼は日本の投げ込み重視型の指導法(練習法)に対して既に高校時代から懐疑的だったことが窺える。但し、彼はだらだらと長時間行なう練習には懐疑的だが、短くても集中して毎日続けることは推奨している。腕立て伏せでも、最初は10回やるのがやっとであっても、毎日繰り返しているうちに突然20回もできるようになり、そうするうちに40回、50回と増やしてもやっていけるようになるというものだという。 PL学園時代、朝も夜も練習に時間をとられる。どう考えても自分が満足できるような勉強時間は捻出できなかった。それでも勉強をがんばり、よい成績を取ることができた。
どうしていたのか、といえば、毎日30分間だけ机に向かったのだ。それから、授業の間の休憩時間の10分間は宿題や復習の時間にあてた。たったそれだけを黙々と実行し続けたのだ。
プロ野球選手となったあとも、無茶な努力はしなかった。怪我をしてしまったら、元も子もないからだ。巷でよくいわれるような1,000本ノックを受けたり、1,000回素振りをしたり、300球を3日連続投げるとか、そんな無茶な練習は決してしなかった。その代わり23年間、毎日毎日、1日10分とか15分、小さな努力を続けてきたのだ。(pp.5-6)
もう1つは「スポーツマンシップ」に大切さである。日米のプロ野球を