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貧困層のための天気予測 [インド心残り]

AshokJhunjhunwala.jpg万人のための天気予測
Forecasting for all
Natascha Shah通信員

アショック・ジュンジュンワラ(57)
イノベーション: インドラダヌー(Indradhanu)-自動天候モニタリング装置
費用:25,000~50,000ルピー
機能:情報キオスクを通じて集めた全ての天候パラメータを測定し、即時分析して正確な天候予測を行なう。
*後半に続く
週刊紙INDIA TODAYは時々興味深い特集記事を組む。2010年4月26日号の特集は「インドの指導者(Mastermind India)」というので、以前もご紹介した農村発明家とかはともかく、特集記事で紹介されている人々の多くを僕は知らず、インドの広さを痛感させられる。そんな中に、懐かしい名前を見かけた。ジュンジュンワラ教授である。

僕はインドに赴任して来るはるか以前に、ジュンジュンワラ教授にお目にかかっている。2004年8月に国際ICTセミナーというのが慶應藤沢キャンパスで開催された際、僕もその企画と実施に関わっていたのだが、その際にインドから招聘した有識者が2人おり、そのうちの1人がジュンジュンワラ教授だった。お忙しい合間をぬっての日本出張であったと思われるが、ご自身の発表だけではなく、他の参加者の方々が発表される別のセッションのチェアーも引き受けて下さった。

因みにもう1人がデータメーションのチェタン・シャルマ氏なのだが、デリー在住のチェタン氏とはインド赴任後親交もあり、彼が代表を務めるNGOの事業地には僕だけではなく僕の部下も含めて何度かお邪魔している(この記事を書いている最中にも、チェタン氏からSMSが来た)。だから、ジュンジュンワラ教授ともそういうお付き合いをさせてもらえたらと思っていたのだが、あいにく出張でも私用でも教授のいらっしゃるチェンナイを訪れる機会にはあまり恵まれず、出張で行っても慌ただしい仕事の合間をぬっての超短期出張で他のアポを入れてる時間もなく、結局今に至るまで教授との再会は実現していない。渡航費をうちの会社で負担したので、少なくとも面談を申し込めば会わせてもらえる権利はあると今でも僕は思っている。

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「A」はアラーの砒素汚染(A for Arsenic in Ara) [インド心残り]

砒素の陰、ゴーストタウンを覆う
Arsenic shadow looms large over ghost town
4月28日、The Hindu、Shoumojit Banerjee通信員
【アラー(ボジプール県)】 カメラの恐怖がブラーミンが大勢を占めるボジプール県シマリア・オージャパティ(Simaria-Ojhapatti)村を覆い尽くしている。ここはビハール州の砒素汚染飲料水問題の中心地だ。
 「オージャパティ」(オージャ・カーストの集中地帯)は、一見するとゴーストタウンのように見える。しかし、実際には行政の無関心、人々の迷信、市民の間で陰謀等によって、10,000人以上いた住民の1/3がボジプール県内の別の地域に退去させられた結果なのだ。砒素がもたらす災禍はこの村を広く覆っている。チャパカール(chapakaal、手押し式ポンプ井戸)の水は汚染されているから離れるよう住民に警告する壁画メッセージが、血の色にも似た赤色で村の至るところに描かれていることからも明らかだ。
 ここでは悪名高い「A」で始まる言葉(砒素(arsenic)のこと)がローカルテレビ局の視聴率を高騰させるのに大いに貢献している。それに加えて、不謹慎な建設業者やごくありふれたそのへんのNGO、地元政治家がにわか転身したソーシャルワーカー等の財布を潤している。
 「うちの家族では誰も砒素の影響は受けていません。すべていつも通りです。ですからどうかお引き取り下さい」――実名を拒否したオージャパティ村のある女性はこのように述べる。彼女は慌てて娘を家の中に呼び入れ、すばやくドアを閉めた。角化症(Keratosis)が皮膚上に表れ、それが拡がっていくことが砒素に汚染された水を飲み続けた人特有の症状である。それがこの2人の女性の手には表れている。
 「この村がテレビ報道で度々取り上げられてから、ここの世帯では娘を嫁に出すのにもトラブルが起きるようになってきています。他の土地の人から見ると、こうした女の子たちは砒素に汚染された水を飲んでひどい病気に冒されていると見られてしまっています」――シマリア村に住むララン・オージャさんはこう述べる。「こういう人々は、こうした汚染が子々孫々にまで災いをもたらすと信じています。村人は自分達の水に病原体が存在すると信じ込むのに慣れ切ってしまっています。」
 2002年、ボジプールは飲料水から高濃度の砒素が検出されたビハール州で最初の県になってしまった。それ以降、地元メディアでは砒素汚染が度々取り上げられるようになった。2009年までに、ビハール州内の16県57ブロックの飲料水で砒素汚染が見つかっている。ボジプール県パンディ・トーラ(Pandey Tola)では最高1,861ppbの砒素が検出された。(WHOが定める安全な飲料水の基準では、砒素濃度は10ppbである。)
 それでは州政府はその何千万ルピーもの予算を持つ支援スキームを動員して砒素汚染の除去する作業をやっていないのだろうか。
 「制度は確かにあります。しかし、その殆どは紙の上でのものに過ぎません」――A.N.Collegeの水管理科の科学者であるアショック・クマール・ゴーシュ博士はこう指摘する。博士は同州の砒素汚染水について多くの研究を行なってきている。
 シマリアの給水塔は、RJDが州政権与党だった頃に公衆衛生工学局(PHED)によって建設されたものだが、その後5年間機能していない。ボジプールで飲料水から砒素を除去するために政府が設置するとされていた5億3,000万ルピーの浄水施設の計画も宙に浮いている。このブロックでは各戸への給水も定期的には行なわれていない。シャハプール(Shahpur)ブロックのタンクが断続的にしか運転していないからだが、これは不安定な電力供給による。
 「その他の選択肢としては、250フィート以上の深井戸を掘ることが考えられます」とゴーシュ博士は言う。「しかし、ガンジス河流域に近いエリアでは25フィート以上でも地下水は利用可能なので、掘削業者が掘るこれらの井戸では、40~50フィート以上の深さであることは殆どありません。掘削業者は不正請求でお金を稼ごうとする傾向があります。ここは砒素汚染の蔓延が最も深刻な地域なのです。」
 ゴーシュ博士のような科学者は、責任あるメディア報道に支えられた適切なコミュニケーションが砒素汚染の社会的影響を回避するのに役立つと強く信じている。
*この記事の全文は下記URLからダウンロードできます。
 http://www.thehindu.com/2010/04/28/stories/2010042860770500.htm
複雑な思いがする記事である。僕は、目的は違ったがビハール州ボジプール県には1年前には訪問したことがある。そして、そこでボジプールの地下水砒素汚染問題を初めて現地の人から聞いた。調査チームが調べに来て、地下水の砒素濃度が非常に高いことがわかったのだという。調査チームで来たどこかの先生は、調べた後別に何もしてくれていない。

―――実は、このボジプールの地下水砒素濃度調査を行なったのは、ジャダヴプール大学の我が敬愛するチャクラボルティ教授のチームである。11月にご本人を訪ねてコルカタの大学を訪問した際、直接ご本人の口から聞かされた。

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ケララのシニア市民パワー [インド心残り]

シニア市民、独立部署設置を求める
Senior citizens seek separate department
2010年4月28日、The Hindu
【コジコデ(ケララ州)発】 州政府の高齢者支援政策は2006年に発表されたが、ここ数年、政府は殆ど何もやっていない。
 州内に1,000もの支部を持つケララ・シニア市民フォーラム(Kerala Senior Citizens Forum)は、シニア市民の多くが直面している苦労の深刻さをかんがみ、シニア市民の福祉を専門で担当する独立した部局の設置を求めている。
 P.バラクリシュナン会長、K.マダヴァン事務局長、M.K.サティヤパラン広報担当、フォーラムを代表する3人は火曜(27日)、報道陣に対し、V.S.アチュタナンダン州首相が高齢者支援政策を公表したにもかかわらず、ここ数年シニア市民に対して州政府は殆ど何もしていないためにこんかいの要求を行なったと述べた。
 3人によれば、州首相が行なった政策発表自体はフォーラムの活動の大きな成果だという。1997年以来、フォーラムは様々な公共の場を通じて政策立案の必要性を訴えてきたからだ。
 フォーラムは35項目の行動計画を準備し、1998年に州政府に提出。長年の検討を経て、2004年11月に州政府は高齢者支援政策の草案を発表した。そこからさらに討論を経て最終案が纏まり、政府は2006年12月5日に新政策を発表した。
*後半に続く。

ケララのシニア市民のパワーを垣間見れた機会は、結局2009年2月に参加したトリバンドラムでの老人学学会の場一度っきりで終わってしまいそうだ。学会の席上でお目にかかった方々に、「次にケララに来たら是非一度皆さんの活動を見学させて欲しい」とお願いした。中にはHelpAge Indiaのケララ支部の代表の方もいらっしゃった。これ以外にも、日本のNGOであるオイスカの南インド総局(ケララ州カリカットにある)の代表の方にも別の機会でお目にかかった。オイスカを有名にした「子供の森」計画は、ケララだったら「老人の森」計画に変えてやってみたらいいね、なんて話をしたところ、「もうやっているよ」と言われた。是非行ってみたいと思った。

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内陸からの波(Waves in the Hinterland) [インド心残り]

WavesInTheHinterland.jpg

Farah Naqvi(2008)
Waves in the Hinterland: The Journey of a Newspaper
Zubaan Books/Nirantar • Rs 350

僕が未だインドに赴任してきて間もない2007年7月28日、このブログに「奥地の女性新聞記者」という記事を書いたのを古くからの読者の方であれば覚えていらっしゃるのではないかと思う(フツー覚えてないか?)。このカバル・ラハリヤ(Khabar Lahariya)と呼ばれるローカル紙が話題になったのは2007年のことで、当時ニーランタル(Nirantar)と呼ばれる現地NGOが、カバル・ラハリヤとその女性新聞記者達が育ったのは自分達の支援のお陰だとばかりにかなりメディアに売り込みをかけていた。2008年に発刊された本書は、版元がニーランタルであることからもわかる通り、彼ら(彼女ら?)の支援とカバル・ラハリヤの成長の経緯を追ったレポートである。

それが何故今頃になって隔週刊誌Down To Earthの書評欄に載ったのかはよくわからない。2010年3月15-31日号に掲載された書評を見た後、僕は本書を購入してみた。結構面白い本だ。

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どうやら6月帰国らしい [インド心残り]

一時帰国を終えてこれからデリーに向けて出発するところですが、本邦滞在中に「6月インド離任」という人事異動の内示をいただきましたのでご報告しておきたいと思います。

実は近々インド離任らしいという話は一時帰国の前からちらほら漏れ聞こえてきており、そうなると年度が替わってから一時帰国するのは難しいと思ったので、元々長男の卒業式列席のために帰るだけのつもりだった短めの滞在期間をさらに1週間延ばしたという経緯がありました。

お陰で僕の後任の方とも直接お目にかかって仕事の内容の説明もできたし、元上司と夕食をご一緒してお話をするうちに少しだけ気持ちの整理もできました。意外にも重傷だった歯槽膿漏の治療も5回通院してある程度までは応急処置できましたし(根本治療は7月以降に持ち越しですが)、肋骨のひびもある程度までは治すことができたと思います。

ただ、それでも正直なところ6月インド離任というのは今でもとてもショックです。

インドでの僕の前任者は3年10ヵ月いらっしゃいましたので、それくらいを目安として考えて今年度中の異動は想定すらしておらず、あと1年はいることを前提に自分の仕事も生活も組み立てていました。元々インドには10年近く駐在希望を自己申告し続けてようやく実現したという経緯もあり、念願かなってインド赴任が実現した後は毎年人事部に提出している調書でも「今の部署での勤務継続を希望」と書き続けて今日に至っています。それが3年足らずで異動とは…。残る3ヵ月弱では始めかけていた仕事はそれ以上は進められないものもあるし、こちらで作った知人友人との繋がりの中で約束していたことも大半は果たすこともできずにインドを後にすることになります。

インドをフィールドにした博士論文はこれでいっそう書きづらくなります。我が社の先輩管理職の方々の間で、博士課程に在籍していらっしゃる方が沢山いるのに博士号取得に至った方が意外と少ないのはなぜか、垣間見えたような気がします。先月末に大学院には休学届を提出しました。

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